プロローグ
「そろそろお戻りになってはどうです?」
凛と張った声には、厳しいというよりは呆れの色が表れていた。
「あれ、バレた?」
「パーティーはまだ終わっていないのですよ」
「眠くなってきちゃってさ」
「そんな嘘がわたしに通用するとでも?」
グレーのブラウスに同色のロングスカートという格好のメイドは、控えめな服装に反して見事なプラチナブロンドの髪を持っていた。
雲が流れる。月明かりにぼんやり照らし出されたのは、少年の後姿だった。
「まるっきり嘘じゃないけど」
と、彼は振り向く。
「リイに通用する言い訳じゃなかったな、それは認める」
「では、もっと上手い言い訳を考えてください。パーティーを途中で抜け出して、見張りの塔の窓から脚を出してのんびり座っていても納得できる言い訳を」
「何で今さら」
「あなたを探しに来ようとする騎士団員やメイドたちの手間を省くためです」
少年の瞳が輝いた。
「見逃してくれるわけ?」
「少しの間だけ、眼を瞑るだけです」
リイと呼ばれたメイドは内心苦笑する。正直な眼だな、と思いながら。
しかし、彼の口から出てきたのは感謝の言葉ではなく、
「少しの間って、具体的にどのくらい?最低でも二時間だと助かるんだけど」
「……リュウ様、ご冗談はそのくらいになさいませ。二時間後ではパーティーが終わってしまいますが」
「冗談じゃないって、マジメな話さ」
「では、真面目な言い訳をお願いいたします」
「あーもう、冗談だよ冗談」
彼は片手をひらひら振って、軽やかに窓から飛び降りる。もしここが普通の国で彼が普通の人間なら全身バラバラになるところだったが、リュウという少年の身体はふわりと地面に着地し、すたすたとパーティー会場である王宮内庭園に歩いて行った。
空中国家ルウ王国――通称“空中大国”と呼ばれるこの国は、その名の通り空に浮かぶ国である。世界に四カ国ある空中国家の中で最も栄えており、その権力は東西大陸にも影響を与えるほど。海の少ない世界の中で、ルウは水の豊富さにも恵まれていた。
しかし最大の特徴は、魔法である。国全体が魔力に包まれているルウ王国は、世界屈指の魔法国家であった。他の国や地域に比べ大気中の魔力が濃く、体内の魔力を消費しなくても魔法を使える。もともとルウ王国は、魔法の才能ある者たちが集まって崇められ、やがて王族となった彼らが政権を握り建国したのである。
ここで現在のルウ王家について、簡単に説明しておこう。
国王ローキィ・クラヴェス・ルウ。あらゆることにおいて決定権を持つ、国の最高権力者。彫りの深い顔立ちには威厳が刻まれているが、最近シワが増えたと王宮内で噂されてしまう(ちなみに本人は知らない)。
ローキィには決定権があるが、実際に政治を引っ張っていくのは執政官である息子二人である。完全な王政ではなく“王執政”という、国王と執政官による共同の政治が行われているのだ。つまり、
「食後のデザートは何がよいものか」とローキィが言えば、
「アイスクリームかババロアがよろしいかと」と執政官が提案し、
「よしではアイスクリームにしよう」とローキィが決める……といった具合だ。王執政についてはお解りいただけただろうか。
試しに、このやり取りに王子二人を加えてみよう。
「アイスは何のフレーバー? 季節モノのイチゴなんていいと思うけれど」と優雅にティーカップを傾けて口を挿むのが第一王子で、
「っていうか、ババロアにアイス添えればよくない? あれ、逆かな。アイスにババロアを添えて……ああ、どっちでもいいや」とどっちも食べてしまいたい第二王子。
ちなみに王子二人はローキィの孫にあたる。この国では代々、国王の子供が執政官となり、孫は王位継承権を持つ王子となることが決められていた。
第一王子並みに頭脳明晰でも超絶美形でもない、でもリュウ王子にはとてつもない力があった。
この魔法国家にとっては破格の武器になる“魔導士”としての力が。