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寿町の星  作者: 播磨王65
13/31

13話:20世紀終盤の経済波乱

 この年の世界的な出来事の1つ目、7月1日 、香港がイギリスから99年間の賃借契約が終わり中国に返還され事だ。次、翌7月2日タイ政府によるタイバーツとドルのペッグ制は終わりを告げ変動相場制に移行した。これによりアジア通貨危機が始まった。それまでの24.5バーツ/ドルだった為替レートが一気に29バーツ/ドル台にまで下がった。このため国際通貨基金「IMF] などは同年8月11日、20日の2回に分けて172億ドルの救済を行った。


 1998年1月には、最低の56バーツ/ドルを記録する。タイ中央銀行が必死に自国通貨を買い支えるべく奮闘しながら果たせなかった様を指して「血塗れのバーツ」とも呼ばれた。この後、タイ証券取引所「SET」の時価総額指数であるSET指数は357.13(1997年の最高値は858.97、史上最高値は1994年の1753.73)まで下落し、翌年には危機後最安値である207.31「史上最高値の11.8%」を記録した。


 それまで対外資金によってファイナンスされていた不動産バブルの崩壊に加え、IMFが融資条件として課した政府支出の削減と利子率の引き上げが、景気後退期における総需要の更なる減少を招いたこともあり、それまで好景気を謳歌していたタイ経済はあっという間に崩壊し、タイでは企業の倒産・リストラが相次ぎ失業者が街にあふれかえった。タイの通貨の変動を受けてバーツ経済圏にある、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアも少なからず打撃を受けた。


 そのためIMFは40億ドル、世界銀行は15億ドル、アジア開発銀行は12億ドルの支援を行った。このほか、二国間支援として日本は40億ドル表明しアジア諸国へも二国間支援への働きかけを行った。二国間支援総額として105億ドルが支援された。8月31日、現在でも謎が多いダイアナ元英皇太子妃のパリで事故死が起きた。11月3日に三洋証券破綻。証券会社の倒産は戦後初。続いて11月22日にバブル崩壊の象徴とも言うべき山一證券の多額の負債を隠しての破綻となった。


 この事件を見て夢想も現在のネットバブルと言われている株価高騰もそう長くは続かないと考えていた。その後、善一も陽子も夏休みと冬休みにアルバイトして友達と小旅行に出かけていた。そして、12月24日のクリスマスパーティーを開いて、今年を振り返った、そして、昨年同様、兼松夫妻が子供たちに来年のお年玉を2万円ずつ下さった。そして1998年を迎えた。そして、今年も初詣でに出かけ、家内安全と投資成功を祈願して来た。


 今年も冬休みは無償の子供たちがアルバイトをして、3月にスキーに大学の友人たちとスキーバスで群馬県尾瀬スキー場へ行った。そして今年は2月7日に長野冬季オリンピックが開かれて、3月5日からは長野パラリンピックも開かれた。そして4月を迎えて、兼松夫妻に連絡すると、毎月1、2回のバス旅行か熱海、箱根の温泉に1泊で出かける生活を継続して旦那さんも毎年、手術した病院で検診を受けて健康を保っていると教えてくれた。


 その後、夏休みに善一と陽子がアルバイトをしてお盆過ぎに北海道へ友達と旅行へ行くと話していた。今年は8月6日に車で冨士高原ドライブに兼松夫妻を誘い、朝8時半に鴨居のマンションへ行き、東名高速橫浜インターから入り、御殿場インターで降りて山中湖で湖畔からの景色を眺めて、一休みした。その後、河口湖へ行き湖畔の食堂で昼食をとり、休んで景色を眺めて、鳴沢氷結に入って涼んだ。そして本栖湖を眺めて、富士宮の白糸の滝で涼んで休んだ。


 そのまま冨士山麓を回って御殿場で一休みして珈琲を飲んだ。そして出発し箱根桃源台に到着して15時過ぎに仙石原の温泉ホテルに泊まって、温泉に入った。するとは涼しく、エアコンでなくて窓を開けていて爽快だった。ホテルの豪華な夕食を食べて、また、温泉に入り部屋でビールを飲んで、21時過ぎに眠くなり床についた。翌日は9時半にホテルを出発して箱根九頭龍神社本宮をお参りして箱根関所跡を見学してた。そして箱根新道から国道1号線を下った。


 早川港の小田原さんかなセンターの食堂には入りあじフライ定食を食べた。その後、魚の開きを少し買って西湘バイパスを平塚方面へ行き、茅ヶ崎、藤沢、戸塚と抜けて、午後16時に鴨居の兼松夫妻をマンションでおろし、16時過ぎに夢想夫妻が家に帰ってきた。その後、秋風が吹く10,11月と過ぎて、12月24日のクリスマスパーティーで善一と陽子が将来の話をした。善一はコンピューターで機械を制御する方法について勉強していて、それに関する仕事に就きたい話していた。


 陽子の方は証券会社、先進的な銀行なんか面白いと思っていると話してくれた。そして来年は就職ですねと兼松夫妻に言われて、そうですようね陽子が言った。すると世之介が、お前、そんな頼りないことで大丈夫かと言うと、私は、こう見えても頑張るときは頑張りますからと、おどけて言うと大笑いになった。


 そして今年も兼松夫妻からの、お年玉の前渡しを2人ともうれしそうにもらった。すこしして1999年、20世紀、最後の年となった。今年も初詣でには、かかさずに行き、家内安全と投資の成功を祈願していた。

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