番外編 切手のない手紙
空中国家ルウ王国。その王都にある王宮に、一通の手紙が届いた。
封筒には宛先の住所が書いておらず、あろうことか切手すら貼っていない。あるのは宛名と、裏面に差出人の名前だけだった。
宛名には『空の国の王子さまへ』と。
「切手を貼らなくていいって言ったんだろうけど」
と、薄茶色の封筒を見てくすっと笑うのは、美しい銀髪の青年だ。
「第一王子か第二王子か、そのくらいは書いてほしかったな」
「イージのうっかりミスですね。おかげで、メイドが間違えてイオリ様の所に持ってきてしまいました。申し訳ありません」
「リイ」
第一王子は世話係兼教育係の名を呼ぶと、封筒を指で挟んだ。
「リュウには、俺から渡しておく」
「わっイオリ、何だよ……あ、そういえば悪かったよただの砂糖水で。今度はワイン使っていいって言っといたから」
「はい?」
「だから、コンポートの話だって。桃のコンポート。イオリが作らせたって聞いたから……俺がアルコールダメだからでしょ? まあコンポートの白ワインくらいなら、平気だと思うし」
「へえ、見栄張って酔っ払っても知らないけど?」
「よ、酔っ払わないし見栄も張ってないっ」
それで? と警戒するようにイトコを見る第二王子。
「何か用なわけ?」
「手紙、来てたよ。イージから」
「えっ、イージ?」
イオリの手にある封筒を見て一瞬眼を輝かせるが、リュウはすぐにむっと口を曲げた。
「どうしてあんたが持ってるんだよ」
「俺宛てでもあるからさ」
「はあ? だって手紙書いてって言ったのは俺であって」
「宛名を見ろ」
イオリはイージのうっかりミスを、よく見えるように蒼い瞳の前に突き付けてやる。
「あのおっちょこちょいめ……っていうか字書けたんだ」
「ネーラ族は腕力は乏しいけど、その分知能にはなかなか恵まれているんだ。とりわけイージは勉強家だったらしい」
「そうなの?」
「そう。ペンを使ってここまで丁寧に字を書こうとすると、それなりに練習が必要だろう。ついでに言えば、ネーラ族が住むウカラ大地周辺では、インクを使うペンよりも鉛筆が主流なんだ」
「ふーん、なるほど。うん、あのイージがねえ」
口をもごもごさせているのは、どうやらにやけた顔を誤魔化すためのようだ。
「素直に喜べばいいのに。初めてのペンフレンドだろう」
「ああそうだよ嬉しいに決まってる。どうせ俺には友達なんていませんよーだ」
そう言って手紙をひったくったかと思えば、リュウはちらりとイオリを見上げた。
「一緒に読む?」
「俺が読んでもいいのか?」
「ここには『空の国の王子さま』は二人いるでしょ。あんただって読む権利はある」
律儀なのか理屈っぽいのか。はたまた単に一緒に読んでもらいたいのか。
遠くの太陽を眺める時のように瞳を細めると、イオリは美しい動作で顎を引いた。
「ご一緒させてもらおうか」
決して上手いとは言えないが、丁寧に書こうとしていることが伝わる筆跡。癖の強い字はどこか温かみがあった。
『リュウさま、こんにちは。おひさしぶりです。
イージは元気です。第二の人生を、まんきつしています。
いっしょに生きているはずですが、リュウさまのことはまったくわからないです。
今、どこにいて、何をしているのか。どんな気持ちでお過ごしなのか。
ここはイナカなので仕方がないと、親には言われました。
たしかに、ここからルウ王国まで、イージの足ではとても時間がかかりました。
そうカンタンには会いに行けませんよね。
だけど、ひとつだけイージにもわかることがあります。
リュウさまは元気なんだということだけは、いつもわかります。
だって、イージも元気ですから。
まほうのおかげで、あなたが生きていることを知ることができるんです。
でもちょっとさみしい感じもするので、リュウさまも時々、イージを思い出してみてください。
イージは一生、あなたのことを忘れません。
それでは。イージより。』
初めて手紙をもらった。
舞踏会や食事会の招待状でもなく、参加した式典のお礼状でもなく、異国からの親書でもない。形式をまるっきり無視して書き手が自由に想いを綴った書簡なんて、もらったことがなかった。
指で紙面をなぞってみる。薄茶色の封筒にクリーム色の便箋は、普段自分が手にしている物とはまったく違った。指先に馴染んでいる上質紙とは厚みも感触も違うが、それがなんだか嬉しい。
「イオリ」
「なに?」
「ウカラ大地の住所って、知ってる?」
「大まかな場所なら」
「教えてよ」
「今?」
「他にペンフレンドはいないんだし、これの返信は今できるでしょ。俺、あんなド田舎の住所なんて知らないし」
やれやれと、イオリは椅子の上で脚を組み替えた。
「地図持ってきて。あと切手も」
「え、こっちから送る時は必要なワケ?」
「王宮宛ての郵便物は特別で、全て王宮の配達員が空路で運んでくる。その逆は地域によって違うが、ウカラ大地までの配達は空路じゃなくて陸路だ。だから、切手が必要」
「なるほど……手紙なんて出したことなかったから、知らなかった」
「手間が掛かるけど、まあ」
イオリの唇が綻び、美貌に微笑みが浮かぶ。たったそれだけで、ふわりと空気が色付いたような気がした。
「楽しいよ、結構」
リュウはすぐに、リイに切手をもらいに行った。