いつもの喧噪の中へ
「な、な、何見てるの!? 宗馬ぁ~~~!!」
気づかなかった。わたしの服は、あちこち破れ、ほとんど裸に近い状態だった。
原因はあれしかないわ。かろうじて破裂はせずにすんだけど、身体がかなりの大きさに膨らんでたんだわ。破れるって言うより、弾けたって感じでボロボロになってるもの。
「だから上着かけてたんだけど、返したの夢ちゃんだぜ」
「それを先に言わんかぁ!」
思わずその場にしゃがみ込む。
「イヤァ~。オレって口ベタだから」
ふざけながら、それでも上着をかけてくれる。
「本当は着替え持ってこようと思ったんだけど、オレ夢ちゃんのサイズ知らないんでね」
「知られてたまるか! とにかく服を手に入れるわ。あんたが先に歩きなさい! 絶対振りむいちゃダメよ」
「へいへい」
あ~恥ずかし。
う~恥ずかし。
よりによって宗馬なんかに見られちゃったわ。それも、人間じゃないのを合わせると今日は2回目じゃないの。
「……なあ、夢ちゃ……」
「振り返るんじゃないわよ!」
「分かってるって……さっき、夢ちゃんが能力に耐えてた時だけど……」
「何よ。風船みたいにパンパンに膨らってて、面白かったとでも言うの?」
「……それもあるけど……ど、どこまで聞こえてた?」
ボソボソ口ごもる。って、それもあるんかい!
「な、何が……?」
「……だ、だから……」
「遊び相手が死ななくて、よかったわね!」
言いたいことは分かってるけど……。
「お、おう。せっかくのおもちゃが無くなったら、つまらないからな」
「誰がおもちゃよ!」
「ぐあっ!」
背後から回し蹴り。スゴく有利だわ……それでも少しだけ手加減してしまった。
例の穴から1階に上がった。ここなら着る物は何もかも揃うわ。ほんと、ブティックの地下でよかった。
「わたしテキトーに見つくろって着替えるから、宗馬は先に外に出てて」
「うーん。これで夢ちゃんもリッパな犯罪者の仲間入りかぁ」
「しょうがないでしょ。それとも宗馬が替わりにお金払ってくれるって言うの?」
「それもいいけど、受け取る相手がいないんじゃ、意味ないからな」
ったく。最初っからそのつもりだったんでしょ。
「もう。さっさと出てって!」
「へーい」
ほんとはわたしも気が引けてるのよ。でもこんなカッコで歩きまわるなんて、できないじゃない。受け取る相手がいなくても、わたしがお金持ってるんだったら、ちゃんと置いていくわよ。
これでも気に入ったデザインの中の、できるだけ安いのを選んでるんだからね……と、こんな感じかな。あ、でもこのシャツにはやっぱりこっちのコートが似合うかな……うんうん、なかなかいい感じ。それなら足下にも気を使わないと、おしゃれもだいなしよね、やっぱり。
お、いいもの揃えてあるじゃないの。こうなったら、ちょっとした小物を入れるバッグも必要よね。初めのお店で見つけたあのバッグ置いてないかしら。
「おまたせ」
「待った待った。おかげで鼻毛で……」
何かつまらないことを言いかけた宗馬が言葉を止める。
「ちょっと、聞いていいか?」
「何よ」
「確かにその服は、夢ちゃんに似合ってると思うし、変にブランドに走ってないあたりも品がいい」
「そお? ありがと。でも1つ残念なのは、あのバッグがなくて、これにしたのよ」
そう。スゴく残念だわ。店の奥の在庫品まで探したのに、あのバッグはなかったのよね。しょうがないから、お店にある物の中で、一番気に入ったのを選んだのよ。
「選び放題だから、だんだんノッて来たのは分かる。でも全部でいくらくらいするんだ? その服」
「……あ、あはははは……聞かないで……」
いつの間にか、調子に乗り過ぎてたかもね。
「まっ、今回だけは見逃しておくよ。夢ちゃんがいなかったら、香港そのものがなくなってたんだからな」
「そうそう。宗馬は話が分かるんだから。あ、そう言えば、お昼に買ったお土産、まだ浮かんだままでしょ? 取りに行きましょ」
「そういう抜け目はないんだから」
宗馬はボソボソつぶやく。
「なんか言った?」
「なんでもありません。軍曹殿!」
しらばっくれて敬礼した。
藤澤さんを見つけた場所に着くと、そこには、スゴい人だかりができていて近寄ることもできなくなってた。空にはヘリも何機か飛んでる。
「なんなの? まだ何かあるのかしら」
「オレちょっと聞いてみるわ」
ヤジ馬の1人に宗馬が話しかける。もう次元バランス修正は終わってるから、広東語で話すその内容は分からない。2、3人に尋ねて、戻って来た。スゴ~く困った顔してる。
何よ、なんかイヤな予感がするわ。
「夢ちゃん。上」
そう言って指さす。
……あ……。
……わたしの……。
……わたしのお土産が……ヘリに回収されて行く……。
「つい30分前に、新聞社のヘリが発見したんだってさ」
「なんとかならない? 宗馬の能力で今すぐここに降ろすとか、どこか遠くに移動させるとか」
「ムリだろうな……移動させても追いかけられるだろうし、ここに持って来るとカメラに写される可能性がある」
「いいじゃない、カメラくらい。受け止めてダッシュすれば逃げ切れるわよ」
「だろうな……でも1つ困ったことがあるんだ」
意味ありげに宗馬が言った。
「何よぉ」
「オレ、空間操る能力で送ってもらってるから、顔がバレると密入国になってヤバイんだ」
「そ、そんなあ」
もう。肝心なところで役に立たないんだから。
「ところで、あのお土産全部でいくらしたんだ?」
「わたしが持って来たお金のほとんどだから……」
「ひょっとして、今着てるその服の代金と同じくらいなんじゃないのか?」
「あ!」
そうだわ。確かにそうよ。わずかな端数は違うけど、ほぼ一緒の値段……。
「やっぱり図星だったな。ヨッ! さすがバランスを護る者だけのことはあるな!」
「うるさい! 何よ分かったわよ! お土産はあきらめるわよ!」
「そうそう、人間あきらめが肝心だよ」
「もう!」
宗馬は鬼の首を取ったみたいに、わたしをからかいながらホテルに向かった。
でもいつの間にか、なぐさめてくれてた。
ようやくホテルが見えて来る。
「なぁ、2日間夢ちゃんに付き合ったんだから最後にちょっとオレに付き合わないか?」
宗馬が真面目な顔で言った。
「そうね。最後くらい……いいわよ」
「じゃあ、オレにつかまれ」
「は?」
「いいから、オレにつかまって!」
またふざけてるのかと思ったけど、やっぱり真面目な顔してるわ。
「こう?」
そっと腕をつかんだ。
「もっとしっかり持ってろ」
「こう!!」
思いっきり力を入れて腕を組んでやった。
「いてー! よしっ、離すなよ!」
苦痛の声を上げながら、宗馬が叫んだとたん、フワッと体が浮かんで、ものスゴい勢いで空に昇って行く。違う。これは重力を操る能力で飛んでる……ううん、空に向かって落ちて行ってるんだわ。
地面がみるみる遠くなり、やがてゆっくりと止まった。
上空に吹く強風は、わたしの能力で止めてある。
「ほんとは道を間違えたふりして、ヴィクトリアピークの夜景見に行く予定だったんだけど、行けなくなったからな」
やっぱり何か企んでたのね。でも……この景色の前ではなんの文句も浮かばなかった。
眼前に広がる香港の夜景。ガイドブックに載ってる夜景なんて足元にも及ばない、はるかな高さから見下ろす香港。
そして広大な中国大陸までおよぶ夜景……こんな光景、飛行機かヘリコプターでもなければ見ることができない。
ううん、なんの遮蔽物もなく360度の光景なんて、宗馬がいるからこそ見ることのできる景色。
「あそこに見える光、1つ1つにこの街に暮らす人たちの生活が息づいてる。
そこには、悲しみや苦しみも確かに含まれてるだろうけど、それでも言えることは、みんなその光の中に希望を持って生きてるってことだって思う。
……その光を、夢ちゃんはさっき命懸けで護ったんだから、この景色を一人占めしても誰も文句は言わないよ……」
いつもなら、何キザなこと言ってるのよって笑い飛ばすところだけど、今は少し感動してた。
わたしが護ったなんて言ってくれたけど、油断してテチにつかまったのはわたしだし、この光景……香港が助かったのもみんな宗馬のおかげ。
お土産がなくなったことなんて、ちっぽけなことに思えてきた。そうよね。お土産なんかまた来れば買えるわ。みんなには、わたしが浮かれすぎてお金を使い切ったってことにして許してもらおう。それに今着てる服だってあるし。
宗馬がいてくれて良かった。口には出さないけど、ほんとにそう思った。
彼の肩に頭を預ける。
ほんとは分かってた。初めて会った時から、わたしは宗馬のことが……ただ、あまりにふざけ過ぎる理想像とのギャップに反抗してたことも。
だからと言って、雰囲気のままキスするようなことはしないわよ!
そこまでは……まだ恥ずかしい。
2人とも何も話さずに、ただ眼下に広がる光景を見つめ続けた。
惜しむように、ゆっくりと地上に戻って行き、やがて、足に固い地面の感触が触れる。
「さてと、次元バランス修正も終わったことだし、夢ちゃん。オレそろそろ戻らないと」
夢から醒めたような気分だった。
「そうね……もう行動は終わったんだから」
「ああ。もう世界はオレがこの場所にいることを望んでないからな。ちょっとタイムオーバーしたけど、まあ大目に見てもらえるだろ」
「じゃあお別れね。わたしはツアーの予定通り明日帰るわ」
「そうだな。今日はゆっくり休んでおけよ」
「あたりまえでしょ。あんたがいないから、今日は安心して眠れるわ」
「言ってろ!」
「ねえ、あのとき最後に言いかけたのって、何だったの?」
「え、最後にって?」
「わたしからテチが抜ける直前に、『オレは夢ちゃんのことが、す』とか言ったじゃない」
「そ、そんなこと言った覚えなんてないぞ」
「言ったわよ。はっきりこの耳で聞いたんだから」
一歩踏み込んで、宗馬の胸に人さし指を突き立てて聞いてやった。
「あ、ああ! そうだ思い出した! オレは夢ちゃんのことが、スケベだなって言おうとしたんだっけ」
「絶対に違うでしょうに!」
まったく、せっかくチャンスをあげたっていうのに。宗馬らしいっていえばそうなんだけど。
「ま、そういうのは現実の中に戻ってからにするよ。オレだっていきなり送られてきたから何の用意もしてないしな」
そう言いながらも嬉しそうな宗馬の横に、空間が開き始める。
「じゃあ、お先に。また大学で遊ぼうぜ」
「絶対にイヤよ!」
いつものノリに戻って宗馬を送った。
ホテルに戻ると、テレビでブティックに強盗団が押し入ったことと、その地下通路からたくさんのミイラと、ここ数か月の間に行方不明になっていた女の人達が無残な姿で発見されたことを報道していた。
話す内容は分からなかったけど、ツアーの人達に教えてもらって大体の察しはつく。
藤澤さんのけがは大したことなく——当たり前だけど——警察が事情聴取に来ていた。
彼はパスポートの再発行なんかの手続きのためにしばらく残ることになり、寄り添って立っていた中桐さんは何も言わず、ただ黙ってわたしに頭を下げた。
うん。ショックだったろうけど、あなたには藤澤さんがついているんだから、2人でゆっくり癒していって……それができる人だから、世界はあなたたちを選んだんだから。
いつも通りわたしや宗馬のことは、何1つ表に出ることなく事件は処理されていく。あのおじいさんにもお礼を言いたくてあちこち探したけど、とうとう会えなかった。
「お帰り、夢ちゃん」
空港に着いたわたしを宗馬が迎えに来てくれた。
「ただいま」
空港のロビーを出ると、出発した時と何も変わらない懐かしい日本の空気。何も言わずに荷物を持ってくれてる宗馬。
「なあ夢ちゃん、オレ……」
「ところで約束は覚えてる?」
言葉をさえぎって、あたしはいたずらっぽく顔をのぞき込んでやる。
「約束?」
「忘れたの? あの時言ったでしょ。無事に日本に戻ることができたら何でも好きなものプレゼントしてくれるって」
「あ、ああ……そっちか」
「よーし。何もらおーかなぁ」
大きく伸びをしながら考えるフリ。
「な、なあ、あんまり高い物は……」
弱気な声が聞こえるけど、もちろん却下よ。
「もう1度、2人で香港に行かない?」
「え、オレと?」
ガラにもなく照れる宗馬。
「そう。それで、今回持って帰れなかったお土産。ぜーんぶ買ってもらおーっと。あっ、そうそう。ついでにあのバッグもつけて」
「うわぁ! カンベンしてくれ!」
街の喧騒が2人の声を飲み込んで行く。
コイツがいつあの続きを話してくれるのか、何の用意もなんて言ったからにはどんなサプライズを用意するつもりなのか今からとっても楽しみだわ。
だけど、これまでさんざんからかってくれた分、少しくらい返事をジラしてみるのも悪くないわよね。
fin.