21話:ネットバブルと企業倒産事件
2006年1月にライブドア事件が明るみにでた。1月16日に証券取引法違反の容疑により、六本木ヒルズ内の本社および堀江貴文の自宅・新宿の事業所などが東京地検による家宅捜査を受ける。翌17日はソニー買収のためのライブドアとリーマン・ブラザーズとのミーティングが予定されていたという。1月23日に証券取引法違反「偽計、風説の流布」の疑いで東京地検により堀江、財務担当の取締役宮内亮治。
および関連会社ライブドアマーケティングの社長を兼ねる取締役岡本文人、金融子会社ライブドアファイナンスの社長中村長也4名が逮捕される。これを受けて翌24日に宮内の取締役辞任が発表された。取締役会が招集され堀江の代表取締役社長の代表権及び社長の異動が発表された。後任の代表取締役に取締役の熊谷史人が、執行役員社長として平松庚三執行役員上級副社長が就任。堀江、岡本は25日にライブドア取締役を辞任した。
加えて2月22日、証券取引法違反「有価証券報告書の虚偽記載」の疑いで堀江ら3名を再逮捕し、熊谷を新たに逮捕した。これを受け、代表取締役の異動を発表し、山崎徳之取締役が代表取締役に就任した。この間、2月9日には株式会社ライブドアオートとメディアエクスチェンジ株式会社がライブドアグループから離反を表明。また2月21日にはライブドア株主被害弁護団が3月11日には「ライブドア被害者の会」が結成された。
3月13日、証券取引等監視委員会は2004年9月期の連結決算を粉飾した疑いで堀江、宮内、熊谷、岡本、中村の5名と、法人としてのライブドアを証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で東京地検特捜部に告発した。告発を受け、東京証券取引所はライブドア株およびライブドアマーケティング株の上場廃止を2006年4月14日にくだした。また、同日ライブドアでも記者会見をおこない、山崎・羽田寛・熊谷が取締役を退任することに決めた。
同日ライブドアは取締役会を開催し2006年6月中旬に臨時株主総会を開催する事と新任取締役候補の一部を決定した。新任取締役候補に選任されたのは平松、清水幸裕執行役員上級副社長、落合紀貴執行役員副社長である。さらに6月13日、ライブドアは東京地方裁判所へ一時取締役の選任を申し立てた。東京地方裁判所は3月17日に腰塚和男弁護士を一時取締役として選任した。
3月16日株式会社フジテレビジョンが保有のライブドア株式を株式会社USENの宇野康秀社長に売却する旨を発表。ライブドアとUSENは共同の記者会見を開催し、包括的業務提携の締結を発表。4月14日、ライブドア株式上場廃止。このためライブドア株を購入した投資家の株券が紙くずとなった。その後ライブドアの有価証券報告書等虚偽記載にともなう株主による損害賠償請求訴訟が起こった。
その後も2006年に村上ファンドがニッポン放送株でインサイダー取引をしていたとして、村上ファンド代表の村上世彰が逮捕された。村上はライブドアから2004年11月8日、ニッポン放送株式の発行済み株式数の5%を超える取引をおこなう意向を聞かされながら、翌11月9日、2005年1月28日まで、同放送株計193万3100株を売買したのではないかとされている、これがインサイダー取引に該当するとの疑いが持たれた。
村上は、2004年9月15日、すでに買い進めていたニッポン放送株の処理に困ったのではないか、堀江や前財務担当取締役の宮内亮治に、一緒に同放送株を取得するよう要請したのではないかとする指摘がある。この際、「村上ファンドで17%持っているので、ライブドアで3分の3取得すれば同放送を手に入れられる」と持ち掛けたのではないか、これを受け、ライブドアはニッポン放送株式の取得を検討したのではないかとする指摘もある。
2004年11月8日、宮内らが村上ファンド側の担当者らとニッポン放送株式の取得について話し合ったとされている。東京地検特捜部はこれ以降の村上ファンドによるニッポン放送株式の取引がインサイダー取引に当たると判断した。村上世彰とは企業の合併・買収コンサルティングを核とする村上ファンドを創設した人物。大学卒業後、通商産業省に入省し公務員として約16年勤務する中で日本経済の永続的な成長のためにはコーポレート・ガバナンスが大切であることを実感した。
自らがプレーヤーとなって変えていこうと決意して40歳を目前にファンドを立ち上げる。「もの言う株主」として注目を集めた。2006年は企業経営者と彼らを利用して利益をあげる、いわばハイエナのような投資家の話題で終わった1年だった。この年、夢想家ではクリスマスパーティーに、長男の善一が、同じ年の恋人の斉田恒子さんを連れてきた。彼女は早稲田大学理工学部機械科を卒業してファナックに入社して、善一と同じ部署で交際を続けていたようだ。
ファナック社内でも知られていたが人当たりが良くて決して彼女を悪く言う人がいないようだった。そして初めての訪問の時もきちんと挨拶して好感を持たれた。両親は羽田空港近くの町工場に生まれ機械に囲まれて育ち機械をいじることに抵抗がなく育ち、やがて機械の勉強しようと考えたそうだ。結婚については2人が納得した時にするつもりですと答えた。2006年3月12日、久しぶりに池田君から電話でにシティバンクが閉鎖されるという話が出ていると連絡があった。
そして外貨も他の日本の銀行に移管できるという話を聞いたと言った。そして移すとしたら新生銀行かソニーバンクのどちらか良いだろうと言った。ただ、新生銀行は1988年10月に経営破綻し日本政府により一時国有化された日本長期信用銀行である事と2010年3月期の連結決算で最終赤字に陥った事を考え合わせるとソニーバンクの方が良いかも知れないと言った。それに対して娘がソニバンクにいると話すと是非、この話をしてくれと言われ、世之介が了解した。
その晩、陽子に電話して、世之介の3億円と池田君の2.5億円のシティバンクの預金をソニーバンクに移管しようと思うのだけれどと話すと、開口一番、ウソでしょと言った。いや、ほんとだというと、今迄、私が入社して集めた合計預金金額を超す金額だと驚いていた。できるだけ早く、インターネットで口座開設してと言われた。
その大口の顧客の話をし池田君もソニーバンクにインターネットで新規口座開設した。数日後に送金手続きをすると急に陽子が実家に来て、これお礼ですと1万円のVISAギフトカ-ドを2冊、持ってきた。これで今年のボーナスが楽しみだわと喜んでいた。