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空の夢  作者: ミサンガ
第二部 王宮話
18/18

Ⅵ 世話係兼教育係として・前編

 朝九時を回り早朝の仕事が一段落すると、午前中のスケジュールに入る。

「失礼いたします」

 まずは国王の書斎へ、熱々のコーヒーと書簡を持っていく。

「本日は全部で七通届いております。親書が二通。今日中に返信が必要な物は三通で、他に招待状が二通届いております」

 いつも通り簡単に説明をし、カップに濃い目のコーヒーを注ぐ。

 香りを楽しむようにひとつ息をすると、国王ローキィは顎を撫でる。

「リイ」

「何でしょう?」

「こちらにも淹れてくれ。おぬしは、ミルクだったか」

 ローキィが軽く手を振ると、そこに新しいカップが現れた。彼の手にはいつの間にか、ミルクの入ったクリーマーもあった。魔法国家の主はこうして、日常の中で当たり前に魔法を使っているのだ。

 リイはミルクを少しと答え、微笑んだ。

「ありがとうございます、陛下」

「私の前で動じずに茶を飲めるメイドは、この王宮でもリイくらいなものだからな」

 ゴールドの瞳を細め、ローキィも笑みを返した。

 ルウ王国を知らぬ人間はいない。さらにその君主ローキィ国王を知らない者は、生まれたばかりの赤ん坊くらいなものだ。そう言われてさえいた。

 そしてリイは、そんな彼の数少ないお茶相手のひとりだ。




「今日は第二王子が夕方まで公務で外出、第一王子はアカデミーで研究会ののち昼食会へ参加されるわ。お戻りになるのはアフタヌーンティーの時間です。お二方の部屋は少し時間を掛けても構わないから、いつもより徹底的に掃除しましょう」

「あの、リイさん、ちょっとよろしいでしょうか」

「どうしたの?」

「実は先ほど、リュウ王子が『切手散乱してるから水拭きはやめてくれ』と仰っていたのですが、どうしましょう?」

「それは困りましたわね」

 彼女の口から吐いて出た溜め息は、困っているというより呆れているようだった。

「整理整頓は基本中の基本です。それが出来ていないなら、わたしたちが掃除をするまでもありません。今日の掃除は水周りだけでいいでしょう」

「よろしいのですか?」

「教育係のわたしが言うのです。責任はわたしが取ります。問題ないわ」

 解りました、とメイドは一礼して作業に取り掛かる。

 午前の間にどれだけ仕事が片付くか――それは午後のスケジュールを左右するほどに重要なことである。

 王宮の厨房では朝食の後片付けと同時に昼食の仕込みが始まる。王族の居住スペースである本館では、ベッドルームに入ってはシーツを剥ぎ取りタオルを持ち去るメイドたちの姿が。

「イージからの手紙で、ちょっと舞い上がっているのかしら」

 昨日のことを思い出し、少し可笑しくなる。リュウは昨晩、いきなりリイの所へやって来ると、

「どんなド田舎にも届くだけの切手を今すぐちょうだい」

 なんて言い出したのだから。

 ――きっと、生まれて初めての手紙だったんだろう。堅苦しい社交界とはまったく無縁の、ただの手紙というのは。わたしは彼が十歳の頃に王宮にやって来たから、それ以前の彼の文通状況については、よく知らないけれど。

「リイさーん、すみません、ちょっと来ていただけますか?」

 助けを求める声に、すぐ行きますと返事をして、リイは小走りで向かった。



 時間は午後の二時。この後三時半から、ルウの王宮ではアフタヌーンティーが始まる。それまでの間に自分の部屋を整え、遅めのお昼を取らないといけない。

 お疲れ様です、と声を掛けられた。目尻にそばかすがある若いメイドが、ぺこりとお辞儀をしている。

「あら、あなたは」

「はい、ディシアです、リイさん。先日はご指導いただき、ありがとうございました」

「どういたしまして。調子はどうですか」

「おかげさまで慣れてきました。もう、王子のお顔に洗剤を掛けることもありませんので、ご安心くださいませ」

「そうね、それは助かるわ」

 ぷっと小さく吹き出してしまう。それからふと思い立って、リイは訊ねた。

「ディシアさん、休憩は取りましたか」

「いえ、これからです。お腹もペコペコで……」

「わたしもこれからなの。ところで、スモークチキンは好き?」

「えっ好きです、お肉なら何でも好きです」

「ちょうどよかったわ、持て余してたところなの。手伝ってちょうだい」

「はい?」

 不思議そうな顔をするディシアを連れ、リイは自室へと向かう。

 いつも食事をするテーブルと椅子にディシアを案内すると、リイは食料の入った戸棚から、ずっしりとした紙包みを取り出す。

「実家で作りすぎちゃったみたいなの。お店で出すからって言うけど、さすがに量が多すぎたのかわたしにも送ってきてね」

「お店って、もしかしてリイさんの実家なんですか?」

「ええ。王都の古い地区にある、小さな飲食店なんだけど」

 喋りながら、慣れた手付きで燻製を切り分けていく。 

「燻製というより家庭料理が店の定番メニューなのに、可笑しいでしょう?」

「そんなことないですよ、燻製っておいしいですもん。手間が掛かるから家で手作りした物はなかなか食べられないし、いいと思います」

「ありがとう。さ、食べてちょうだい」

 リイの実家のスモークチキンと、厨房からもらってきたサンドイッチ、氷を浮かべた冷たいアイスコーヒーという遅めのランチであった。

 おいしい、おいしいとにこにこするディシアを眺めながら、リイもスモークチキンを食べる。癖になる香りと味、肉の旨味が口に広がる。また腕を上げたな、と両親の顔を思い出した。

「リイさんが料理上手なのって、ご実家がお店やられてるからなんですねえ。ほんとにおいしいです、これ」

「ありがとう。あらでも、あなたに手料理を振舞ったこと、あったかしら」

「リュウ様が褒めちぎってましたよ。特にアップルパイが絶品だって仰ってました」

「嬉しいわ、アップルパイは一番得意なの。そのうちたくさん作るから、あなたにも食べてもらわないと。アイスクリームも添えてね」

「わっ、最高ですっ。バニラアイスがよさそうかと」

「ええ、解りました」

 リイは頷いてみせると「あなたも同じことを言うのね」と笑った。

「同じこと、とは?」

「わたしが王子二人に初めてアップルパイを作った時に、リュウ様も同じことを言ったのよ。バニラとか合いそうだって」

「わ、そうだったんですねえ。ちなみに、リイさんはいつからここにいらっしゃるんですか?」

「六年前です」

 リイは即答すると、顎のあたりで揺れるプラチナブロンドの毛先を指でひと巻きした。

「でも、ここへ来た経緯は複雑かもしれません。古くから王宮に仕えている家系の方たちから見れば、わたしは随分型破りなメイドだと思われたでしょうね、当時は」

 六年前、わたしはアーロ王国のとある専門学校を卒業して、ルウの王宮で働き始めた。生まれも育ちもルウだったが、義務教育が十五歳で終わった後、アーロに二年間留学したのだ。         

 その専門学校時代に、夏の休暇でルウの実家に帰省していたわたしは、街でこっそり出歩いていた王子二人と出会い――今に至る。




 ***




 わたしは元々、この手の仕事は専門分野でも何でもなかった。

 ディシアさんのように使用人養成所に通っていたわけではない。わたしはアーロで二年間、心理学を専攻していた専門学生だったのだ。

 実家はルウ王国の王都の旧市街にある、小さい飲食店。古い町並みが特徴であり、王都とは言っても王宮がある中心区とは全然雰囲気が異なる場所だ。

 夏の休暇もあと一週間という、暑い日のことだった。

「いらっしゃいませ。奥の席にどうぞ」

 繁忙期だったため、両親の手伝いで自分も店に立っていた。

「窓際がよければそちらでもいいですけど、今日は日差しがすごいので暑いですよ?」

「いえ、失礼、お嬢さん。私は客ではないのです」

 帽子を取って、丁寧な口調で男が言う。優男という言葉がぴったりな容姿をしているのに、服装は妙にかっちりしていた。この夏の暑い日だというのに、長い紺色のローブを羽織り手袋までしていた。男はカロローソと名乗ると、

「突然のご無礼どうかお許しいただきたい。我が主から手紙を預かってまいりました。ご両親と、あなたに読んでいただきたいのです」

 郵便配達員ではなさそうだけど、と思いつつ、差し出された封筒を受け取る。

「えっ」

 今まで触れたことのない紙の感触。封印には深い蒼色のシーリングワックス。そこに押されたスタンプを見つめ、リイは一瞬目を疑う。

「これは、王室の紋章……つまり、あなたは」

「はい。私はルウ王家に仕える文官です。この手紙の差出人は、ローキィ・クラヴェス・ルウ陛下であります」

 驚きのあまり、声も出なかった。それから慌てて店内を見回す。

 店には両親とわたし、文官のカロローソさんしかいなかった。

「おや、そろそろ――」

 と、彼が口を開くと同時に、壁の時計からオルゴール調のメロディが流れる。

「休憩時間ではありませんか? ささやかながら手土産をお持ちしましたゆえ、どうか一度、席に着いてお話をさせてはいただけませんか?」

 柔らかい物腰だがどこか強引。そして店の休憩時間を狙ってやって来たこの文官、なかなか侮れない。もしかして、王宮の人ってみんなしたたかなのだろうか。 



 彼の手土産は、ルウ王国名物の海ソーダだった。

「王子も好きなのです。先日はいっきに三本も飲んでしまって」

 文官はこちらに微笑むと、椅子から立ち上がり、両手を身体の前で組んで深々と頭を下げた。

「リイ殿、並びにご両親へ感謝いたします。あなた方がいらっしゃらなかったら、第一王子、第二王子ともども誘拐でもされていたかもしれません。無事に王宮へ戻ってこられて、ローキィ陛下をはじめ我々がどれほど安心したか。本当に、ありがとうございます」

 あの二人の顔が脳裏に浮かぶ。つい一週間くらい前のことなのに、随分昔のように感じる。

 わたしと両親もお辞儀を返し、彼はもう一度軽く頭を下げてから静かに席に着いた。

「両殿下は、お元気ですか?」

「はい。お二人とも変わりなく」

 そこで言葉を切ると、カロローソさんは少し寂しそうな表情になる。

「……と言いたいところですが。第二王子が、王宮の外、そしてあなたのことをとても気に入られたようで。毎日窓の外を見ているんです。正直手が付けられません」

「え?」

「ご存じないと思いますし、ぶっちゃけてしまいますと、第二王子は歴代稀に見るなかなかの問題児でして」

「問題児」

「ええ、そうです。彼の立場や境遇も特殊なので、一筋縄ではいかない性格に成長されるのも無理はないと私は思います。しかし彼は王位継承権を持つ王子でありますから――それなりに、王子として振舞えなければなりません」

「それなり、ですか」

「端的に言いますと、彼はあまりに“王子らしくない”のです。短所か長所かはさておき」

「それは……何となく思いました、わたしも」

「慧眼ですね、リイ殿」

 にこりとするカロローソさん。

「あなたの慧眼に免じてもうひとつぶっちゃけてしまいますと、第一王子もなかなか癖のあるお方です。顔もいいですが頭もいいゆえに、少しばかり乏しいものがあります」

 ――世話係兼教育係歴六年の今だから解る。この時カロローソ殿が言っていた「乏しいもの」とは、感情のことだろう。

「第一王子もあなたを気に入っておられました。珍しいことです」

「は、はい」

「……失礼、前置きが長くなりました」

 と、饒舌だった彼が気を静めるように、声のトーンを少し低くした。喋りすぎた、と内心反省しているのかもしれない。

「リイ殿、それにご両親。そちらの封筒には、招待状が入っております」

「招待とは、王宮へのですか?」

「左様でございます」

 彼は頷いた。すっかり落ち着きを取り戻していたが、意外とさっきまでのお喋りな方が素なんじゃないかな、ともわたしは感じていた。

「ローキィ陛下は、あなたに両王子の教育係になっていただきたいと仰せです。お受けしていただける場合、そちらの招待状をお持ちになって」

 わたしたち三人の顔をひとりずつ見て、

「指定された日時に、王宮までお越しになってください。それが、国王陛下からの言伝になります」

 ルウ王国文官カロローソはそう話を締めくくった。


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