Ⅴ リュウの責任
「あれ、偶然だなあ」
朝食を取り終えひとりで執務室に向かう途中、その言葉に振り返ると、父ラウルだった。家の中では珍しくジャケットを着ていた。
「リュウも、ローキィに用事があるのか」
まあねと曖昧に答え、執務室の扉を顎で示す。ローキィは自分の部屋とは別に、この部屋を書斎として使っている。
「どうぞ、俺は後でいいや」
「どうかしたか?」
「長くなりそうだから」
「浮かない顔だな。ローキィに恨めしいことでもしたのか?」
「いや、どっちかっていうと……イージに」
肩を竦めてみせると、
「終わったら呼んでよ」
リュウはくるりと身を翻した。
昨夜、イージの告白を聞いたリュウは複雑な思いを抱えていた。内容を暗記するほど繰り返し読んだ魔導書の大嫌いな一節を思い出し、またもやもやする。
***
祖父ローキィとは数えきれないくらい、激しい言い合いをしたことがある。祖父と孫という関係であっても、お互い信念を強く持ちすぎていて、相手を受け入れることを苦手としていたからだ。
ルウの王族は、魔法を操ることができると同時に、魔道書に縛られることにもなる。
“第十四条、魔法を使って病気を治すことは禁じられている”
「何故? 誰だって、怪我したら治すじゃないか」
「怪我はいい。どっちにしろ、いずれは治るものだ」
「意味解んねえ」
俺は吐き捨てるように言った。
「病気だって治る。治らない怪我だってあるだろ」
「相変わらず、言葉遣いがなっとらんな」
彫りの深い顔がさらに険しくなる。
「普通、病を完治させる程の魔法を扱える者はいない。そんな詠唱も存在すらしないだろう。一般人ならまず不可能だ。ただ、例外がある」
言いたいことは解っていたが、敢えて何も言わなかった。いや、言いたくなかった。
「私とお前だ」
ローキィと眼が合う。どんなにシワが増えても、この眼だけは老いていないかのような、そんな気にさせる眼差しだ。
「それはある意味、理に反していることになる。自然界の掟に、背いている」
「掟って……」
「よいか、リュウアルト」
こっちが言いかけると、片手で制される。ローキィは俺のことを本名でしか呼ばない。
「誰かひとりを病から救ったら、国中の患者を救わなければならない。国から病気というものを取り除いたら、世界中の病気をきれいさっぱり取り除かねばならない。もし、ひとりでも救うことができなかったら、たちまち不平等になる」
解ってる、と一応は肯定する。
「でも、ローキィ」
「何だ」
「病気になったのが他人じゃなくて身内だったり、自分自身に置き換えてもそんなことを言えるのか」
言葉に熱がこもらないように気を付ける。ちょっと油断をすると、俺は思ったことは何でも、蛇口を捻って水を出すみたいにべらべら喋ってしまう。
「俺は、どうせ持って生まれたものなら――正しいと思ったことをやりたいんだ」
「それが正しいと、どうして言える?」
想像以上に冷めた声だった。ひやりとする。
「病気を治すことが、良いことは限らない。いや、というよりは」
と、言葉を切る。束の間の静寂。
それからもう一度、口を開いた。
「というよりは――正しいことが正しいとは限らない。同時に、悪いことが悪いとは限らないのだ。難しいのは、善悪の判断には常に正解がないということだろうな」
ローキィの言いたいことは解った。理解はできてもいまいち納得ができない俺は、全部顔に出ていたらしい。立ち上がって足早にこちらへ来ると、彼は俺の肩を掴んだ。
「それが、いずれ王になる者の顔か……いい加減にしろ」
「放せ」
指が喰い込む。そのごつごつした手を引き剥がそうと、掴んだ。
えっ――冷たい。
思わず、金色がかったヘーゼルの瞳を見る。容易に緩むことのない厳しい瞳が、真っ直ぐ見下ろしていた。
「納得ができないのは解っておる。でも理解はできておるのだろう。なら、説得してみろ。私を納得させるくらいのことをしてみろ。お前がするのは、そうやってふくれっ面を見せることではあるまい」
王位を継いでも同じだ、とローキィはさらに続ける。
「お前にはお前の役割と責任がある。自覚を持て」
***
このやり取りをしたのは、いつだったか。もう覚えてない。
――そうだ、俺には責任がある。イージにかけてしまった魔法の、代償が。
廊下の壁に背を付け、俯いた。頭が重くなったように感じる。
「何てことしたんだ……俺は」
自分が恐ろしくなった。ただ祈りを捧げただけで、他人の命運を変えてしまう自分が。
執務室の扉がやけに重たく感じられた。ローキィは入ってきたリュウには目もくれず、座ったまま背を向けていた。机を挟んで立つと、リュウは静かに切り出す。
「ローキィ、あのさ」
「おはようございます、だろう。リュウアルト、お前は礼儀がなっとらんな」
「話があるんだけど」
「お話をさせていただいてもよろしいでしょうか、だ」
「……イージのことなんだけど」
ああ聞いたぞ、と鋭い瞳が向けられる。声音が厳しくなった。
「この馬鹿者が」
一瞬、重圧に耐えるように唇を引き結んだリュウは、ぐっと顎を上げた。
「バカなのは解ってる。けど、あの時、俺はまだ四歳だった」
「何を抜かす。四歳にだって責任はある。もう少し自覚を持てと、私は口を酸っぱくして言っていたではないか、リュウアルト?」
「でも、悪気はなかった」
「お前に悪意があるかないかの問題ではない。よいか、私は自覚を持てと言っているのだ、聞いておらんのか」
「聞いてるよ、全部」
「口だけは達者だな」
ローキィが立ち上がる。ゆっくりと近づいたかと思うと、いきなり髪を掴んだ。顔が上を向く。
痛みに顔を歪め、歯を喰いしばるリュウを覗き込む。
「お前が、この髪と同じ色だからという理由で、いらんおせっかいをかけたせいで、イージは一生を支配されてしまったのだぞ。自分ではどうしようもなく、お前のワガママに振り回される羽目になったのだ。自分の生きざまを赤の他人に奪われる羽目になったのだぞ。それを解っているのかっ」
髪を鷲掴みにした手を緩めず、ローキィは真っ直ぐ孫を見たまま、感情を露わにしていた。
「何か言ってみろ。言いたいことはあるのだろう? お前は基本的に、お喋りだ。言いたいことはすぐに言いたがる。私に対して言いたいことがあれば、言え」
「俺だって……好きで、なったわけじゃない」
「どういう意味だ」
「だからっ」
彼はローキィを振り解くと、叫んだ。それはローキィのように解っていて感情を出しているのではなく、抑えきれなくなって表に溢れてしまった感情だった。
「髪だって、眼の色だって、お喋りだって、王子という位だって、膨大な魔力だって、全部、全部――俺が選んで決めたわけじゃないっ、好きでこうなったわけじゃないっ」
息を切らせ、一気に叫ぶ。それからふいに黙ると、蒼い瞳を伏せた。
「イージを巻き込むつもりなんて、なかった。全然なかった……ただ、助けたかった」
「そんなことは解っているとも」
いくらか和らいだ声でそう言うと、国王は俯いたリュウの顎に指を掛け、そっと上向かせた。
「リュウアルト、お前は優しい。自分には厳しいが、周りには優しいな。――だが、違うのだ。優しいだけでは、救えないことだってある。お前はやはり、魔導書の掟を守るべきだったのだよ」
「見捨てろってことかよ……これからこの先、イージみたいな奴を?」
「そうではない。だが、故意に延命をさせることは自然界の理に反している。命を救うことが善いことかは、一概には言えんのだ。時には甘い菓子よりむせるくらいのスパイスが必要な時だって、あるだろう?」
「ヘンな喩え」
リュウはフンと鼻で笑った。
「リイの方がよっぽど上手いや」
無理やり歪めたように片頬を上げ、彼はローキィに背を向けると部屋を出た。
笑えておらんな――ローキィは顎を撫でた。苦渋の表情というのは、お前にはまるで似合わんな、リュウアルト。




