Ⅲ 第二王子
第一部もこの章で折り返しです。よろしくお願いします。
からんと音を立てて棒が転がる。ユメナは目の前の人物を、信じられない思いで凝視していた。
「怒った? まあそれもそうだよね。もちろん謝るけど……何なら殴ってもいいよ」
棒を片手に持ち直し、彼は降参するように両腕を広げる。
この人、もしかして……
「ユメナの棒を受け止めるなんて、あの人何者?」
「どうだっていいだろ、くっそあの野郎、ユメナちゃんに何てことを」
「でも、何か雰囲気違うよねえ」
「髪きれーい。あれ、ちょっと跳ねてる?」
自分が棒を振り回したせいだが、周りが騒がしくなっていた。クラスメイトの興味津々な声がまばらに聞こえてくる。が、誰ひとりとしてこちらの声が届く範囲まで近付こうとはしない。
ユメナは意を決して、唾を呑み込んだ。
「あなた、もしかして」
「なに?」
「ルウ王国の王子なの?」
彼の蒼い瞳が、大きく見開かれる。そうだ、この眼は世界でただひとりしかいないじゃない。
「……おもしろいこと言うね」
間合いを詰めてくると、腕を掴まれた。声が潜められる。
「あんた、どうして解った?」
ブルーグレーの柔らかそうな髪に、鼻筋の通った端整な顔立ち、そして形の良い二重の大きな眼。この容姿だけでもれっきとした“王子様”だろうに。
「ほ、本当に王子なの?」
「そうだって言ったらどうする」
と、彼は口だけで微笑んだ。
ユメナは血の気が引いたように青褪め、一歩後ずさった。
「ご、めんなさい……申し訳ありません、その」
次の瞬間、ガッと鋭い音が地に響く。ユメナは身を強張らせた。
「ひ、ぃっ」
そろそろとその場から立ち去ろうとしていたハリネズミが、腰を抜かして尻餅を付いていた。棒が進路を阻むように、真っ直ぐにアリーナの床に突き立てられている。
めりめりっ。木の棒から、してはいけない音がしている。
「いい加減にしろよ」
めり。
「人に散々迷惑掛けといて、タダで帰れるとでも思ってるわけ」
みしっ。
「イージ、俺とお前は初対面なんだし、お互いやましいことは何もないわけだろ。だから話くらいさせてくれたっていいんじゃない? 俺は待てって言ったよな、三回くらい」
「に、二回でしたよぅ」
「うるさいな人の揚げ足を取りやがって」
ばきぃ。お、折れましたよ、王子様。
「ただでさえ朝っぱらからローキィの顔を見て気分悪いってのに、これ以上俺の機嫌を損ねたいのか、お前は?」
その言葉に、がばっと立ち上がるハリネズミ。
「ローキィとは、も、もしやローキィ陛下のことで?」
「他に誰がいるってんだよあんなカタブツ」
そしてこの王子様、めちゃくちゃ口が悪い。
「で、でしたらそしたらっ、あなたはルウ王国のリュウアルト王子殿下でございますねっ?」
「だからそれで呼ぶなっ!」
このハリネズミくん全然人の話を聞いてないなあ、とユメナはこっそり溜め息を吐いた。
そうしているうちに、アリーナには「でーんーかーっ」と叫びながらミリウチ学長と教頭が、鎧を着た人が三人「リュウ様っ」とものすごい形相で、そして長いローブを纏った人が「王子っご無事ですか」と、順番に雪崩れ込んできた。
うん、わたし――とんでもない人に殴り掛かったってことは解った。
ちなみにわたしはユメナ。アーロ国立アカデミー高等部の一年生で、これでも棒術五段を持っています。好きな物はアップルパイ。よろしくお願いします。
いきなり現れたハリネズミとこの口の悪い少年に加え、学長や教頭までもがやって来たことで、屋内アリーナはあっという間に大騒ぎになる。まあ当然の結果であるが。
「おい」
と、リュウににじり寄る男子生徒も少なくない。
「お前、ユメナちゃんとはどういう関係なんだっ」
「この栗毛の娘? カンケイも何も、今初めて会ったよ」
「じゃ、じゃあ何であんなことを」
「あれって俺のせいなのかな」
ふっと意地の悪い顔になる王子。綺麗な顔だけあって相手を煽るには申し分ない。チョウハツはいけませんよぅ、とイージがその足元で喚く。
その場を鎮めたのは、王宮騎士団副団長のアルスだった。
「みなさん」
穏やかだが腹の底から出る重みのある声に、一同しんとなる。
「みなさん……こちらの都合で騒ぎを起こし、授業を中断させてしまったこと、お詫びさせてください。大変申し訳ありません」
その横で、授業なんて潰れてラッキーじゃん、なんて捻くれたことを思うリュウ。
「我々はすぐにでも退散するつもりでありますが、しかし、ここにいるみなさんは釈然としないでしょう。ですので、せめてもの償いとして正直に打ち明けたいと思います」
「アルス?」
「私たちはルウ王国の者です。そしてここにおられるのは、第二王子であせられるリュウ殿下にございます。私は、王宮騎士団副団長のアルスと申します」
ルウ王国を知らぬ人間はいない。さらにその君主ローキィ国王を知らない者は、生まれたばかりの赤ん坊くらいなものだ。そう言われてさえいた。
ひっと息を呑んだのはひとりではない。その場の誰もが、ことの重大さを思い知った瞬間だった。
当の本人であるリュウですら、片頬を引き攣らせてアルスを見ていた。
申し訳ありませんリュウ様、と主にだけ聞こえるようにアルスは謝る。
「ですが、これ以上この場を混乱させるわけにはいきません」
正直に言ってしまうこと。それは、リュウが嘘を吐けない性格であることも踏まえた、アルスなりの打開策であった。この騎士も、誤魔化すことが苦手なのである。
あーあ、こりゃあローキィに怒られるぞ……リュウは頭を抱えそうになるのを必死で堪えた。でも、アルスが上手いこと話を持って行ってくれたんだから、あとは乗っかるだけだよな。
リュウはユメナをはじめとするクラス全員に向かって、
「みなさん、自己紹介が遅れました」
にっこりと笑顔になる。とても愛嬌のある、皮肉の欠片もない魅力的な笑顔だった。
右手に嵌めているリングをくるりとひと回しすると、不思議なことに王冠サイズになった。それを慣れた手付きで頭に載せ、堂々と全員の視線を受け止める。
「俺は正真正銘、ルウ王国の第二王子です。以後お見知りおきを」
あれから、アルスやカロローソ、学長と教頭らは話をするため場所を移していた。ルウ関係者で残ったのはリュウと護衛の騎士だけだ。
もともと棒術の授業は二時間連続なので、授業を中断された生徒たちは時間を持て余していた。ユメナもすることがないので、リュウの足元にちんまりといるイージに話しかけた。
「わたし、ネーラ族ってはじめて。見た目はハリネズミなのに、喋れるんだね」
「お嬢さん、どうぞよろしくです」
イージはユメナに向かってへらっと笑うと、すぐに身を縮めた。
「あのぅ、さっきはすみませんでした。いきなり飛び付いたりして」
「えっ、あ、うん。もういいよ、あれは」
隣のリュウを気遣い慌てて首を振るユメナ。確かにショッキングではあるけど、あまりにもびっくりし過ぎて(ぶっちゃけ感触とか)もう忘れてしまった。
「きっ気にしてないから」
「さすがに嘘だろ、それ」
やらかした本人は妙に冷静にそう言う。しかし罪悪感でいっぱいなのか、ユメナに向き直ると素直に頭を下げた。
「今さらだけど……ごめん、なさい」
本人の名誉のために断っておくが、これでも第二王子は結構な初心で、同い年の女の子と話す機会すらほとんどない環境に生まれ育ってきた。今回の件も「ラッキースケベだったなあ」で済ませられるほど、彼は胆が据わっていないのだ。
ユメナは彼のつむじを見ていた。ゆるいクセのある、蒼がかった灰色の髪。
「この髪も、はじめてです。とっても綺麗」
「えっ?」
思わず顔を上げる。
「ブルーグレーの髪って、噂でしか聞いたことありませんでした。でも、こうして見てみると、しっくりきます、あなたに」
ユメナは琥珀色の瞳をきゅっと細めて微笑む。そうすると長い睫毛が際立って、本当にお人形さんみたいだった。
リュウはぽかりと口を開けて見惚れていた。彼女の笑顔はふわりと温かいのだけど、なんだか儚げだ。だからこそ惹き付けられる。
「あ、あれ」
なんだろ俺、頬が熱い。っていうか、褒められたんだからお礼は言うべき?かな。
「そういえば」
そこでイージの呑気な声が割り込んできた。
「大事なお話をしていなかったです」
片手で頬に触れながら、リュウはゆっくりとイージを見下ろした。
「俺に?」
「はい、そうなんで」
イージはけろりと、驚くことを言ってのけた。
「おいらは、あなた様を探していたんですよ」
「……は?」
「リュウ様にお会いしたくて、かるーい悪戯をしながらうろうろしていました。おいらの名前がリュウ様のお耳に入ればいいのでは、と思ったんで。ほら、こうでもしないと、おいらみたいなネーラ族がそう簡単に王宮に入れるわけないじゃないですか」
リュウは眼をぱちくりさせると、
「はあ? そりゃまあ、そうだけど……だからって悪戯して回ってたわけ?」
「ええ。牢屋とはいえ、結果的にはルウ王宮に入れたのでよかったと思ったんですがねえ」
開いてた口を思い出したように閉じ、リュウはイージを睨んだ。
「じゃあ、どうして脱走したんだよ?」
「うーん、あそこにいては身動きが取れませんでしたので。何と言いますか、会える気がしなかったんですよぅ。だから、逃げ出せば追いかけてくると思って……リュウ様、いたっ、痛いです。ほっぺを引っ張らないでくださいぃ」
「何でそれを早く言わないんだよバカ」
「すっすみまふぇん」
「さっきトイレで会っただろうが、俺と。なのにどうして逃げたりしたんだよ?」
イージがもごもごしているので、リュウはそのほっぺたを解放してやる。案外触り心地がいい。
「……おいら、名前しか知らなくて。まさかアカデミーのトイレにルウ王国の王子様がいるとは思わなかったですし、おいら、リュウ様のお顔も知らなかったんですから」
もーホント怖かったんですよぉさっきおいらを追いかけてる時のリュウ様の顔がー、とか何とか言っている。
「面白いねぇ」
くすっと笑みを零すユメナ。こんな可愛い娘が身長と同じくらいある棒を振り回してたなんて、信じ難い。しかし事実だ、と先ほど急所ばかり狙われたリュウは思い直す。あ、そういえば。
「棒、直してなかった」
足元に転がっていた、べっきりと真っ二つに折れた棒を拾い上げる。
「リュウ様って、怒ると棒を真っ二つにする癖でもあるんで?」
「……もう半分にしてあげようか?」
「ま、まあまあ」
ユメナにも宥められたせいか、王子はそっぽを向いただけだった。そして、リングを嵌めた右手を添え、棒に魔力を集中させる。
「おおっ」
イージが感嘆の声を上げる。まるで新品のような艶と滑らかさの棒が、その手にあった。
琥珀色の瞳を瞠り、ユメナは絶句していた。
リュウが持ち主にひと言謝って返しに行った。戻ってきた彼に、
「詠唱なしで、魔法を……?」
「うん、俺には必要ないし」
特に気にすることもなく答えると、リュウはイージに向かって首を傾げた。
「それにしてもさ、俺に会いたかったって言ってたけど、何か用?」
「あぁそうでした。はい、お礼を言いたかったんで」
「オレイ?」
まったく身に覚えがないせいか、リュウは片言になる。
「お礼、です」
イージが真顔になる(一応ネーラにも表情があるみたいだ)。
一瞬考え、もう一度訊ねる。
「お礼を言うために? それだけ?」
「そうです」
こくりと頷いたイージをじっと見つめるリュウ。
そこへ、大人の事情を話し合ってきたアルスやカロローソらが、アリーナに戻ってきた。
***
その日、ルウ王国に帰ってからのこと。時間は夜十時を回っていた。
『民家に忍び込み、庭をうろついているところを住民が発見。声を掛けるとものすごい驚きようで逃走。
その二日後の早朝、農場の馬小屋で子馬に紛れて寝ているのを住民が発見。だが隙を付いて風のように去っていく。
また、正午くらいに道路でバスに轢かれそうになる。またも人混み(車混み?)をかいくぐって逃走するが、交通は大混乱を起こした。以後五時間にも及ぶ交通規制。
さらに翌日、貨物列車に潜り込んでいるところを発見され……』
そこまで読んで、リュウは報告書を放り投げる。背凭れに身体を預けた。
――あいつ、本当にネーラなのか?
「馬に交じって……バレるに決まってんのに」
想像して、口元が緩む。くっくっと喉が鳴った。
交通事故も、イージが道路に飛び出したんだろうと予想が付く。走り回って疲れ果てて、夜は貨物と一緒に寝てた……そんなところか。
「まったく、何を急いでたんだか」
この報告書は各国からの目撃情報を元に作成された。ちょうど、イージが悪戯をして回っていた、月の初めからの情報だ。それから少ししてイージは捕獲され、国際会議の結果、ルウで預かることになったのだった。
もう一度、書類に目を通す。どうも腑に落ちない点があった。
「無断拝借とはやりますね」
背後で声がした。振り向く必要もないと判断し、リュウは頭を掻いた。
「バレた?」
「報告書は持ち出し禁止のはずでしょう。なくなっていればすぐに気付きますわ――まあ、それもわたしだけですが」
その言葉に、リュウは顔を向けにやりとした。
「リイさまさまだね。もうちょっと黙っててくれる」
「何を調べておいでです?」
できるだけさり気ない風を装う。自分がノックをしても返事をせず、後ろに立っても彼が気付かないのを、リイは怪訝に思っていた。いや、少しだけ心配もしていた。
「イージのことさ。どうも引っ掛かる」
「具体的におっしゃってください」
「あいつの目的が、さっぱり解らない」
肩をすくめ、彼はひらりと手を振った。
「ひたすら南に行くわけでも、北でも東でも西でもない。これを見る限りだと、あちこちを適当に回っていただけだろ? 何がしたいんだかまるで見えてこない」
「イージが何をしたかったのか、ですか。先ほどアルス卿から聞いた話ですと、イージはあなたにお会いしたかったそうですが」
「うん。お礼が言いたかったって……それだけしか、言ってなかった」
「言葉通りでしょうね。ただひと言想いを伝えるために、イージはあちこち回っていたんです」
「でも」
と、リュウは口ごもり、形の良い瞳を伏せた。
「本当にそれだけなのかな。俺なんかにわざわざお礼を言いに来るなんて。だって、俺にはまったく覚えがないんだし……」
彼にしては珍しく、同意を求めるような、それでいて否定してほしいような口調だった。
「もし俺が忘れてるだけだったとしたら、めちゃくちゃ失礼だ。こんな奴にお礼を言う必要なんかないって、帰してやった方がいいのかも」
リイは黙って聞いていたが、やがてやれやれとばかりに溜め息を吐いた。
「あなたは大事なことをお忘れですわ、リュウ様」
顔を上げた若き王子を、真っ直ぐ見つめる。自分が、この少年と出会ったのはいつだったか。今でも覚えている、六年前だ。それから毎日、ずっと見ている顔立ちは、少しずつ引き締まり大人っぽくなった。
ただ、眼差しだけは、六年前も現在も変わってなどいない。
「イージは自分の意志であなたに会いに来たのです。姿も顔も知らない相手にお礼をしに来た。ここまでされては、リュウ様にできることはただひとつです」
微笑を浮かべる。糸がゆるりと解けるような、小さくて優しい笑み。
「誠心誠意、聞き手に回りましょう」
そして、彼女は淡い色の髪を耳に掛けると、軽くお辞儀をし、身を翻した。




