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「うんしょっと……お恥ずかしい姿を見せてすみませ~ん。ちょっと、服を着るのを忘れてました~」
「ちょっとのレベルじゃないです!」
「入学式ん時、凛々しく挨拶してた先生のイメージ大崩壊ですよ!」
そう。誰であろうこのお方は、昨日の入学式の時、新入生に学校生活の諸注意を説明していた生徒指導科の淡路成美教諭だ。
あの時の淡路先生からは、気迫の様なものが溢れ、流石、生徒指導科だと思った。
なのに。
「え~、そ〜ですか~? 私は~、いつもど~りでしたよ~」
「今の状態でそんなこと言われても……」
生徒に女子更衣室に連れられ、生徒に職員室から着替え(運動部顧問で女教師のジャージ)を持ってこられ、まして、惇達男子生徒の目にその裸体を晒してしまっているのだから、教師の威厳はもう塵ほどないだろう。
「そもそも、なんで、先生は裸やったんですか?」
ウエテルの問いに先生は、ジャージのチャックを上げながら、思い出している。
「え~と、今日は~日差しが~強かったんですよ~」
「……まぁ、今日は晴れてますから」
「それで~、暑いなか~、歩いてきたんですよ~せんせ~は~」
「はい……(今日はそこまで、暑くはないのだが……)」
「やっと~、学校に着いて~職員室の~クーラーが~効いてると期待してたんですが~ついてなかったん
ですよ~」
「ええ……(この程度の気温やったら、普通ついとらんやろ……!)」
「暑くて~、汗だくになった姿を~他のせんせ~に見られて~」
「……すみませんが、その先生は男の方ですか?」
「はい~。村正せんせ~でした~。なんだか~、顔を~赤風船みたいに~真っ赤にして~
『着替えてくださいッ!』って怒られました~」
二〇代前半の若手教師、村正隼人(男)……隣のクラスの担任よ、よく襲わなかったな。理性を保ったことに敬意を評し、今度、犒いの言葉を送ろう。
「それで~、言われたと~り~、着替えようと~この階の~女子トイレに~入ったんです~」
「「……(更衣室を何故使わない?!)」」
「着替えようと~、服を脱いだんですよ~。そうしたら~すっごく~大きい~音が~したんですよ~。バ
イクみたいな~音でした~」
「(惇のチェーンソーだな……)」
「それが~気になって~音がした~教室に~向かったんですよ~」
「(『服を着て』がないやん……やから、先生が通った女子トイレからの道は血の海やったんか……男子は注意する前に血ぃ吹いて、ぶっ倒れたんやろうな。殺戮兵器の被害者大多数やったな……女子は、何しとった?)」
「それで~貴女達に~言われて~裸だってことに~気付きました~」
「「一部始終、聞いての結論は、先生が全部悪いです!」」
「ごめんなさ~い」
ぺこりと頭を下げる、淡路先生。
のほほんとしているこの人をあまり叱る気にはなれない……。本来なら、逆の立場の筈だが。
「それで~貴女達は~何を~してたんですか~?」
「「(ギクッ)」」
緊急事態故、ウエテルと視線で会話する。
「(どないすんねん?!)」
「(と、とにかく! 有りの侭を話そう……)」
「(正直に、チェーンソーで眼鏡の耐久性を調べてました、なんて言えんわ!)」
「(では、どうしろというのだ!)」
「(それを訊いとんねん!)」
「(くっ……なら、どうにかして、誤魔化すか?)」
「(それがええ! 今の、この人相手やったら、どうにでもなりそうやからな)」
視線会話、終了。
「先生!」
「は~い。なんですか~?」
「調子狂うわ、その感じ……ええと、ウチ等は――」
「はい~?」
ウエテルと息を揃え。
「「喧嘩してました!」」
口を揃えて言い切った。どうだ? 反応は?
「あ~、なるほど~。だから、騒がしくて~他の生徒さん達は~廊下に~出てたんですね~」
よし。完璧だ。後は、適当に繋げれば、完了だ。
「ええ。巻き込んでしまうのも申し訳なかったので、少し、外に出てもらっていました」
「ウチ等の喧嘩は結構、広範囲に被害が出てまうんですよ」
「そ〜ですか~」
「ええ。そうなんです」
「全く、ウチが言うのもアレやけど、困ったもんやで。なはは」
同意を示す私達に淡路先生は、にっこりと笑っている。
ふぅ。なんとか誤魔化せたようだな……。
と思ったのは、本当に束の間だった。
「それで、本当は何があった? 偽り無く答えろ。もう茶番には付き合わん」
「「……っ!?」」
先程までの、のほほんとした緩い表情ではなく、キリっと引き締まった生徒指導科の顔が私達を睨んでいたのである。ジャージだというのに威圧感が途轍もない。
「(どういうことだ?!)」
「(何で、この前の先生に戻っとんねん!)」
淡路成美は二重人格者なのか! しかも、何時何時入れ替わるか分からない不確定な存在では無く、自在に出したり引っ込めたりが出来る、上級者なのか?!
「先生は……一体、何者なんですか……?」
私の問いに淡路成美は、思いの外、あっさり答える。
「私は、貴様が予想している通り、二つの人格を持っている。先の私は淡路成美という身体に元々備わっていた人格であり、今の私は、元の淡路成美が生み出した、もう一つの人格。
桐上が言っていた“入学式での私のイメージが崩れた”というのは、語弊がある。あの時の私は、本来の淡路成美では無い、今の私だ。
貴様等が最初に見た淡路成美は、あいつの弱い心が私に擦り付けた、恥ずべき淡路成美というわけだ。貴様等のイメージは、根本から間違っている。人の面の表面など、簡単に見抜けると思うな。人とは、常に他者を偽る、嘘つきだ。その面の内側は臆病の塊しか無い」
長いシリアスな説教が終わったようだ。聞いていて、肩がこる長ったらしい話だったな。
「淡路教諭」
「なんだ? 藍瀬?」
「私は、教諭の言った言葉を鵜呑みにはしません」
「ほう……私の体験談を無に帰すか? 随分、自分に自信があると見える」
勘違いも甚だしい。意を込め、この思い込み教師に語ってやろう。
「いえ、自分に自信などありません。ですが、私の知人はこう言いました。
『嘘の顔なんていらねぇ。俺はお前を裏切らない。離れない。何があっても……傍にいる』
と。私は、この知人とは、長い月日を共にしました。だからこその言葉だったのでしょうが……。この知人の偽りの無い、内側の想いは、臆病とは程遠い。教諭の言葉には、当て嵌りません。
この知人が居るから、私は、この場にいる。惇のお蔭で、教諭の言葉に反論できる。
教諭の言葉に、私の大切な幼馴染みを含まないでもらえますか? あいつを愚弄することは、許せません!」
「(ぜち……まるで、彼氏を馬鹿にされた彼女みたいになってんで……。惇の奴、何時の間に、ぜちを口説いたんやろ……?)」
ウエテルのよくわからない視線を余所にして、教諭を睨み返す。
「貴様も、その知人とやらも、いずれ知ることになる。人の恐ろしさを」
「そんなもの、惇には恐れる程のものではありません。万が一にもあいつが、腰を抜かした場合、私が喝を入れ直します。そうやって、私達は、共に過ごしてきました」
「ふん。貴様は、分かっていない……たった、二人の支え合いで、どうにかなる問題でもないのだ」
「では、諦めたのですか? 教諭は?」
「フン……さぁな……貴様等はさっさと教室に戻れ。HRが始まるぞ」
そう言うと、教諭は足早に去っていった。
どうやら、あの人の前では、遠慮などしたくとも出来ないらしい。
「ぜち、あんまし、気にせんとかな? ぜちの落ち込んだ顔は惇に大ダメージ与えてまうねんからな」
「分かっている……あいつは、何かと、心配性でお人好しだからな」
「ああ、そうやで……(本当に恋人みたいになってんで……ぜち)」
更衣室を出る。
そして、惇達が待っている教室へと足を早々と向かわせた。