番外編 お節介
王宮へ戻ってくると、リュウはアルスを下がらせ部屋へと向かった。ひとりになると、途端に色々な感情が押し寄せてきてはせめぎ合い、気付かないうちに足取りも重くなる。
「寒くなかった?」
リュウがはっとして顔を上げる。部屋の前に立っている人物がひとり。
「イオリ……何で」
「そろそろ帰ってくる頃かと思ったんだよ。ウカラ大地に行ったんだろう? あそこは人間が住むには気温が低い」
イオリは片手を伸ばし、リュウの頬に軽く触れた。ほら冷たい、と口元が僅かに緩められる。
事情は全部聞いてるんだな――そう察したリュウは、相手から目を逸らすようにして俯いた。
「間違ってたのかな」
思わずそう呟いていた。
「俺がイージにしたことは、やっぱり間違いだったのかな」
「解らない」
すぐに答えが返ってくる。昔からそうだった。この年上の王子はどんなことだろうが、質問には必ず答える。解らないことも虚勢を張らずに「解らない」と言う。それがリュウには頼もしかったのだ。
「気付いてないみたいだから敢えて言うけど」
と、イオリはリュウに背を向ける。
「延命の魔法を受けたイージの寿命は、どうなると思う?」
「寿命、は……延びる」
「そう。術者が死んだら死ぬ、というのはつまり、術者が生きていれば生きるってことだ」
こちらを振り向かない相手に、リュウは不安を覚える。
「術者が死ぬまで生きる。たとえば俺とローキィなら大問題なわけさ。ローキィのこの先の寿命は俺より遥かに短いんだから、俺はどんなに足掻いてもかなり若くして死ぬことになる。これがリイと俺なら、ほとんど差分はない。お前と俺でも、そうだ」
背中に垂れる銀髪が、光を淡く反射する。
「ネーラ族の寿命は人間の半分以下と言われている。一般的には二十五年から三十年が妥当だろうが……延命の魔法の影響を受けるイージは、その倍以上は生き延びるはずだ。自分だけ、ずっとね」
自分だけ、ずっと。イオリの甘い声が、呪いのように耳にこびり付く。
リュウの顔から血の気が失せていった。
「そ、んな……」
「そういうこと……何故、延命の魔法が禁止されているか、解った?」
訊かれるまでもない。そこまで言われては、嫌でも解った。ローキィに激しく叱責されるよりも、イオリのように淡々と諭される方が辛かった。
そこで初めて振り返り、イオリはリュウを見る。
「リュウ」
いつもと変わらぬ、平坦だけど甘い声。感情はこもっていない。
「お前がしたことが正しいのかどうか、それは俺には解らない。けれど、後悔はするなよ」
「……後悔?」
「少なくともリュウは、助けたかったんだろう。助けようと思って取った行動なら、後悔する必要はない。結果的にイージは助かったのにお前が後悔してたら、イージはこの先どう感じて生きていくと思う?」
そう問いかけると、イオリはほとんど足音も立てずにその場を後にした。すれ違いざま、リュウの肩を軽く叩いて。
ほんのりと甘い、トワレの香りだけが残った。
「嫌な役をさせたな」
「別に」
肩から零れた髪を払い、イオリは表情を変えずに言う。
「あいつにとって俺は“嫌な奴”だから、今さら問題はないだろう」
「……お前も顔に似合わず、口は達者な方だな」
すると、イオリはふいに笑った。薄っぺらい、どこか冷たく見える笑みだった。
「それは褒めてる? それとも貶してる?」
冷え冷えとした美貌。ローキィは内心動揺するのを悟られないよう、わざと顔を背けた。
「どちらでもよい。とりあえず、ご苦労だった」
ローキィがそそくさと話を切り上げたので、イオリは執務室を出た。
――ご苦労、ねえ。
確かにリュウに釘は刺した。だけど、刺しっぱなしはさすがに後味が悪い。
さっき、振り返ってリュウの姿を見て、ほんの少し動揺した。あまりにもしょぼくれていて、ショックを受けていて、縋るような眼をしているくせに絶望しきったような顔をしていて。何だよ、諦めるなよ、頼るなら頼れ、諦めるなら縋るな、と思った。つまりは、放っておけなかった。
その結果、自分らしくもないお節介まで焼くことになってしまった。
けど、まあ。
「後悔はしてないけど」
自分自身に厳しいあいつに後悔まで背負わせたら、いつかきっと潰れてしまう。そうなる前に、ちょっとだけ肩の荷を下ろさせただけ。
第一部はこれでおしまい。次から第二部です。