Ⅰ お付きの騎士
ここから第二部になります。彼らにとっての“日常”のお話。
「羽目を外したいんだけど」
と、頬杖を付いて言うのはリュウだ。
「どうすればいいかな」
「それは困りましたわね」
「うん?」
「リュウ様はいつも羽目を外しているではありませんか。これ以上如何やって羽目を外すおつもりです?」
「あのねえ、俺の話じゃないって。アルスだよ、アルスが羽目を外せるようにするにはどうしたらいいんだろうって」
ティーカップを並べながら、リイはそうですかと答える。
「ちなみにお訊きしますが、どうしてそのようなことを思い立ったのです?」
「アーロに行く前に約束したんだ。それにほら、アルスってばいつも俺の心配ばっかしてるから」
「それは当然ですわ。アルス卿はあなたの側近の騎士です。あなたに起こり得るすべての出来事を心配し、警戒をして護衛することが仕事です」
「にしても心配性なんだよ、アルスは」
「リュウ様が奔放すぎるゆえです」
「これでも真面目に考えてるんだぞ。何かいいアイディアないわけ?」
手を止め、リイはグリーンの瞳を王子に向けた。
「でしたら、イオリ様に訊いてみてはどうです?」
「えっ……ど、如何して」
「あの方ならいくらでもアイディアがあるでしょうから。お呼びしましょうか?」
その申し出に慌てて首と手を振るリュウ。内心では冗談じゃない、と気が気でなかった。
「いやいやいや、いいってば呼ばなくていい」
「まあ、イオリ様は今の時間は外出しておられますけどね」
けろりと言ってのけるメイドに、王子は片頬を引き攣らせた。
「からかいやがって……」
「あらリュウ様、わたしはからかってなどいませんよ? 親切で申し上げたのです」
「イオリじゃ親切でも何でもないって。あーあ、こうなったらアルスに直接訊こうかな」
ふふっと、リイは微笑んだ。普段からあまり表情豊かな方ではないが、時折見せる柔らかい笑みはとても優しい。
「それがよろしいです。リュウ様らしいではありませんか」
「それはどうも」
リュウは皮肉たっぷりに言い返した。
というわけで、アルスを探すことにしよう。
王宮騎士団の副団長を務めているアルスは、第二王子であるリュウの側近でもあった。側近とはいっても、四六時中くっ付いているわけではない。王宮内は警備は万全(どこぞのネーラ脱走の件は例外として)だし、お互いに王子としての騎士としてのスケジュールがある。外出時は護衛は必須だが、普段王宮で過ごす分には別行動はよくあることであった。
とりあえずリュウは、別棟にある騎士団の宿舎へ向かってみた。
「殿下っ、い、いったいどうされましたか?」
いきなりやって来た彼に、宿舎の入り口で門番をしていた騎士団員は思わず上擦った声を上げる。
大した用事じゃないんだけど、とリュウは言う。
「アルスを呼んでほしいんだ」
「はっはい、モリーズ副団長でしょうか。承知いたしました、すぐに呼んで参ります」
と、彼は宿舎の中へ飛んでいった。
五分ほど待っていると、慌てた様子でアルスがやって来た。
「お待たせして申し訳ありません、リュウ様。どうされましたか?」
「ちょっと訊きたいことがあったんだけど……風呂上りだった?」
アルスはいつもの着込んでいる姿とは打って変わってノースリーブの黒いハイネックを着ていたが、素肌や髪は濡れていた。仄かに石鹸の香りがする。
「す、すみません。先ほどまで剣の稽古をつけていまして、汗を流しにシャワーを浴びていたもので。すぐに着替えて」
参ります、と言いかけた臣下に向かって手をひと振りすると、その場にふわりと風が巻き起こった。
リュウはにやっとする。簡単な風の魔法だった。
「どう? 乾いたでしょ」
「これはこれは、ありがとうございます」
さらさらと髪が乾いた感触を手で確かめて、アルスは少し照れたように笑う。
「今、時間大丈夫? そんなに時間取らせないつもりだけど」
「ええ、もちろんです。王宮の方へ移動されますか? それか、リュウ様がよろしければ――中庭で海ソーダを冷やしておりますが」
リュウの蒼い眼が輝いた。
「えっ、ほんとに? じゃあ中庭行くよ」
「かしこまりました」
そこへ門番の騎士が小走りで戻ってきた。ぜいぜいと息を切らしながら、
「ど、こか……外出でしょうか」
二人の顔を交互に見て訊ねる。中庭にいるとだけ答えると、アルスは王子を宿舎の中へと案内した。
「わざわざ出向いていただいて、海ソーダだけでは申し訳ありませんが」
「何言ってんの。冷えた海ソーダのためなら王宮中歩き回るよ、俺」
「リュウ様は幼い頃から好きでしたね」
「蛇口を捻れば出てこないかなって考えるくらいには、好きだな」
のんびりお喋りをしながら、ガラスのツボにたくさん入っている海ソーダの瓶を覗き込むリュウとアルス。ツボは水で満たされており、すぐ横にあるポンプを動かせば地下の冷たい水がツボの中に流れる仕組みだ。これでいつでも冷え冷えな海ソーダが飲めるわけである。
ポンプに手を掛け、ツボに水を注ぎ足しながらアルスが口を開く。
「少し思い出話をしてもよろしいでしょうか」
どうぞ、とリュウは傍の階段に腰を下ろした。彼は色々と無頓着なので、寝グセとクセ毛の区別もしなければ地べたにも直で座る。
「私が初めて海ソーダを飲んだのは、リュウ様が差し入れてくださった時なのですよ。子供の頃は恥ずかしながら、飲んだことがなかったのです」
「えっと、それっていつの話だっけ?」
「そうですねえ、確か、リュウ様が六歳の頃だったかと。よく冷えた物を、わざわざ宿舎まで持ってきていただいて……あの頃は、こうして宿舎では海ソーダを冷やしてなかったのです」
「うわ、そうだっけ。全然覚えてないな」
「人は自分がしたことよりも、人にされたことの方が覚えているものです。良い意味でも悪い意味でも」
リュウは少しだけ意外そうな顔をした。
「リイみたいなこと言うね、アルス。珍しい」
「博識なリイ殿にはとんと及びませんが、そう言われると素直に嬉しいです」
いつでもどこでも通常運転なのは彼もリイも変わらないが、こちらは少々律儀すぎる。
「はあ……こりゃあ直接訊きに来てもダメそうだなあ」
不思議そうな顔をしている騎士に、王子ははっきり言うことにする。
「羽目を外してもらおうと思って来たんだけど、アルスってめちゃくちゃ真面目だったね。とりあえずダメ元で訊くけど、羽目を外せそうなこと、何かない?」
「私が、ですか? ええと、例えばどのような」
「何でもいいけど、そうだな――普段できないようなことでやってみたいこととか」
真面目で律儀なアルスは少し考え、やがて「ああ」と頬を緩めた。
「もうできていますので、大丈夫です」
「はい?」
「リュウ様の前でこんな格好をして」
と、両手を軽く広げ自分のノースリーブの服を見やる。
「休日でもないのに宿舎で海ソーダを冷やしながら、のんびりとリュウ様とお喋りしております」
「……こんなんでいいワケ?」
「私からしてみれば、十分贅沢ですよ」
ツボから瓶を取ると、彼はそれを主に差し出した。
「どうぞ。よく冷えてるかと」
ありがとう、と礼を言って受け取る。なんだか急に喉が渇いてきて、さっそくコルクを開けた。ちゃんと密封されているが、海ソーダの栓は手で簡単に開けられるのである。ぱっぱとすぐ飲めるように、という配慮から生まれたアイディアだ。
すごく冷たくて、しゅわしゅわ喉で弾ける。甘くて爽やかなこの味は、比べてみるとその美味しさがよく解る。他のどのソーダより美味な理由は、ルウの水質の良さにあるのだ。
全部飲み干してしまうと、リュウは満足そうに唇を舐めた。
「まあ確かに贅沢かもね。これ、王宮前庭園にあるカフェの一日五十本限定品なんだし。一応ストックはあるけど、だからってそんなに本数もないから」
アルスは思わず声を立てて笑ってしまう。
――リュウ様、あなたといると本当に飽きませんよ。
門番の騎士にご苦労さま、と声を掛ける。先ほど私を呼びに来てくれた青年だ。正確な年齢は知らないが、たぶんリュウ様より二、三歳年上なだけだろう。
「モリーズ副団長、お疲れさまです」
敬礼を返してくる。どこか緊張しているような様子であった。
「さっきは走り回らせてすまなかった。だが君のおかげで、リュウ様を長いことお待たせせずに済んだ。礼を言おう」
「い、いえ、とんでもありません」
そこで一度呼吸をすると、彼は控えめに口を開いた。
「あの、副団長……ひとつ、質問してもよろしいでしょうか」
「ああ、どうぞ」
「その、第二王子がここへ来られることは、よくあるのでしょうか?」
「そうだな……今日はいつもより突拍子もなかったが、わりとあることではある」
ブルーグレーのクセの付いた髪を思い浮かべる。ルウ王族の中でも、あのような髪色をした人物は他にいなかった。
「私はあの方に十六年仕えているが、その中で解ったことがある。リュウ様は人を呼ぶことより、自分から出向くことが多い方なんだ。それからひとつ教えておくと」
と、目の前の若い騎士に向かって苦笑する。
「『殿下』と呼ばれるのはお好きではないのでな、気に留めておくといいだろう」
王子らしくない王子。それが私の主だった。
これからも剣に誓って、私はあの方に仕えていく所存である。