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「よう。戻ったか、二人共」
「……女の恐ろしさを味わったぜ……」
平常通り、出迎えの言葉を送る俺と、未だに頭を抱えているオタク。鼻血出して、悦に浸ってたのは、どこのどいつだよ? お前だろ。
俺が、オタクを見下していると、ウエテルが何気ない顔で口を開く。
「なぁ、アンタ等は、淡路先生が二重人格者やって、知っとったか?」
「さらりと、貴重な情報を漏らすとは……これから、ウエテルには、隠し事を共有しないことにしよう……」
「呆れるのは、今更だと思うぞ? 千歳。でも、まぁ、知っていたと言うより、感付いていた、の方が正しいな……。あの、変異っぷりは、人格がごっそりと入れ替わった、って感じだったし」
「そんなこと考える間もなく昇天しちまったからなー、俺は」
「オタクは、一度死んで、生き返ったのか? いっその事、そのまま死んでしまえばよかったのに」
「ぜち……ウチも同感やけど、声に出して言うんは、止めとこや」
「お前等、容赦ねぇな……」
オタクが悲しいと目で訴えていると、鐘の音が校内に響き渡った。
それと、同時に、教室の扉も開く。
「おーい。てめぇら、とっと席に着けー。HR、はじめっぞー」
さっきの淡路先生とは、違った間の抜けた声が俺達、一年四組の面々に恒例の言葉を浴びせた。
言われたとおりに俺達は、速さは異なれ、席に着く。
入学式当日に「名簿順なんて、堅苦しいから、席替えでもすっかー」と、目の前で欠伸を垂れている、西尾正則先生が言ったことで、俺達の席はもう、名簿順とは、無関係の順番になっている。
そのお蔭で、俺は、窓側の一番後ろという勝ち組になれたんだがな。
「あー、えっと、急な知らせがある。俺、今日で、教師やめっから……そんで、これから、新しく、お前等の担任になる先生を紹介して、俺帰るから」
「……とんでもないことをさらっと言ったぞ……この人」
オタクと同意見だ。もの凄い重大発表をさらっと言ったこの人は、大物なのか? まさかなありえん。
「んじゃ、入ってくれ」
西尾先生が、一言、声を掛けると、閉まっていた教室の扉が、また開いた。
まず、俺達が目にしたのは、すらっとした細い体躯。
瞬間、男子一同はこう思ったことだろう。
「「「「「(よっしゃ、女だ。スタイルは……スレンダー、か)」」」」」
胸が……お淋しい。この認識は今後、俺達共通のものになるであろう。
そして、中年教師が二歩横にずれ、二十代(肌年齢予測)女教師に教卓の真ん中を譲った。
「えー、今日から、皆さんの担任になることになりました、李家美由紀です!教師として、皆さん、生徒を、正しい大人にするために、全力を尽くしますので、宜しくお願いします!」
ハキハキと、随分、元気のいい先生だことで。ここは、どこぞの青春学園ドラマの撮影場所じゃねぇんだぞ? 女優デビューしたいんなら、他を当たれ。それだけの美貌があれば、十分だろう。
「……(惇の苦手なタイプの教師か……。あいつは、ああいう、リア充臭が漂う人間全般が
嫌いだからな……私も人のことは言えないが)」
「西尾先生! 早く、結婚できるとええですね!」
「余計な事は言わなくていいぞ、上野」
「はいはーい! 李家先生は、今、何歳ですか?」
「うーん……トップシークレット、と言いたいところですけど、他にも知りたい生徒が多い
でしょうから、お答えしますね。私は、『二四歳』です」
「「「「「若―い」」」」」
男女問わず、の反応。
流石、人の心を掴む技術に長けた人種、リア充。
「ハッ……言うほどか? 俺の姉貴の方が二つ分若いってのッ」
「おい、惇。この雰囲気の中で、その反応はしない方がいい。目の敵にされると目障りだ」
「お前も、今は控えた方が良いと思うぜ? 毒舌」
まあ、同調してくれるのは有り難い。
陽気なオタクと関西人は、こういうイベントが大好物だから、浮くのを承知であの輪の中にいるのだろう。あいつ等は、自分が楽しければ、周りはどうでもいいタイプだろうし。
「そんじゃ、後は宜しく。俺、帰るから」
「は、はい! 西尾先生の意志は必ずや、私が引き継ぎます!」
「……俺、死ぬの? それ、俺が死んだときに言う台詞だよね? ねえ?」
クエスチョンマークが、次々と浮かんでいる頭を掻きながら、一瞬しか出番の無かった、モブキャラは、退室した。
そして、残された、リア充教師は――。
「よし! それじゃあ、皆! 連絡事項が三つあるから、ちゃんと聴いてね!」
「「「「「はーい!」」」」」
うわっ……リア充に完全に乗っ取られたよ、このクラス。もう、他の奴等は全員、あの女教師の手駒と化したな。俺も、ああならねぇように、気をしっかり持たねぇと。
「一つ目は、今日の放課後、職員会議があるので、部活動に先生方は来られないと思います。二つ目は、クラスの委員長さんを今日中に決めてください。最後に、三週間後は、中間テストです。早い内から、復習、予習をしておきましょう。以上です! 何か質問はありますか?」
「「「「「ないでーす」」」」」
「でしたら、これで、HRを終わります!」
徹頭徹尾、小学生扱いしやがったな、あの教師。俺はこいつらと違って、ガキじゃねぇっての。
「ん? ……そこの窓側の一番後ろにいる男の子、後で、職員室に来てくれる?」
窓側の一番後ろ……そんな勝ち組な席にいるのは、誰だったか?
「……(しらー)」
「……(惇が珍しく、聴いていないフリを……外を眺めるなんて、愁傷なことを……! 余程、あの教師が気に入らないのだな……)」
右隣の千歳がこちらを同情的な目で見ている。
理解が早くて助かるよ。流石、千歳だ。
「無視するのは、感心しないよ。ねぇ、あの子なんて名前?」
「あいつは、浅井惇耶です。クラスで一番、自意識過剰な奴ですよ!」
「(オタクの裏切り者ッ!)」
「へえー……浅井君ねぇ…………有難う! 眼鏡君!」
「鷹尾です!」
何か悪寒のする一言を零し、裏切り者に親指を立てるリア充教師。それに、全く同じ動作を返すクズオタク。
あいつ、いつか、殺す!
「ねえ、浅井君? どうして、ずっと外を眺めながら黙ってるの?」
ほら、眩しいお天等様が、日陰でのんびりしてるデンデンムシに接近してきたじゃねぇか!
干乾びるだろ! 殻に篭りたいけど、その殻は、ついさっき、洟垂れ小僧に毟り取られたばかりなんだよ! 篭れないんだよ! 絶体絶命なんだよ!
この俺が、自分のことをデンデンムシとかいう超キモいものに例えたことに免じて、どっか行ってくれないかな? この殺人鬼。
「……(にらみつける攻撃!)」
「ん? 先生の顔に何かついてる?」
な、何! 敵の防御力(機嫌が悪そうな奴に話しかける時に発生する、『勇気』という名の精神的バリア)を破壊する技だぞ! これを繰り出した俺に、返事が出来るとは……。
突然だが、少し、語らせてもらおうか。
中学時代、図書委員会に所属していた女子生徒が、『オススメ読書本紹介』なるアンケートを回収していた時の話をしよう。その女子生徒が机に突っ伏している俺の横に来て。
「アンケート書けた?」
と、微笑みを浮かべ、話しかけてきたのである。
その日の俺は、寝不足で機嫌が悪かった。それで、無意識的に細い目を向けてしまったのである。
あの時、睨みつけられたと勘違いをした女子生徒の顔は、はっきりと覚えている。
「ひっ!?」
笑顔からの激変。
まるで、閻魔様の激昂を喰らった天国行きの霊魂の様だった。多分……閻魔も霊魂も見たことないけど。
まあ、結局、アンケートは、端っこに置いていた名前しか書いていない紙切れを恐る恐る手を伸ばし、一目散にお仲間集団に戻っていった。シーユー、ウーマン。