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寿町の星  作者: 播磨王65
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17話:善一が双子の親にと兼松幸子さんの旦那さんの葬儀

 そして、10月2日、夢想夫妻は山梨の善一が住むファナックの寮へ行った。12時過ぎに行くと、今日、ちょうど、彼女、斉田恒子さんが産婦人科に入院したと教えられた。そして、山中湖の湖畔に2泊する事にしたから、これから一緒に恒子さんに面会に行こうと言った。そしてファナックの社内のレストランで昼食をとった。その後、車に分乗して、富士吉田の病院の産婦人科へ向かい20分位で到着し病室で、斉田恒子さんに面会して夢想夫妻が自己紹介をした。


 母が買ってきたお花を花瓶に入れた。かなり緊張していたので、母が、こめんね、1人で実家から離れて寂しいのに、子供ができるなんてと優しく言うと、2人でしたことですから、なんとか頑張りますと言った。御両親のご了解は、取れたのでしょうねと母が善一に聞くと彼女の実家に行って挨拶して一応了解してもらったと言った。世之介がそれは良かったと言った。数日、山中湖畔のホテルに泊まりますので、また来ますと言った。


 10月3日まだ生まれないと言われたので、口湖の方をドライブした。翌10月4日の朝7時に、生まれたと連絡があり面会開始10時に病室を訪ねると男の子の双子が生まれていた。それぞれ、夢想賢一と夢想賢二と名付けたと善一から聞かされた。それを見て、母が初産で双子、大変だったわねと彼女の手を握ると、涙を浮かべて、ありがとうございますと言った。それもまた何か必要な物があったら連絡してくれと夢想夫妻が言って部屋を出て横浜へ帰っていった。


その半年後の2000年12月6日、池田君から電話が入りN証券を退職したと告白した。その後、一緒に温泉でも行こうと夢想が池田に伝えると、そりゃありがたいと言うので夢想は最近買い換えたばかりのトヨタ・エスティマに乗り橫浜駅で12月8日待ち合わせた。そして、橫浜、戸塚、藤沢から茅ヶ崎の海辺のカフェに入り、一休みした。その後、家田君が運転させてくれと言うので、運転を交代した。そして熱海港に近い温泉ホテルについてチェックインした。


 その晩は池田君の話を夢想は黙って、じっと聞いて、まるで池田君のストレスを解放してやるかのように、ただ聞いてあげた。すると酒が入ったこともあって池田君が人間って雄弁なことは仕事する上では必要条件だが十分条件ではないと俺は反省を込めて言いたい。人間としての十分条件は、やさしさ、愛、おもいやりだときっぱり言った。変な、おべんちゃらなんて、何の役にも立たない。辛いとき、悲しいとき、そばにいて欲しいとき、いてくれる事。


 夢想のように何も言わず、じっと静かに聞いてくれることだと泣きながら言った。俺には残念ながら、それがかけていたと、もう遅いが反省すると言うと号泣した。それを聞いて、それは、お前がどう思うと構わない。俺は、ただ俺のできる事をするだけで背伸びして、やろうと思わないだけだと言った。すると池田君が俺は、お前に会えて本当に良かった。お前は本当にすごい奴だと肩をたたいた。そうて、へべれけになったので、布団に入って寝た。


 と言うか、実際には、夢想は、池田君のいびきで、あまり寝れなかった。そして、翌日は9時まで寝て朝食をとり熱海の海岸を散歩した。そして池田君が、夢想に今後も付き合ってくれよなと言うので、わかったよと答えた。その代わり昨晩、お前のいびきで良く眠れなかったから、今日の運転はお前に任すと池田君に言うと良いのかと言った。今日は箱根を回って帰って良いかと言うので構わない、ただガソリン入れておいてくれと笑いながら言った。


 わかったよと笑いながら鍵を夢想からもらった。そうして、熱海からの曲がりくねった上り坂を走って箱根へ向かった。やがて箱根峠の手前を左折して箱根スカイラインを走り、途中景色の良い所

で車を止めて、眼下の芦ノ湖を眺めた。ぐるっと回って桃源台に向かい、そこで昼食をとった。その後、箱根関所を見学した。そこから、ターンパイクで箱根を降りて小田原へ行って、西湘バイパスを走って、橫浜駅に16時過ぎに着いて池田君と別れた。


 今年、兼松夫妻が用事があってクリスマスパーティーに来れないと連絡が入った。やがて2000年が終わり2001年となった。今年も初詣で夢想夫妻と子供2人で出かけ家内安全と各人の思いを、お願いして帰った。そして1月10日、兼松幸子さんから電話が入って旦那さんの兼松豊和さんが心臓病で入院したと連絡が入った。既に80歳で循環器内科の先生が心臓の機能が落ちているのが心配だと話していた。


 兼松幸子さんは毎日病院に来ては、夜家に帰る生活していると聞いた。そして1月20日、早朝、兼松幸子さんから電話が入り旦那さんの兼松豊和さんが心不全で亡くなったと連絡が入った。息子の太郎さんが以前、交通事故で亡くなり、身寄りがないと沈み込んでいた。すると、夢想世之介が優しく、それなら、うちに来て生活しましょうと言った。それじゃ、悪いわと言うので、今迄、あなたに、どれほど助かられたか、それを考えると、こんな事、小さな事ですよと笑顔で言った。


 奥さんが、うちは夫婦2人きりだったかと言い泣いた。その話を聞いて人の情けって、本当にありがたいものねと兼松さんが言い涙を浮かべた。すると兼松幸子さん、僕らが困ってるときに助けてくれた恩人だから、これ位の事あたり前ですと言った。その後、葬式の手伝いもしますからというと、お願いしますと言った。後日、葬式の会場と葬儀の案内所を出す宛先を聞いて手配した。葬儀は1月25日となり参加者は11人とわかった。


 葬儀の日、保土ケ谷の家をエスティマで出て、兼松さんの親戚の4人をのせて7人で橫浜市営の葬儀場に向かった。そして、葬儀が終わり墓地へ埋葬へ言って終了した。その後、徐々に暖かくなり4月を迎えて、兼松幸子さんと3人で、熱海温泉に車で出かけた。熱海について、ゆっくりと温泉に入り、奥さんと兼松幸子さんが風呂で、兼松豊和さんの話や結婚後のエピソードを聞かされた。

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