箒を片手に、異世界に立つ。
昔からよく言われていた。
『シュン君は優しいねぇ』
と。
小さい頃、母の洗い物を手伝った時に褒められたことを始めに、人助けというか、お手伝いに目覚めた。
祖母からも情けは人の為ならずという言葉を聞いた。回り回って自分に返ってくるのであれば、それはきっと人助けではなく自分助け。優しいと言われることでは無い。
しかしまぁ、優しいと言われて嫌な気分はしない。むしろ率先して褒められるようにしていた。
近所の方々にはそれはそれは可愛がって貰えたと思う。肩叩きとか、洗濯の手伝いとか、言われれば何でもしたし、愛されキャラだったと思う。
そんな性格は高校にまで上がっても変わることは無かった。
しかし子どもにとって、なんでもやってくれるってのは都合のいい存在に変わりない。だって、親から散々尽くされてきたのだから、そういう奴が居ても有難いとは思わないのだ。
「シュン君、掃除やっといてくれる?」
「伏見君、よろしく~」
「あはは、やっとくよ」
これもまた、優しさなんだと思う。回り回って、自分に返ってくる。そう思って箒を握る。その手には、多分必要以上の力は加えられてない。ありがとうと言われたい訳じゃあない。ただ、それでも毎日のようにこれじゃあ、ちょっとはムッとくる。
「にしても伏見くん可哀想じゃん、良いの?」
「いんだよ、やっててくれるんだから」
「それなー」
「「「ぎゃはははは」」」
竹細工の箒がミシリと音を立てる。入学して数ヶ月経ったけれど、中学校の時と対して変わりない立場だった。
放課後、まだ日が照ってる中グラウンドで運動部が走り込みをしている。サッカー部と野球部と…陸上部か。青春ってやつなのかね。
「はぁ…どーこで間違っちゃったのかなぁ」
別段、祖母を恨んだりとか自分の性分を呪ったことは無い。人助け、いや自分助けというのは存外気分が悪い物じゃない。実際、他人が喜ぶと自分も喜ぶなんて同調効果みたいなのも証明されているらしい。
「ただまぁ、1人でこうやって掃除するのはなんだか惨めって感じで嫌になるな。さっさと終わらせるか」
そう考えれば楽である。一時腹を立てるのは仕方ないのだと言いたい。
箒を両手で持ち、教室の端から端までを掃いていく。自然と視線はフローリングへと向き、ゴミの存在を探し回る。
にしても汚い。放課後教室でお菓子を食べる人がいるのだろう、ゴミ袋が落ちていたりもする。
フローリングには時々落書きのようなものもある。シミもあるし、シャーペンの芯とかも落ちてる。よく見ればゴミってのは結構ある。ここまで多いとやりがいもあるなぁ。ほら、石ころもあるし、草だって生えてる。岩だって転がってるし木だって─────
と、そこで思考にブレーキがかかる。
おかしい、おかしいよな? なんでフローリングに石やら草やらがあるんだ? そういえば、今俺は端から端まで掃くつもりだったが何メートル掃いた?
恐る恐る顔をあげると、そこにはいつも通りの景色なんて物は無かった。木々が生い茂り、空は暗雲に敷かれ、赤色のモヤのようなものが見える。まるで樹海。鬱蒼とした樹海のようだった。
「……は?」
片手に箒を持ち、間抜けな顔をした人間がそこには居た。というか、俺だった。
あれから数十分、周りを歩き回って見たが、どう考えても学校付近ではない。そもそも教室からこんな所に移動出来るわけもない。
頬も抓ってみた。痛い。夢じゃあない。じゃあここは何処だ。俺は何を見ているんだ。
なんというか、空気が違う。現代文明に冒された空気ではなく、もっと粗野で、荒々しく、それでいて自然的だ。現代日本にこんな所があるとは、驚きである。
「………とりあえず人を探さなきゃな」
どこかへ飛ばされた、というのなら、最早認めるしかない。目を閉じたって現状は変わらない。順応するのは早い方だと自分でも思う。不安は残るし、ゾッとするが。
「方向も道も分からないまま歩いて良いのかな。ケータイは…」
ポケットに入ったケータイを思い出し手に取る。
『圏外』
予想は着いていたが、やはり圏外だ。周りを見てもひとつも人工物は無いし、当たり前か。1つの望みが消えたことにため息をつき、歩みを進める。
「……っ……ぅぅ…」
不意に声が聞こえた。
気が付けばそっちに走り出していた。今のは、うめき声だ。
「こっちですか!? 怪我しましたか!?」
声の方へと全力で走り、声を上げる。
「……ぅっ…あ…」
茂みを掻き分け、遂に音のした場所へと辿り着く。そこに居たのは────
「……にんげっ…ん……かっ…」
全身が血だらけで倒れている女性だった。
至る所から出血しているようだった。よく見れば足に槍のような物が刺さっている。
「大丈夫ですか!? 待っててください! 今助けます!」
ポケットからハンカチを取り出す。いや、これだけじゃ足りない。俺はズボンや服の裾を破り、包帯代わりに巻つけようと試みる。
「……近付くなッッ…!!」
瞬間、怒気がオーラとなって空気を弾く。女性はこちらを睨み、力無く放たれていた腕を力ませた。
「……去れッ!」
地面の土が飛散し、物すごい速さで向かってきた。突然のことに対応出来ず、顔を腕で覆うが、石ころが体を切り裂く。
「ぐっ…混乱してるんですか…大丈夫です! 自分はただ助けようと!」
「……ちかよる……な……っ…ぅ…ぅ」
「大丈夫ですか!? もしもし! くそ!」
意識が無くなったらしい。状況は掴めないが、出血が酷すぎる。まずはそちらの対処だ。気絶してくれたお陰で処置は出来そうだ。
人の体に包帯を巻くというのは、起きてる人間にするならともかく、動かない相手にする場合、かなり疲れる。汗をかきながらも必死に血を止める。あんまり強く締めすぎると今度は血液が通わなくなってしまう。
「止まれ! 止まれ!」
言霊なんて信じてはいないが、叫ばずには居られなかった。自分の居場所が分からずとも、名も知らない女性だったとしても、今すべきことは分かる。
胸……は難しいので首に手を当てる。心臓の鼓動は……感じる。まだ生きている。息もしているみたいだ。外傷も出血だけだろう。なんとか止まったし、しばらく寝ていれば起きる…と思う。
「……にしても綺麗な人だ」
金色の長髪で、腰元まで伸びている。スラッとした鼻筋に、くっきりとした目。気絶した相手をまじまじと見ることに罪悪感を覚えるが、それでも惹き込まれるほどの美しさだった。まるで人間じゃないようだ───
ガサリと音が鳴る。ガサガサと、草木を掻き分けている音だ。
良かった! 人が居た! これで助かる!
「助けてくッッ───」
言いかけ、留まる。よく考えろ。今この女性は血だらけで倒れていたんだぞ? そして、さっきの怯えのような眼差し。まるで襲われた後のようじゃないか。
不味い────ここに居ては。
ガサガサという音がこちらに一直線に向かってきている。声を出してしまったせいで、バレてしまった。
女性の脇に手を入れ、なんとか抱えるようにして持ち上げる。かなり重いが、1度持ち上がれば動けないほどじゃあない。幸い、草木は肩ほど高く、遠くからは見られない。少しでも早くここから逃げ出さなきゃならない。
確信はない。直感だ。ここに居てはいけない。
少し歩いて後ろの方から声が聞こえる。
「血だっ!」
「この近くにいるぞ!」
「逃がすな! 手負いの吸血鬼だ! 殺せば一生遊んで暮らせるほどだぞ!」
「俺はこっちに行く! 手分けして探せ!」
1人やふたりじゃない。何人もの人がここに向かってきている。どうする…この草木の高さだ、どこか隠れそうな所があるはず…
「くそっ…どこ行きやがった! あの吸血鬼!」
こっちに来ている音がする! 早く逃げなきゃ!
周りを見渡し、隠れられそうな場所を探す。すると、少し遠くの木にうろを見つけた。あそこなら隠れられそうだ。
素早く、しかし音を立てないようにして移動する。距離が近い。急がなければ。
「お、おい! どこにいやがる! いまそこで音が鳴らなかったか!? おい!」
興奮しているのか、男が叫ぶ。何秒か間を開け、つんざくような音がした。
パァンッッッ!!
乾いた発砲音。銃声だ。
突然、今以上の恐怖がやってくる。さっきまで遠くにあったはずの死の恐怖が寸前まで襲ってきている。心臓の音がうるさい。
その後、もう1度発砲音が聞こえたあと、ガサガサと、別方向へと音は去っていった。
なんとかうろに辿り着き、一息つく。そして全身がガタガタと震えた。あの音は確実に銃声だった。撃ってきたのだ、この女性に当てるつもりだったのか、あんな武器で。
女性を肩から降ろし、木に持たれ掛けさす。まだ寝ているようだった。そういえばお腹も空いてきた。空を見れば、もう夜だった。暗雲立ち込める空はさらに暗さを増し、暗闇に包まれた。
そこかしこから獣とも鳥ともつかないような鳴き声が聞こえてくる。今、自分が頼れる物は何も無い。
俺が、何かしたんだろうか。俺はただ任された掃除をしていただけなのに。何故俺はこんな所で泣いているんだろう。
流れ出る涙は止まらず、恐怖に怯えるだけしか出来ない。ケータイを出し、時間を見る。16時過ぎ。掃除をしていた時間から10分も経っていない。時計が止まっている。頭がおかしくなりそうだ。
普段の日常が突然、音もなく崩れ去ったのだ。高校生がこんなもの、受け止めきれるわけがない。叫ばないだけ褒めて欲しい。
1時間くらい経っただろうか。今、時計は止まり確認する事も出来ないが、体感はそれくらいだった。
女性がもぞっと動いた。一瞬ビクッとしたが、起きてくれるのなら有難い。1人だと心細くてどうにかなりそうだったからだ。
「………んぅ…?」
「起きましたか、えーと、おはようございます」
「っ!? 誰だッ!」
「うわっ、あ! 今動いたらまた血が!」
「血……? そうか、そういえば私は確か」
目が覚めた女性は後ろに飛び跳ねる。が、その後女性は全身を見渡し、目を細める。
「これはお前がしたのか」
「包帯のことでしたら。あの、あんまり動くと危ないですよ」
「そうか…」
訝しむような目をこちらへ向け、少し時間が経って女性はこちらへ頭を下げた。
「礼を言う。どうやら助けてもらったようだな。名前はなんて言うんだろうか」
「俺ですか、えと、伏見シュンです」
「私の名前は『リーイザベルト=フォン=アルゲート』だ」
「なんて呼べば良いですか?」
「そうだな…リザ、と呼んでくれたら良い」
リザと名乗る女性はそう言うと、立ち上がる。
「どこかへ行くんですか?」
「あぁ、世話になったな。たが、これ以上首を突っ込まない方が良い。シュン、と言ったな。私と君は相容れない。しかし礼はせねばな」
「相容れ……? あぁいや、そんな目的のためにした訳ではないので気にしないで下さい」
「近くの街で良ければ送ろう。動けるか?」
「いえ、それはこっちのセリフなんですが…」
よく見れば足に刺さっていた槍がいつの間にか抜けている。どころか、よく見れば穴なんてものも無かった。おかしい、幻覚と言うにはあまりにも痛々し過ぎたろうし、しかしあの傷が瞬間的に治る訳もない。
「時間があまり残されていないものでな」
「はぁ」
要領を得ないが、連れていってくれると言うならそうしてもらおう。この女性も病院に行かないと危ないだろうし。