情けは実らず
真夏のある日、J は日光が照り返る歩道橋の上にいた。肩にかけたタオルで汗を拭いながらフラフラと歩いていると、正座をしながら
「大学へ進学するためのお金がありません。お願いします。」
と書かれたダンボールの切れ端を掲げた、およそ高校生ぐらいだろうか、細身の男の子が段々と目に入ってきた。
J は、今年定年を迎え、余生をどうしようかと考えるのが日課になっていた。年金は大して貰えなかったが、若い時から仕事に捧げた分、手元には十分なお金がある。35年間共に人生を過ごした妻は昨年この世を去った。可愛がっていた一人息子も、10年前に交通事故で失っている。身も凍える真冬日のことだった。これならいっその事、奉仕活動も悪くないと考えていた時だった。J は、この青年の願いに少し手を貸すことにした。
「おいアンちゃん、これぐらいしかねぇけどやるよ。気張れな」
そう言うと、J はズボンのポケットから徐に2万円を取り出して、青年に手渡した。青年は、
「ありがとうございます!こんな僕にありがとうございます!」
青年は、目に涙を浮かべて J から手渡された2万円を握りしめていた。それからというもの、その歩道橋を通るたびに、その青年はいつも正座をしてダンボールを掲げている。
J は、滝のように流れる汗を拭くことも無く、こけた恵みを求める青年の姿に段々と息子の影を重ねるようになり、その思いが強くなればなるほど、J が手渡す金額は増えていった。ある時は、青年を自宅に呼び、風呂で背中を流し、自慢の手料理を振舞ってやった。久しぶりに水準の生活に触れた青年は、快活な笑顔を見せていた。
青年の名前は、タカシ。奇しくも、10年前に失った息子の名前と同じだった。老人の心は、10年間止まっていた息子の時間が動き出したような感覚を覚え、家に居候させることにした。それから毎日、J はタカシの大学受験のために父親代わりとなって支援し続けた。
過ぎる事、6ヶ月。タカシは有名大学に入学。それもトップの成績だ。授業料全額免除、大学4年間は丸々奨学金で過ごすことが出来る。
「父さん、僕頑張ったよ! 本当にありがとう。感謝しています。」
Jは何も言葉をかけることが出来ず、
「よくやった。よくやったよ」
と繰り返し、ただただタカシを抱きしめるだけだった。
次の日、Jが目を覚ますと、いつも食卓にいるはずのタカシがいなかった。
「タカシ?タカシ!どこにいるんだ!タカシ!」
いくら叫んでもタカシは現れない。食卓に目をやると、何かが書かれた紙がある。
「父さんへ
こんな形で別れを告げることになりたくなかった。本当にごめんなさい。
でも僕はもう父さんの世話になるわけにはいかない。
本当に沢山のことをしてもらった。ありがとう。一生忘れないよ。」
不思議と涙はこぼれなかった。J は、初めて息子の旅立ちを送り出してやることが出来たのだと感じていた。それは、父親としてそれ以上のものはない。J の心は幸せに満ち溢れていた。
それから4年、Jは住んでいた家を一部リフォーム、身体の衰えを感じながらも余生を満喫していた。ふと、チャイムが鳴った。モニターを見ても誰か分からない。見知らぬ男だ。
J はドアの前で、
「どちら様でしょう」
と尋ねる。すると見知らぬ男は、
「僕だよ。タ...」
声を聞いた瞬間、J はドアを開けていた。
「タカシか!元気だったか!!」
だが、その歓喜は一瞬で嘆きへと変貌した。
「父さん。僕、大きくなったんだ。そう思わないかい?」
J の腹部からは、大量の血が流れている。
呼吸することもままならず、J は玄関の床に倒れこむ。意識が朦朧とする。
ドアから差し込む光は、逆光となりタカシの顔を陰へと誘う。
タカシの顔は、微笑んでいた。




