わたつみ
――とある夏休み。
僕と妹と、妹の友人と、三人で海に遊びに来ていた。はっきり言って、よく分からないメンバーである。
この奇妙な組み合わせは、僕の両親の過保護が原因であった。
もともとは妹とその友人が泊まり込みで海に行くと言う話が発端だった。
妹達は16歳。高校に上がりたての娘を、いくら友人が一緒とはいえ、とてもじゃないが外泊なんてさせられない。……との事で、何故か僕が一緒についていくことになったのだ。
僕の海を問わず、レジャーが嫌いだということを両親は知っているのに、この仕打ち。解せぬ。
なら別に日帰りでもいいだろう、と僕は言ったのだが、妹とその友人は妥協できないらしい。
娘が大事なのは分かる。だが一応受験生である息子の事も考えてほしい。
え? お兄ちゃんだろ? まあ理屈は分かるけど……。
当然だが妹には渋い顔をされた。当たり前だ。
友人と二人の旅行に兄がついてくるとか、迷惑にもほどがある。
僕も同じことをされたら、同じ反応をする自信があるし。
その友人には事前に謝ってはおいたのだが、快く僕の同行を受け入れてくれた。妹よ、こんなに優しい友人はあまり居ない。大事にするといい。
碌な友人がいない僕からのささやかなアドバイスだ。
◆ ◆ ◆
――という訳で、僕は海にやってきていた。
当然の如くぼっちな僕である。
ナンパ? 知らない言葉ですね。
女子高生(妹含む)二人と、きゃははうふふな展開を期待していたわけではないけど、あそこまで邪険にされるとは思ってなかった。
妹の友人は申し訳なさそうに僕を引き留めてくれたが、僕だって流石に空気くらい読める。けっして妹が怖かったわけではない。ないったらない。
海で一人泳ぐ気にもなれなかった僕は、奥の方の岩場まで散歩する事にした。
何となく、人が少ない所に行きたかった。
――恐らく、これが分岐点になったのだろう。
◆ ◆ ◆
人気が無い岩場で、僕は岩に足を挟めて身動きが取れなくなっている幼い少年を見つけた。
足音に気が付いたのか、はた、と少年と目が合う。
冷たいと周りに評判である僕も、ここで無視をするほど非情ではないので、無言で少年に近づき、岩をゆっくりと退ける。
あまり大きくない石で良かった。人を呼びに行くにも困ったことになりそうだし。
少年は岩場から無事脱出し、ほっとした様に息を吐くと、僕をしっかりとした目で見つめた。
淡い藍色の瞳が、僕を射抜く。
「おにいさん、ありがとう」
「別にお礼なんていいよ。困ったときはお互い様さ」
少年は笑い、僕は微笑んだ。
それから何をするでもなく、少年と話をした。
少年はこの辺りに住んでいるらしく、兄が一人いるそうだ。
何でもその兄の体調があまり良くないそうだ。少年曰く、お嫁さんさえいればきっとその病気も良くなるとのこと。
なんともぶっ飛んだ考えだが、しょせんは子供が考える事だ。僕としては曖昧にそうだね、と相槌を打つことしかできない。子供の夢を否定するのは心苦しいし。
「だからね、僕が兄様にお嫁さんを連れて行ってあげるんだ!」
「へぇ、どんな子がいいんだい?この辺も観光地だし女の子はいっぱいいるけど……」
「あのね、あの子がいいと思うんだ」
僕がそう言うと、少年は岩場から乗り出して一人の少女を指差した。
その指先には、今時染めていない烏の濡れ羽色の黒髪、赤のフリルのワンピース型の水着を着た美少女が居た。ていうか、僕の妹だった。
「あいつは駄目だよ。僕のだから」
「そうなの?」
「ああ」
僕の『妹』である。まぁ嘘は言っていない。
「ふぅん。じゃあしょうがないね」
少年はそう言って一人納得すると、そろそろ行くね、と言って人ごみの方に歩いて行った。
さぁて、僕も散策を続けようか、と少年に背を向けたその時。
大きな波の音と、多くの人の悲鳴が僕の背後で響き渡った――――。
◆ ◆ ◆
××沖近郊にて局地的な津波が発生。その津波により県外から海水浴に来ていた白百合 梓さん(16歳)が未だ行方不明となっており、自治体を含む関係者は未だ捜索を――――
「わ、わたしが海なんか誘ったから梓はっ、ううっ、うぇぇん」
「……お前が悪いんじゃないよ。どうしようもなかったんだ」
僕にしがみついて泣く妹を宥めながら、あの少年の事を考える。
まさかとは思っていたが、本当にやらかすとは。
一目見た時から人外の類であることは分かっていた。だからこそ、あの時人を呼ぶわけにはいかなかったのだ。
――この海には神婚の伝承があるそうだ。百年に一度、清らかな乙女を海神に捧げるというものだ。先ほど僕らにお茶を差し入れたご老人からそんな話を聞いた。
今ではもう廃れた儀式であり、ご老人が生まれてからは一度も行った記録はないそうだ。
「――きっと今年がその百年目だったのだろう。だから君達が気に病むことは無い。彼女は海神様の神子となったのだから」
恐らく、ご老人は慰めようと思って、この台詞を言ったのだろう。結果、妹はよりひどく泣きわめく羽目になったが。
でも僕は、――僕だけはそれが『真実』だと知っている。
あの時、僕は少年を止めようとはしなかった。
だからお前は悪くない。きっとこの話に悪役が居るとすれば、きっとそれは僕だろう。
彼女は妹にとって本当に良い友人だった。今はもう海神の元で幸せに暮らすことを祈るしかない。
「、お兄ちゃん」
ぐすり、と涙声で妹が僕に話しかける。
それに僕はなんだい? と出来る限り優しく声を掛けた。
「お兄ちゃんが一緒に居てくれて、良かった。一人じゃ、きっと、私っ……!」
そう言ってきゅっとしがみつく妹の頭を撫で、目を伏せる。
「そうだね、僕も一緒に来て本当に良かったと思うよ。――本当に、ね」
――だから、海は嫌いなんだ。
舌打ちをしそうになったが、ふと背後に見知った気配を感じ、思わず息をのむ。
「お兄さん」
「………………」
「ああ、いいよ。黙って聞いてて。どうせお兄さんにしか聞こえないし」
少年はあどけない声で僕に向かって語りかける。妹を抱きしめる手に少し力が入ったが、妹はそれに気が付かない。
「あの子、とってもいい子だね。兄様もすぐに気に入ったみたい。だからね、お兄さんにお礼をしたいんだ」
「………………」
「きっとお兄さんの助けになると思うよ。それじゃあ、さよなら」
それだけ言い残すと、少年の気配は消え去った。
ああまったく、心臓に悪い。
◆ ◆ ◆
色々なごたごたが収まり、やっと家に帰ってこれた僕らであったが、その空気は果てしなく重い物だった。
無理もない。友人が行方不明なのだ。これからもきっと心労は続くだろう。
だが幸いなことに妹はクラスの人気者で、行方不明になった彼女は大人しいタイプだった。
彼女には悪いけど、今後妹が上手く立ち回れば、非難されるような目にはあわないだろう。
今までの経験から言って、妹ならば無意識でそのような振る舞いが出来ると確信している。
後は時間が解決してくれるだろう。
それはともかく、
「お礼って、これの事かな?」
机の上に置かれた、見覚えのない小さな桐の箱。
恐る恐る紐を解くと、中には手紙が二枚と、真っ赤な一粒の真珠に金糸を括り付けた首飾りのようなものが入っていた。
一枚目には、少年からの礼の言葉。
二枚目には、――浚われた彼女からの、助けを求める言葉が拙い英語で書かれていた。
『助けて』『家に帰りたい』『怖い』
……外国語であれば、彼らにばれないと思ったのだろう。
なかなか頭のまわる子だなぁ、とぼんやり思った。
――でも、助けを求める相手が悪かったね。
◆ ◆ ◆
「あれ、兄さん何してるの? 火なんか使って」
「あー、うん。お焚き上げかな?」
なにそれ、と妹が眉をひそめる。
「不幸の手紙が届いたんだよ。――こういうのは、きちんと処分しないと後が怖いからね」
そもそも、これ以上彼らに干渉する気は僕にはないし、この手紙を残しておいて良いことなんて一つもない。
神様に喧嘩を売るほど、僕は人間をやめてはいないのだから。
「はぁ、兄さんって妙に迷信深いとこあるよね」
妹の呆れを含んだ言葉に、僕はあいまいに微笑む。
本当は僕よりも、妹の方が色々と気をつけた方がいいんだけれど。この子は生まれつきそういうモノに好かれやすいのだから。
まぁ、無意識にチャンネルを閉じている妹にそれを言っても仕方がないけれど。
「そうだ、これお前にやるよ。知り合いがくれたんだけど、僕には必要ないから」
「えっ? ――うわぁ、かわいい!! 本当にいいの?」
小さな箱を妹に渡し、その中身を見た妹が感嘆の声を上げる。
あの赤真珠には、守りの加護がかかっていた。ならば、僕が持つよりも妹が持っていた方がいいだろう。そもそも、あんな目立つものは、僕は付けたくないし。
「ああ、大事にしろよな。結構いい物らしいから」
「えへへ、ありがとう兄さん」
嬉しそうに礼を言う妹を見て、僕は微笑んだ。
――この笑顔が見られるならば、多少の苦労は水に流してもいいかもな。
そう思ってしまう僕は、やっぱりシスコンなのかもしれない。
「――ま、海は二度とごめんだけど」