Ⅳ イージの告白
リュウ様に無事(色々ありましたが)会うことができ、朝がやってきました。
目が覚めたおいらがびっくりしたのは、朝ご飯を持ってきてくれたリイさんというメイドさんに続いて、リュウ様がひょっこり現れたことです。正直、次に会えるのはいつになるだろうと不安だったので、すごくほっとしたのです。このチャンス、逃しません。
お時間はよろしいです?と訊ねたところ、
「魔法理論と王政学と模擬戦闘訓練と語学が終わってからでもいい?」
リイさんにスケジュールを耳打ちされたリュウ様はこともなげに言いますが、やっぱり一国の王子様はキチキチスケジュールなのですねぇ。
「全部終わる頃には、夜の九時だと思うけど」
「構いません。そのぅ……申し訳ないです」
「なにが?」
「リュウ様はお忙しそうなのに」
「慣れてるから大丈夫だって。俺が何年王子やってると思ってんのさ、イージ」
と、若き王子様はひらりと手を振ります。その横でリイさんが頷いているです。
「リュウ様は結構タフでいらっしゃるので、ご心配には及びません」
「リイ、それって褒めてる?」
「もちろんですわ、リュウ様」
二人の軽くて心地いいやり取りに、ちょっと気になったおいらは訊いてみるです。
「あのぅ、お二人はどういった関係で?」
ぷっとリュウ様が吹き出しました。ど、どうしたんです?
「何それ、改まっちゃって」
「えっ、も、もしかして恋人同士なので?」
「違う違う」
「わたしとリュウ様では、少し歳が離れていますわ」
律儀にそう返してくれるリイさんは、胸に手を当てて微笑みました。ショートのプラチナブロンドが素敵な、綺麗なお姉さんです。いくつなんでしょうねぇ。
「わたしは第一王子、第二王子お二人の世話係兼教育係を任されております。教育係といっても、一般教養を教えているわけではなく……主に普段の生活態度ですわね」
「あー、なるほど。確かにリュウ様はすっごい口が悪いです」
「ええ。素直な性格が仇となって思ったことは全部おっしゃってしまいますし、この王宮内で敵う者はいないほどの皮肉屋でもあります。根は優しいのですが」
「おいあんたら本人の目の前で言うことじゃないだろ」
ふむふむ。とりあえず、リイさんからは母親のような愛情を感じられたです。
そしてすっかり夜になり、月が王宮の廊下を照らす頃――リュウ様はおいらに会いに来てくださったのです。
九時を少し過ぎた時間に、リュウはたったひとりで地下室へやって来た。
「ローキィにバレたら面倒だからね」
と、人差し指を口に当てた。地下室と言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけてしまえば地下牢である。地下の方が快適に過ごせるネーラへの配慮、と言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけてしまえば逃亡を防ぐためのローキィからの指示である。ローキィは王宮の警備魔法をかけ直したが、リュウに会うという目的を果たしたイージには、もう逃げる気などさらさらなかった。
「ここ、寒くない?」
「いいえ、大丈夫です。こんな夜分にすみませんです」
「別に?それに内緒話ってのは、夜にこそこそやった方が楽しいじゃん」
にやりとするリュウは、夜更かしは得意な方だった。
彼は門番の空いた椅子に腰を下ろす。ここに来る前に下がらせておいたらしい。今、この場所にはひとりと一匹しかいなかった。
「さあ、話を聞かせてよ」
***
おいらがリュウ様に初めてお目にかかったのは、あなた様がまだ四歳の頃です。おいらも赤ん坊でした。あなたは使用人のみなさんやイオリ王子と共に、執政官閣下の視察に同行されていたのです。
ネーラ族の故郷、ウカラ大地に来られたあなた方のことは、おいらの家族が覚えてます。リュウ様、覚えておいででしょうか?
……いえ、無理もありません。おいらも忘れてますから。でも――今おいらがこうして生きていられるのも、リュウ様のおかげなんです。
あの当時、おいらは病弱で、五年も生きられるかどうか解らないくらいだったんです。薬もほとんど気休め、医者も諦めかけていました。
けど、偶然家にやって来たあなた様が、おいらの病気を治してくれたのです。
ええ、その通りです。魔法で。
まだ幼い王子が家に入ってきたのは、本当に偶然だった。
「リュウ様、勝手に入ってはいけませんよ」
「お気になさらないでください、狭い家ですから」
ネーラのメスが、王子の侍女に向かって言う。
窓際の日当たりの良い所に、小さいベッドがあった。ベッドというよりは、植物で編まれた籠に、柔らかそうな布が何枚も巻き付けてある物だ。
「あれ……ベッド?」
「赤ん坊です、リュウ王子」
「見てもいいかな?」
すると、母親は表情を翳らせた。
「あの子は病気なのですよ、王子。寝ているだけでいいのでしたら、構いませんが……」
「いいよ、全然」
好奇心が勝って、リュウは無邪気に籠の中を覗き込んだ。
濃い灰色のふさふさした毛に覆われた、小さいハリネズミが横たわっていた。すうすう寝息を立てているけど、弱々しい呼吸だった。
「ぼくと同じ髪の色だ」
思わず微笑むと、赤ん坊の母親を振り返り訊ねる。
「病気、治るの?」
「それが……解りません。生まれつき、身体が弱かったんです」
「そっか……よくなるといいね」
「ありがとうございます、リュウ王子」
母親は深々とお辞儀をした。小さい命を気にかけてくれたことが、とても嬉しかったのだ。
リュウは蒼い瞳を細めると、そっと赤ん坊に手を触れた。
「元気になりますように」
***
「――リュウ様、大丈夫でございますか?」
はっと眼を開ける。イージが気遣うような視線を向けていた。
「元気になりますように」
復唱してみる。何てことのない、些細な祈り。
「そうだ、思い出した……俺、そう言ったんだ、イージに」
「きっと、魔力が反応したんでしょう。その言葉が、あなた様にとっては呟きでも、おいらにとっては祈りでした。命を、救われたんです」
リュウは前髪を掻き上げる。蒼みがかった灰色の、不思議な色。ローキィも父さんも母さんも、違う色なのに。王宮の中には誰ひとりとして、自分と同じ髪色をした人はいなかった。ひとりも。
「同じ色だなって、思ったんだ」
「え?」
「髪。まあ、イージの毛だよ。赤ん坊の時も、今と同じ灰色だった。俺みたいにブルーは入ってないけど……何か、嬉しくなってさ」
と、照れ隠しなのか、彼はイージから顔が見えないように俯いた。
「……どうしても、会いたかったんですよぅ」
ハリネズミはくしゃりと笑った。
「家族からこのことを聞いて、初めて、自分が生きていられる理由が解りました。顔も知らなかった恩人に、お礼がしたくて」
イージは姿勢を正し、恭しく頭を垂れる。つい昨日、追いかけっこをしていたネーラ族の子供とは思えないくらい、丁寧な動作だった。
「ありがとうございました。この御恩、決して忘れないのです」
じっと動かずに、前髪で表情を隠したまま、リュウは黙ったままだった。
「リュウ様?」
「そうか」
「え?」
鼻を啜る音がして、リュウはやっと顔を上げた。
「……そっか」
堪え切れずに、大きな瞳に涙を溜めて。