18話:兼松幸子さんとの生活
夕食後ビールを飲んで兼松幸子さんの話に夢想夫妻が耳を傾けていた。すると、私ほんとは、お酒好きでねと言い、ビールをあけていった。すると学生時代、会社時代、旦那さんのなれそめの話、きわどい話、だまされた話など、多くの話が出たが、夢想夫妻は何も言わず、ただひたすら幸子さんの話を聞いていると、やがて0時になり床についた。そして翌日、帰りに小田原魚センターで魚の干物を買って橫浜に帰った。
兼松幸子さんが来てから彼女が料理上手で旨いものが食べられて助かると、夢想夫妻が喜んでいた。2001年になっても株価の下げが落ち着く気配がなかった。そんな時、2001年2月10日、池田君から電話でシティバンク面白いから、一緒に行かないかと言われ、橫浜駅で待ち合わせた。朝10時に待ち合わせ橫浜駅西口のシェラトンホテル近くのシティバンク橫浜支店に入って説明を聞いた。
すると投資勉強会と口座開設の粗品の情報が気に入って、1千万円以上のゴールドメンバーに登録した。そして担当者から世界株の低調な時は、円高と金、原油が動くと教えられて、現在の円高で豪ドルの為替取引がお奨めですと説明を受けた。長期間のチャートを見せてくれた。この話に確かに言っている事は間違いないと池田も納得した。為替手数料が片道1円といわれ1豪ドル52円なら買いで53円、売りで51円と言われた。2%なら悪くないと池田が言った。
そして池田がシティバンクは米国でもトップクラスの金融機関なのでメインバンクとして使った方が良いかも知れないとと言うことになった。2001年の9月11日に、アメリカニューヨークのワールドトレードセンターにハイジャックされた2つの大型ジェット旅客機が衝突しワールドトレードセンター南棟ビルが倒壊するという大惨事が起きた。アメリカに対する、ビンラディン率いるアルカイーダによる、アメリカ同時多発テロ事件が起き、世界中に衝撃を与えた。
その後アメリカ国防総省本庁舎ペンタゴンにハイジャクされたアメリカン航空77便が総突して爆発炎上した。これを見て、アメリカの威信が完全に揺らいでいるのを感じた。そして、21世紀は台頭してくる 中国、ロシアなどの台頭してきて、アメリカの支配力が完全に落ちてきているのを証明した形となった。ワールドトレードセンターへのテロ攻撃による死者は合計で2763人だった。その内訳は事件当時ワールドトレードセンターに居た民間人が2192人、消防士が343人。
警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっていた。ワールドトレードセンターのツインタワーで死亡した民間人の90%以上は、ジェット機が直撃した階以上のフロアに居た人々だった。北棟では、直撃を受けた階以上のフロアに1355人が閉じ込められ煙の吸引・タワーからの落下・最終的なタワーの崩壊などの理由によって、その全員が死亡した。
北棟の3つの非常階段すべてがアメリカン航空11便の衝突の際に破壊されており上層階から人々が脱出するのは不可能だった。一方で、ワールドトレードセンターのツインタワー北棟において直撃を受けた階より下のフロアで死亡した民間人は107人とされている。南棟で死亡した民間人は計630人であり、北棟の半分以下の数字だった。南棟では、北棟へのジェット機突入の直後から多くの人々が自主的に避難を開始していたため死者の数は大幅に抑えられた。
2001年9月21日の朝、池田君から電話で豪ドルの歴史的な安値だから大量買いしようと決めて1億円、突っ込むと池田君が言うので、夢想も、それで行くと同意した。そして2001年9月21日の夜19時にシティバンクの為替担当者から電話が入り、明日55.5円、手数料入れて56.5円で豪ドルを買ったら良いと思いますが、いくら買いますかと言われ重光の口座から177万ドル合計1億円買うと言うと、そんなに買うのですかと聞いた。
そこで大金だから豪ドル円の為替を中心に運用していくつもりだと言うと、わかりましたと言った。その後の世之介の口座残金が2億円、池田の口座残金が1.7億円となった。この頃には世之介の家の近くに橫浜市のスポーツ施設ができて、安い価格で事務の運動器具でトレーニングできるようになり夢想夫妻と兼松幸子さんは空いた時間に出かけて運動するようになった。このせいか最近、食欲も出て、顔色も良くなってきた気がした。
2001年のクリスマスに善一と陽子がケーキと鳥の丸焼き、プレゼントを用意し恒例のクリスマスパーティーをした。そこで、子供達の仕事の話題が中心となった。善一はファナックの製造部で機械のメンテナンスの仕事を勉強していた。時間も特に長い残業もなく休みには富士山麓、冨士五胡、富士急ハイランドの自然を楽しんだり、ゆったりとした生活をして、寮費と食費が安いので無駄図化しないと金も十分の貯められると喜んでいた。
一方の陽子は楽天証券に行くかSBI証券に行くかソニーバンクに行くか決めかねていた。もう2、3年後には再就職先を決めて転職するつもりだと話した。そしてシャンペンやビールを飲んで床についた。やがて2001年が終わり2002年となった。今年は5人で初詣でに行き、それぞれにお参りした。八王子で昼食をとり、16号線を南下して橫浜の家に帰った。
1,2月は寒いので風邪とインフルエンザに注意して夢想夫妻と兼松幸子さんは買い物と散歩、ジムに行く以外、外出を控えて風邪で寝込むことはなかった。