Ⅱ 第一王子
世界に王子と付く人間は数あれど、うちの第一王子の名前を知らない人はいない。
それもそのはず、空中国家の中でも一番の領土と人口を誇り魔法も浸透しているルウ王国は、知名度が並大抵のモンではない。そこの現国王ローキィの孫にして、執政官オーヴァの息子であり、自身は王位継承権第一位を持つ――それがイオリである。肩書きももちろんだけど、イオリがアホみたいに有名なのはそれだけじゃない。
まず、見目が良い。自他ともに認める超美形。俺は十六年間あいつの顔を見てるわけだけど、腹立つことに今でも見惚れてしまうことがあるくらいだ。
おまけに頭も良い。バカみたいに難しい古文書を読んでるかと思えば、ワケ解んない科学書を片手にノートを書いていたりする。それも時間を忘れて勉強しているので、勉強会に出かけていって朝まで帰ってこない、なんてことはよくある。もう卒業したけど、イオリのアカデミーカレッジでの成績はある意味狂人レベル。器用貧乏なんて言葉はあいつには当て嵌まらない。
ついでにひとつ言っておくと、俺とイオリは兄弟ではない。決して、間違っても、ルウが地上に落ちたとしても、兄弟ではない。そもそも俺はひとりっ子なんだ。
じゃあ何かというと答えは簡単――イオリと俺はイトコ同士だ。イオリの父オーヴァは、俺の父ラウルの兄。よって、俺たちは兄弟ではなく、ただの、イトコ。ただの親戚。そこのとこ、覚えておいてもらいたい。
さて。
というわけで今回は、そんな第一王子の話。
***
アーロ王国での追いかけっこから一週間が経った。アルスと宿舎で海ソーダを飲んだのが一昨日。そんな日の朝のことだ。
「おはようございます、陛下」
「おはようございまーす」
ローキィの書斎に入ると、俺はイオリに続いて挨拶をする。今さら「陛下」だなんて、むず痒くて言えない。
おはようと挨拶を返してくるローキィは、案の定こちらを軽く睨んだ。
「さて、今日はお前たち二人で公務をこなしてもらうわけだが」
新設されたアカデミーの開学式典、というのは聞いていた。
「え、二人で?」
「何か文句でも?」
隣のイオリが横目で見てくる。正確には向こうの方が背が高いので、見下ろしてくる感じだ。
「文句っていうか、二人で公務なんて聞いてないんだけど、俺。今初めて聞いたぞ」
「別に支障はないだろう」
「支障はないかもしれないけど、なんか……」
蚊帳の外、って言うんだろうか、置いてきぼりにされた気分。でもこんなことを口にするのもさすがに子供だなと思って、俺は黙ってイオリから眼を逸らした。
すると今度はローキィと眼が合う。
「今回はイオーリュスがいるから心配はないだろう。私からはひとつだけだ」
シワに埋もれないヘーゼルの強い眼差しが、俺とイオリを交互に見た。
「お前たち……ケンカはするでないぞ」
するわけないじゃん、と心の中で舌を出してやった。
「というわけで、今回はこのシュクトールが同行いたします」
俺たちの前で膝を付いてそう言うと、シュクトールは立ち上がった。
「おわ」
「どうかなさいましたか、リュウ様?」
「いや、相変わらずデカいなあと思って」
いつも外出時はアルスと一緒にいる俺は、アルス以上の背の人はあまり見慣れていない。そもそもみんな大きいんだよ。イオリもわりに長身で、一八一センチくらいだったはず。アルスは一八七で、リイだって女性だけど一七〇もある。俺と四センチしか変わらないじゃんって、ちょっとショックだったのは誰にも言ってない。でも俺、まだ十六歳だよ。まだ伸びるだろ、きっと。
シュクトールは王宮騎士団の中でもかなり大きい方で、一九〇センチはゆうに超えている。体格だけでなく、剣術も馬術も槍術もトップレベルだ。なんてったって、王宮騎士団長だからね。
シュクトールはにこりと笑みを浮かべた。
「リュウ様、お久しぶりです。最近はアーロ王国まで行かれていたようで。あの時はアルス卿が付いておりましたが、今回は私がご同行させていただきます。何なりと」
「そうだね、よろしくシュクトール」
で? と俺もにっこりしてみせる。
「本音は?」
「――どうかこの間のような騒ぎは起こさないでくださいませ。前回は緊急事態でしたが今回は至って通常の公務でありますゆえ、問題が起きれば国王陛下の逆鱗に触れます……」
「あー……了解」
今回のお目付け役がアルスじゃなくてシュクトールな時点で察しは付いたけど、やっぱり警戒してるな、ローキィ。
「俺のためにやったことだとはいえ、アーロのアカデミーで身分をバラしちゃったのはアルスだしなあ。やっぱりまずかったかな」
「アルス卿から聞いた話では、あの後陛下から一時間みっちり小言を言われたそうです」
「それは小言って言わないんだよ、お説教って言うんだ」
ちなみにこの団長さん、イオリの側近でもある。そのせいなのかそうでないのか、やたら俺のことを問題児扱いしてくるんだ(まあ実際問題児なのは認める)。
シュクトールに言わせればアルスは俺に甘いらしく、それに反してシュクトールは俺に対して妙に辛口になる。要するに、シュクトールには冗談が通じにくいってこと。
頭の隅に少し不安が過り、デカすぎる団長を見上げた。
「まさか、謹慎なんてくらってないよね?」
生まれた時からアルスは俺の側近だった。他の騎士になったことは一度もないし、これからもないと思う。そんな彼がいない公務なんて、すごく変な感じがする。
「大丈夫でしょ」
さらりと言ったのはイオリだった。
「アルスが謹慎になってお前がなってないなんてこと、まず有り得ないんだし」
「朝からケンカ売ってんの?」
「ハッパかけてやったんだよ。つまらない顔して来賓席に座ってたら、またローキィに説教されると思うけど」
嘘みたいに整った顔に、皮肉気な笑みが浮かぶ。瞳の色こそ同じヘーゼルだけど、イオリはローキィにまったく似ていない。ローキィは鼻梁が高くて彫りの深い顔立ちが特徴的だけど、イオリは彫りが深いわけではないし、むしろ精緻な作り物めいた中性的な顔をしてる。
しかしこの王子も、俺に負けず劣らず口が悪い。綺麗な花には棘がある、とはよく言ったもんだよ。誰が言ったかは知らないけどさ。
さて、王都を出た俺たちは、郊外にある出来立てほやほやのアカデミーにやって来た。
結局シュクトール曰く、アルスは謹慎ではなく今日は書類整理をしているらしいのでひと安心。
さすがにアーロの国立アカデミーには劣るけど、それでもなかなかの規模だ。廊下は鏡のようにぴかぴかで歩くのを躊躇ってしまうほどだし、新築ならではの、無味無臭な雰囲気が辺りに漂っていた。
来賓室に案内されてからも、俺は落ち着かなく辺りを見回してしまう。
「リュウ様、どうかされましたか? お手洗いでしたらそうとおっしゃっていただければ」
「いや、そんなんじゃなくてさ。この前とは随分違うなって思っただけ」
「アーロの国立アカデミーはかなり古い。あの国では王宮の次に古い歴史を持つと言われているくらいだ」
イオリが豆知識を披露してくる。どこでそんなことを覚えてくるんだと言いたいくらい膨大な知識を持っているので、俺の中でイオリは人間である前に歩く辞書だと思っていたりする。
「今日は脱走したネーラ族もいないことだし、安心して式典に臨めるじゃないか。いや、残念って言うべきか?」
「残念って?」
「鈍いね。ラッキースケベは望めないって言ってんの」
一瞬で顔が熱くなる。
「あ……あんた、何で、知って」
「忠実な騎士と文官が、律儀に報告してくれたんだ。あぁ、相談もされたな。『思春期の多感な時期にあのようなトラブルが起きてしまって、初心な王子はこの先女性と素直に接することができるのでしょうか』って。いい臣下を持ったな、リュウ」
「……ううううるさいなっ、余計なお世話だっつうの」
まったくアルスは変なとこ心配しやがって。切れ者文官カロローソも、別に報告しなくていいことをわざとイオリに言いやがったな? というか相談する相手間違ってるだろう、絶対間違ってるだろう、よりによってこの第一王子だなんて人選ミスもいいところだ。
「それと一緒に聞いたんだけど」
ヘーゼルの瞳がやんわりと細められる。そうすると長い睫毛が際立った。
「イージを捕まえるのに、魔法は使わなかったみたいだな」
「え?」
「文字通り追いかけっこしたって聞いたけど?」
「いやまあそれはその通りだけど……それがどうかしたわけ?」
話が見えないので、俺は首を捻る。
「ネーラ族は魔力に耐性がない。てっきりその隙を付くのかと思ったが、わざわざ自分の足で捕まえた。その理由を知りたいって言ってんの」
あ、はいはいそういうことか。
これは昔からそうなんだけど、イオリはだいたいの場合必要最低限のことしか説明しない。別に悪意があってそうしているわけではなくて、ただ単に効率を重視しているだけだ。要するに「ここまで説明したら解るでしょ? 必要のない無駄なことは省くから」という感じ。まあ、親切心の欠片もないよね。
おまけにタチ悪いのが、本人が頭が良すぎること。何でもさらっとこなす天才肌なせいか、できない人の気持ちとか理由とかが解らないってタイプ。だからこっちが「解りませーん」って示さないともちろん説明なんてしてくれない。そのせいかイオリの口癖(って言っていいか解らないけど)は「○○って言ってんの」である。ハタから見れば冷たく感じるだろうけど、俺はもう慣れた。
さて、話に戻ろう。
「そりゃあ魔法で捕まえた方が手っ取り早く済んだかもしれないさ。アカデミー中を駆けずり回らなくてもよかったかもしれないし、授業の邪魔をしなくてもよかったかもしれないし」
「初対面の女の子の胸を触らなくてもよかったかもしれないしな」
「いい加減その話引っ張るのやめてくんない? ――でも、魔法が苦手だっていう相手に、わざわざ魔法を掛けたくなかったんだよ」
こっちを見つめるイオリから顔を逸らした。
「誰かを苦しめる魔法なんて、掛けたくない」
「なるほどね」
いつもの淡白な口調が、少しまろやかになった気がした。
さすがにイオリとシュクトールがいたのでトラブルが起こることはなく、アカデミー開学式典は無事に終了。
「あー疲れた。あの会場暑かったなあ」
二時間ぶりに来賓室に戻ってこれた。さっきより重く感じるジャケットを脱ぎ、手で風を送る。この日は天気が良い分気温も高い。
「イオリ様、我々もこのまま王宮に戻られますか?」
「いや、急遽予定が入ったからリュウだけ返してやって。それと、リイには俺の分の昼食は要らないと伝えておいてくれないか」
「承知いたしました」
予定が入った?
「急遽って? あんたは帰らないの?」
「さっきの式典に来賓で来ていた学者が、父さんの知り合いだったらしい。食事でもどうかって誘われた」
俺はぱたぱた扇いでいた手を、今度は空中でひらりと振った。
「断っちゃえばいいのに」
「簡単に言うんだな」
扉の前で背中越しに振り返り、イオリは口元だけで薄く笑った。
「一回は断った。二回目はない」
それだけ言うと行ってしまう。どういう意味なんだろうと首を捻っていると、シュクトールが口を寄せてきた。
「実は先方はリュウ様も、とお誘いになってこられました。それをイオリ様がお断りになって、自分だけでよろしければ、ということでまとまったのです」
失礼いたしますと俺に一礼し、シュクトールは主の後を追った。
――あいつ、俺の分を断ってたのか。
幼い頃から、パーティーやら舞踏会やら、華やかな社交界の場が苦手だった。可能な限り避けていたが、ある時見かねたリイに言われたことがある。
「あなたが欠席した分を穴埋めしているのは、誰だかお解りですか?」
「え……?」
「イオリ様です。ご存じなかったと思いますが、スケジュールの許す限り、あの方はリュウ様の肩代わりをされていたのです。無理に出席させるようなことはしませんが、そのことだけは覚えておいてください」
そんなことがあってから、なるべく参加するようにはしていた。でも今でも、好きでもないアルコールを勧められそうになると、イオリがさり気なくその場から逃がしてくれていた。
迎えが来ております、と護衛の騎士が声を掛けてきた。ソファから立ち上がり、ジャケットに袖を通す。肺の中の空気を吐いた。
「……帰るか」
あいつは優しいんだか意地悪なんだか、まるで解らない。