ドッペル
「なぁ七樹。いま彼女と待ち合わせ中なんだけどさあ、三十分くらい遅れるらしいんだよ。――暇なら時間つぶすの付き合ってくれないか?」
僕は同じクラスの別にそこまで親しくはない友人にそう言われて、まぁ別にいいか、と頷いた。
それにしても彼女か。以前にちらりと見たことがあるが、かわいい子だったな。こいつ死ねばいいのに。
一人身と特有のむなしい嫉妬心を飲み込みながら、僕は口を開いた。
「じゃあここはひとつ、怖い話でもしてあげようか。これは一年くらい前の話なんだけど――――」
◆ ◆ ◆
あれは一年前の、蒸し暑い夏の日のことだった。
夏期講習の帰り道、小さな公園で中学生くらいの、そう僕の妹くらいの女の子が泣いているのを見つけたんだ。
それを見て僕は動揺してしまってね、俯いたその姿があまりにも妹に似ていたものだから。
ん? おいおい止めてくれよ、人の事をシスコンだなんて言うのは。そんなんじゃないって。
……話を戻そうか。僕が不自然に立ち止まっていたものだから、その子も僕のことに気が付いてね。失敗したなぁ、と思ったよ。
だってそうだろう? 下手なボーイミーツガールじゃないんだから、泣いている女の子なんて厄介事でしかないんだし。
でもまぁ、僕も一度目が合ってしまったものを無視するほど鬼畜ではないからね。嫌々ながらも近づいて「何かあったのかい?」と声を掛けたんだ。
思えばそれが間違いだったね。うん、失敗だった。
僕がそう問いかけると、女の子は堰を切った様に嗚咽を漏らしながら話し出してさ。「兄が怖い」「家に帰れない」「どうすればいいかわからない」と言い出したんだ。
『うっわぁ、DVかよ』と内心ドン引きしながら聞いてたんだけど、中々彼女の家庭は複雑らしくてね。
実の父親は幼いころに事故で亡くなっていて、そのあとすぐに母親は連れ子が一人いる男と再婚したらしいんだ。それがさっき言ってた兄のこと。
まぁそれは置いとくとして、実はその一年後に母親も謎の失踪をしてるんだ。
--色々あって実の父の保険金は彼女の物になったみたいだけど、ちょっと怪しいよね。色々と。
それから十年間、ずっと血のつながらない父親と兄と三人で暮らしてたんだっ
て。
幸いなことに父親の方はとても優しくて、彼女はそこまで苦労はしなかったみたいだけど。
ただ、何故かその父親は実の息子にはつめたくてさぁ、彼女色々やっかみを受けたみたい。大変だよね。
他にも原因はあるんだろうけど、その兄の不満が爆発したらしくてさ。
--馬乗りになって首を絞められたんだって。かわいそうだよね。
怖くなって何とか逃げだして、この公園まで逃げてきたは良いけど、父親に電話がつながらないらしくて。
会社にかけても「部長は早退しました」っていわれたらみたい。途方に暮れて泣いていた所に僕が現れたんだって。
彼女にとってはナイスタイミングかもしれないけど、僕にとっては大分バッドだよ。いや、言わなかったけどね。
このままここでジッとしているわけにもいかないし、もしかしたら家に父親が帰ってきているかもしれないからほしい、って涙ながらに懇願されてさぁ……。
流石に話を聞いた手前断れなくて、ついていったんだけど、うん、怖かったよ。
僕は暴力とかには縁がないからね。おい、もやしって言うのはやめろよ。結構傷つくんだぞ、それ。
――え、その後どうなったかって?
いや、なんか拍子抜けでさぁ。
彼女の家に着くなり、そのDV兄が土下座してて。大学生くらいの男性が土下座でお出迎えだぜ? 怖いだろう?
それからは「すまなかった」「もう二度と傷つけるようなことはしない」「許してくれ」って、もう謝罪のオンパレード。
しかもガツガツと頭を下げるもんだから、額から血が滴っててさぁ。軽くホラーだよね。
それでもちょっと心配だったから立ち会ったんだけど、なんか大丈夫そうだから帰ってきた。
そのあと暫くその子とは連絡取ってたんだけど、大丈夫そうだから安心したよ。本当に心を入れ替えたみたい。
今は一緒に買い物に行ったりするくらいには仲がいいってさ。そのかわり他の問題が発生したみたいだけど。いや、大したことはないらしいから。多分大丈夫。
え? これのどこが怖い話かって?
そうだな、あえて言うなら、そこまで協力したのに、かわいい年下の女の子と何もフラグが立たなかったことかな。お前もさっさと振られればいいのに。……冗談だよ、応援してるって。
今日はその彼女の家に行くんだっけ?
あんまり変なことはするなよ、お前手が早いことで有名だからさぁ。しかも手ひどく捨ててるって噂だし。いやいや、これは嫉妬じゃなくて純粋な忠告だよ。
「――悪いことをしたら、その報いは必ず返ってくるものだからね」
◆ ◆ ◆
校門に近づいてくる少女を指さしながら、僕は「ほら、来たみたいだよ」と友人に声を掛けた。
こちらに気づいた少女が小さく会釈をする。--相変わらず、かわいらしい女の子だ。
手をつないで寄り添い歩く二人を見送りながら、僕は先ほど友人に言わなかったことを思い返していた。
僕が彼女に付き添って家にいったあの日から、彼女の義理の父親は家に帰っていない。
まったく理由がない失踪だと、当時は話題になったらしい。
そのごたごたも、兄がいてくれたから乗り越えられたと、彼女は笑顔で語っていた。
ただ一つだけ言える事。
僕があの日彼女の家に行ったとき、彼女の兄が僕を見る目は、――ぞっとするほど冷たかった。人間のする目じゃない、と思ってしまうくらいには。
余談だが、彼女の母親は、彼女のことを虐待していたらしい。
おおかた新しい家族と暮らすのに邪魔だったのだろう。でも、その母親もいなくなった。
母親がいなくなった後は、今まで無関心だった義理の父親が良くしてくれたそうだ。
――まるで人が変わったみたいに。
やれやれ、怖い話だ。僕はオカルトなんて好きじゃないのに。
でも結局の所、僕と彼女は他人なわけで。必要以上に近づかなければ、彼が何であろうと僕には関係がない。
「――さぁて、僕の友人は明日も『彼』のままでいられるのかな?」