5章 妻の願いと娘《ダレン》
ちょこちょこ入ってくるダレンさん(32)。
バリバリの現役。
あの少女——連れてきた時に少女だと分かった——は、異世界からやってきたと言う。
信じがたいが、彼女の鞄やその中のものは、この世界には存在しないものばかりだった。
信じるしかないだろう。
少女の外見を、観察するように見る。
ボサボサだった髪は少し落ち着いて、黒の光沢が見れた。
その目も同じく黒で、森の暗さの下では、宵闇を溶かしたように見えたが、今は光に当たって宝石めいている。
こうして見ると……東方大陸の者のような外見をしているな。
「そういえば、森から出てきたようだが……魔物には遭遇しなかったのか?」
「魔物? あーっと、大きな熊とか狼とかは見たんですけど」
「何⁉」
大きな熊。巨熊ではないから、大熊だろう。狼は……爪牙狼⁉ B級の魔物だぞ⁉
「あ、でも気を失ったら、熊は倒れていて……狼は分かんないです。その時も意識なくしちゃって。次気づいたときには、森の出口、あの、ダレンさんに会ったところにきてました」
「……そうか」
どういうことだろう?
言っては悪いが、この少女、ヴェノストといったか、彼女はそこまで強いようには見えない。
それも気絶していたら消えていた、だと?
気絶などしたら、そういった獣はすぐさま襲ってくるはずなのだが……。
エレマは彼女をとても気に入ったようだが、俺には少し信用できないように思った。
まさか、何かの密偵などの類ではないか?
……いや。倒れた時は完全に意識がなかった。それに、あんな技術のある異世界からわざわざこの世界、特にこのシエル家を探りにくる理由が分からない。
考えすぎか。
「それなら、代わりといっては何だけれど、私のお願い、一つ聞いてくれないかしら?」
「え、ええ……」
「本当! 嬉しいわ‼」
エレマが突然大きな声を出した。どうしたのだろう?
……あの光を放つような笑顔には、嫌な予感がする。
「あのね、ヴェノ、私の娘にならない⁉」「え? ……えええ⁉」
「な、何を言ってるんだ、エレマ⁉」
ヴェノストという少女も、見るからに困った表情だった。
「だって、私、ヴェノみたいな娘が欲しかったの!」
「……ああ」
そうなのだ、エレマには子供が出来ないのだった。
ずっと娘が欲しいと言っていたが、養子を取るとなると、伯爵家なものだからやはり男児になってしまう。
伯爵位を相続させて家柄を得るには、女児では……と思われているからだ。
「別に、養子になれとは言わないわ……ここにいる間だけでいいの、シエルを名乗って、私の娘みたいに振舞ってくれれば、それでいいの……」
「エレマ……」
急にしんみりとしてしまった空気に、ヴェノストは戸惑っているようだった。
その姿は、森で見た時の貫禄なんて微塵もない、ただの少女だったから、俺は思わず少し笑ってしまった。
「……俺からもお願いする、ヴェノスト。ヴェノスト・ラ・シエルと名乗ってくれまいか。そして、エレマと、仲良くしてやって欲しい」
「ダレン……あなた……」
エレマは感極まったように目を潤ませた。
名前と苗字の間に入る“ラ”というのは、養子や食客などを表す呼称で、シエル家に属するものを示す。
これなら、仮に名乗るのには問題がない。
「ラ・シエルなら、もし他国に行くようなことがあって、この名が不都合になるなら、名乗るのをやめてもらってもいいんだ。お願いだ、しばしの間だけ……」
エレマには、色々と苦労をかけてきている。その願いは、できるだけ叶えたい。
「あ、あの、そんな私……いいんですか?」
「え?」
「その、私みたいに素性のしれないものを、この家においていただくなんて……」
これは、肯定と受け取っていいのだろうか。
「勿論だわ、ヴェノ! ねぇ、お願いよ」
エレマにウルウルとした目で見つめられて、ヴェノストはまた困った顔をした。
でも、その顔が心なしか嬉しそうに見えて、俺は少し安心した。
「えっと……よ、よろしくお願いします……?」
「ヴェノ!」
「うわあっ!」
エレマがヴェノストに飛びつく。
その様子は、髪や目の色に関わらず、本当に親子のようだ。
いつか、この少女がこの国を出るにしても、元の世界に帰るにしても、その時まで、彼女は俺たちの娘になる。
……俺自身もなんだかヴェノストに愛着が湧いてきて、エレマごとギュッと抱きとめた。