14話:子供たちの就職とネットバブル崩壊
1999年、1月5日、善一がトヨタに就職するかファナックに就職するか迷っていると相談に来た。そこで世之介が良く聞くとトヨタなら世界企業で間違いないが、自分の専門はコンピュターによる機械制御、その点からするとファナックがぴったりだと言った。そこで、相談のポイントを話せと言い、大企業で安泰に生きるか、多少リスクがあっても将来性のある企業を選ぶか迷っているとか聞き直すと、その通りだと言った。
俺なら、善一は、まだ若いから未来に挑戦してもらいたいねと言うと、なる程ねと言い、確かにその方ばやりがいもあるかもしれないと言った。そして数日後、ファナックを受けることにしたと話してくれた。気になったので、その後、陽子に就職のことを聞いてみると、私は、まずN証券を受験して、これから新しくて面白い証券会社か銀行が出て来たら、その時に、再就職するかも知れないと話した。だから、なんとしてもN証券に合格しなくてはならないと言った。
そして1月10日、過ぎてから企業訪問に出かける日々が増えた。そして、2月18日に善一がファナックで内定をもらったと言った。その後、陽子がN証券の試験と面接を受けに行くと言い出かけて、なんとかは入れたと報告しに来た。そして善一が山梨県の忍野村の本社に行くから、そちらで寮生活を始めると言った。陽子はN証券橫浜支店に配属されたと言った。そして4月になり子供達2人とも会社の研修に入った。やがて5、6月が過ぎ8月のお盆休み善一と陽子が家に帰ってきた。
善一がファナックの会社は、すごいと開口、一番に言ってメカトロニクスと言ってコンピュータ制御の最新鋭の機械を開発していて、自分のやりたかった仕事にぴったりだと感想を述べていた。不景気になって株価が下がった時にファナック株買うと良いよと、父、世之介に話していた。一方、陽子の方は楽天がアメリカの証券会社、DLJ証券と合弁でインターネット証券会社を立ち上げたと言いソフトバンクもインターネット証券会社を考えていると話した。
あと2,3年で株式売買手数料が現在の半分どころか数分の1に下がる時代が来ると熱く語っていた。そして善一が世之介に車、貸してと言い、8月15日、早朝、車に陽子と母を乗せて、富士山周辺の高原をドライブに行ってくると出かけて行った。そして、その晩、19時に兼松夫妻から電話が入って、明日、伺って良いかと言い、子供達が夏休みで帰って来ているというと、会うのが楽しみだと言った。そして、世之介が、お待ちしていますと言った。
その晩23時過ぎに、善一と陽子と母を一緒に帰って来た。興奮していた、母がファナックの本社を見て来たが、林の中大きな工業で忍野湧水で有名な忍野村にあると説明した。陽子は涼しくて気持ちよかった話した。そして明日、小さい頃から世話になっている兼松のおばあちゃんが来るよと言うと、会いたいなと陽子が言い、また、ケーキ買ってくるのかな善一が言うと、クリスマスは早いだろうと、父が笑った。そして風呂にはいて0時過ぎに、床についた。
翌、8月16日、午後17時頃、兼松夫妻が大きなケーキを持参してやってきた。すると世之介がとっておきのコーヒーを入れた。兼松おばあちゃんが2人とも立派な大人になったねと目を細めて喜んでくれた。それに対して2人が小さい頃から可愛がっていただき、ありがとうございますと言うと、目が潤んで、うれしいこと言ってくれるじゃないかと言いながら涙をふいた。やがて旨そーなコーヒの香りがしてケーキをとりわけ母が持ってきた。
食べると旨いといって子供達が、うれしそうに食べた。ケーキ食べた後、今日は奮発し夕飯に崎陽軒のシュウマイを人数分買ったと世之介が言うと子供達が豪勢だなと笑った。そして夕食を6人で食べた。その後、子供達の就職先の話や兼松夫妻の旅行の話などが続き20時なり兼松おばあちゃんが、こんなに遅くなったと言い帰った。そして夏休みが終わり夢想家も2人だけになった。そして11月中旬に2泊3日で兼松夫妻と八ヶ岳の一足早い紅葉見物と諏訪と松本の温泉旅行へ言った。
最初に八王子から中央高速で韮崎インターチェンジで降りて小海線沿いに走り、清里へ行った。清里から八ヶ岳高原ラインを走り、東沢大橋で真っ赤な紅葉をみて写真を撮った。その後、小淵沢から中央高速で諏訪に行き、諏訪大社をお参りして、参道の美味しい蕎麦屋で今年の新そばを食べた。そして諏訪湖畔の宿に入り温泉につかり、夕食後、地酒を少し飲んで、熟睡した。翌朝、8時に宿を出て、乗鞍高原まで足を伸ばして、高原の紅葉を満喫してきた。
その後、松本に戻り、地元料理の美味しいお店で昼食に馬刺しとわさびの漬け物と温かいそばを食べた。そして松本城を見学して、美ヶ原温泉のホテルに泊まった。翌朝、8時にホテルを出て、穂高、安曇野に向かい、北アルプスの紅葉の美しいところを見て、写真を撮ってきた。そして帰りは豊科で「安曇・サンふじ」と言う中心部にたっぷりと蜜が入ったリンゴを10kg買ってきた。その後、豊科インターチェンジから中央高速道路に入った。
途中の中央高速道路のパーキングエリヤで休みながら横浜に戻り兼松夫妻がを自宅まで送った。やがて12月になりクリスマス。毎年恒例のクリスマスパーティーを兼松夫妻が夢想の家に来て、善一と陽子も帰ってきていて6人で大きなケーキと鳥の丸焼きで楽しんだ。
そして、善一と陽子さんが兼松夫妻にクリスマスプレゼントとして陽子は手袋、善一はマフラーを買ってきてプレゼントし、その時、学生時代の時、毎回、お年玉をくれて、ほんとにありがとうと2人が言った。兼松おばあちゃんが、たまらず、あんな小さく可愛い子が、こんな立派な大人になったと言い、大粒の涙を流しプレゼントをもらった。これには、母もたまらず泣した。