表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寿町の星  作者: 播磨王65
1/31

1話:赤面症で退職へ

 橫浜、寿町は元町通を石川町駅を降りて華やかな元町と反対方向へ歩くと全く正反対の世界が広がる。極端に狭い簡易宿泊所が、いくつもあり1泊千円の看板も見える。そして浮浪者の住む町の感じとなる。1990年代、車で、この通りを通れば当たり屋と呼ばれる連中が、わざと車に当たってきて、はねられたと叫び、回りから多くの浮浪者が出て来て、金を脅し取る光景も珍しくなかった。そんな中に一風変わった人が住んでいた。その男の名は夢想世之介と言う。


 彼の生い立ちもユニークだ。夢想の両親は外務省関係で海外生活が長く他の兄弟2人、1943年生まれの姉と1947年生まれの弟が両親にくっついて海外へ行き、海外の学校を卒業し、それなりの仕事をしている。両親は日本に戻ってくるよりも海外の方が税務、投資の面でメリットがあるとして米国の国籍を持っていた。主人公の夢想世之介が中学卒業した時に一緒に海外へ行こうと言われロザンゼルスに家族で出かけた。


 その時、両親の友人の黒人の方に会った瞬間、その独特の臭いと強烈な恐怖感を感じ、その家のドアから外に出て泊まっているホテルに帰ってしまった。その後、外人臭に耐えられないと感じ、両親と一緒に住むのを断念した。しかし両親が世之介が不憫だと思い東京郊外の公務員用住宅の月15万円、2DKのアパートに住まわせて、後は自分で自立して行きなさいと言われ、世之介の口座に今後の学費と生活費として1500万円を残し、1965年に日本を離れた。


夢想は東京大学理学部数学科に入学してもひとりぼっちだった、それでも世の中、面白いもので大学時代に苦学生だった池田真之介と仲良くなった。彼は商学部の学生で奨学金を借り更にアルバイトをかけ持ちしながら学校に通う男だった。世之介も、やっと大学で友人ができた。いつしか夢想が池田に両親が日本を出て帰ってこない現状を話すと、そんな親もいるのかと驚いて同情してくれた。彼も、かなりの潔癖症で好き嫌いの激しい男だった。


 彼も友人がいなくて理由が汚い部屋に一緒にいることできない、つまり一般の学生寮や学生アパートでは汚くて、座ることすらできなかった。その点、夢想のアパートはきちんと整理整頓され掃除がが行き届いており風呂もトイレもいつも清潔だった。それから、たびたび遊びに来くるようになった。やがて1968年4月に大学を卒業して池田は日本最大の証券会社N証券に就職したと連絡があった。


 その後、池田が夢想のアパートに来て夢想も大手銀行に就職したが対面恐怖症でお客と対面して話すると顔が真っ赤になり汗が出て来て話を続けられなくなる事がしばしばあった。そのため女子行員の経理事務のチェックをするように上司から命じられた。それが原因で女子銀行員に嫌われ仕事仲間に距離を置かれるようになり、昼食もいつも1人で仲間はずれにされた。そのため、いたたまれず就職した年の年末にボーナスをもらってから退職した。


 その話を池田君に話すと気の毒にといったが世の中、余り周りの人のことばかりを気にしてたら働いていけないぞと言われた。その後、国立大学の3年間の学費、生活費、住居費の合計540万円を支払い親にもらった1千万円の残金が460万円となったと話すと、池田が驚いて安いアパートに引っ越せと言った。そして家賃3万円と古いアパートを鶯谷のキャバレーの2階の元倉庫を改造した部屋を探しあてた。


 この時、食費が4万円でアパート代3万円で雑費2万円で月9万円の出費でアルバイト代が7万円で同じ、収益と支出が同じで支出を減らさない限り金が増えないと言うことがわかった。その後も池田が心配して電話をくれ、とにかく家庭教師のアルバイトをして食いつなげと指示した。そこで仕方なく高校生の数学、理科の家庭教師をして、週2回で5千円を20人を教えていて、月に10万円の収入を得られるようになった。


 そして1年が経ち池田が夢想の家に来て、株で儲けさせてやるからN証券上野支店で俺の顧客になれと言うので言うとおりにした。その後、夢想が投資予算100万円をN証券上野支店口座に入れろと言われ送金。そして夢想の資産残金が300万円になった。1970年11月4日に池田が夢想に就職できたかと聞くと、どうも、できそうにないと小さな声で言うと、そーかと言い、とにかく朝8時から10時までは家にいて電話に出られるようにしておけと言われ了解と答えた。


 その後、1971年12月27日にホンダ株が安いから買えと言われ了解し39円で2万株買いを入れると言い、昼前に買えたと電話が入り残金が22万円になったと言われた。やがて1971年

が過ぎ、1972年を迎えた。すると、池田が日曜日に夢想のアパートに来て、冷蔵庫とコンロを買ってきてくれ、その後も米や肉、卵、野菜を買ってきてくれるようになった。


 いつも、悪いなーと夢想が言うと、良いって事よ、いつか、この分、以上に返してくれると思っているからと、笑いながら言った。たまに来て外食に誘ってくれた。そして証券会社は競争社会で本当に大変だとか池田の仕事の愚痴を夢想が親身になって聞いてやるようになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ