なんてこと! わたしが絶体絶命!?
テチが台座を蹴って天井付近まで飛び上がり、宗馬に頭から突っ込む。
地面がテチの爪で深々と抉られる。あんな体なのに動きが軽い。
宗馬は素早くかわし、テチにかかる重力を高めて圧縮……しないわ。何やってるのかしら。
わたしは空気の塊を作り、テチめがけて放つ。今度のはミイラにやったのと違って、自在に操ることができるのよ。何度よけてもどこまでも追いかけられるわ。
小さな竜巻を起こしながら、空気の塊が直撃! って、あら? ぜんぜん効いてない?
「夢ちゃん! コイツ能力が通じないんだ」
「わたしの能力も封じられてたけど、何か特製の呪縛がどうとか言ってたわ。どうする?」
「決まってる。能力がダメなら力ずくってね」
地味にジャブを繰り出す。あんなのでも普通ならかすめただけでも即死レベルの威力があるのよね。さすがにテチも体勢を崩す。隙を逃さず宗馬の膝蹴り。吹っ飛ばしたテチを同じ速度で追って、鍾乳石の柱に激突したところにダメ押しでもう一撃。勢いで柱が崩れる!
なんてことするの!! その柱ができるまでどのくらいの年月がかかると思ってるのよ……って思ってももう遅い。何本もの柱が次々崩される……。
テチは普段、大規模な群れで行動してる。
異次元に移動する時は、先発として被害を最小限にするために一個体だけが侵入して移動可能……エサがあるか、敵になる生物がいないかを判断して、可能なら仲間を呼び寄せる。
それがテチだけならまだ問題は少ないんだけど、テチは眷族にしか過ぎない。
群れの中心、群れを形作る本体……蜂に例えて言えば、女王蜂的存在がいるのよね。
〈次元の白アリ〉と恐れられ〈絶対の捕食者〉と呼ばれる『ヤウギギ』。
しかも、ただ侵入する時でさえ、他の次元生命体のように次元の亀裂は作らないで、物理的にムリヤリ侵入するのよね。
ヤウギギの体長・体幅は約100km。
香港がまるごとなくなるサイズの穴が地球にいきなり開く……もう、それだけでどんな天変地異が起こるか想像もつかないわ。
テチの潰れた頭から、黄土色の液体がダラリと流れてるのに、まだ抵抗を続けてる。
まったくしぶといわ。
手助けしたいけど力対力の勝負で、はるかに宗馬に劣るわたしがへたに手を出せば、かえって足を引っ張るのよね。今は邪魔にならないことに専念しましょ。
テチが全身から体液を流しながら倒れる。宗馬は素早くテチの上着を剥いだ。
え? 何する気かしら。
「やっぱり異次元の結界張ってやがった」
服の内側には、わたしたちの世界のものじゃない結界を作り出す呪符が貼りつけてあった。
そうか、これだったのね。どうりでこっちの世界の……わたしの能力が通用しなかったわけね。
宗馬が呪符を剥がしてロウごとテチを圧縮する。
どのくらいの能力で圧縮するかにもよるけど、だいたいはハンドボールくらいの大きさになるのが普通。それをむうの地に持って行って、『おさ』に永久に封じてもらえば、もうこの次元にはテチとヤウギギは来なくなる。
先行した1体が戻って来なかったりすると、2度とその次元には手出しをしなくなる。用心深さが生き残るコツだけど、それを逆に利用すれば魔除けのお札の効果にもなるのよね。
宗馬が圧縮しようとした瞬間、黄土色の体液が蒸発するように周囲に散って、ロウの体だけがハンドボールくらいの玉に圧縮された。
蒸発してガス状になったものが、倒れてるアニキの体の中に入り込んで行く。それはさっきゴリラから出たガスとおなじもの……そうか、ミイラや通行人を操ったのはこれだったのね。
失神していたアニキがゆっくりと立ち上がる。
「あなたの動きは解析できました」
ロウと同じ口調になった。
「夢ちゃん、なんだあれ?」
宗馬がテチを無視して、急に反対方向を指差した。
「え、何?」
つられてそっちを見ても……何もないわ。何をやりたかったのかしら……。
視線を戻すとゴリラの姿がなくなってる。さっきまで倒れてた地面には野球のボールくらいの玉が転がってるけど、あえて何かは考えない。
「ゴリラどこに行ったの?」
「さっき一瞬で逃げ出した」
「あら、そう」
それ以上聞くのはやめた。
テチがアニキから先、体を乗り変えることができなくなったのには間違いない。
遅かれ早かれそうなってたんだから。ただ宗馬は、ゴリラが『人間でいる間』にそうすることを、わたしに見せたくなかっただけ。
「今度は先ほどのようには行きませんよ」
テチになったアニキがニヤリと笑った。
宗馬と組み合った。テチの動きがロウの時より格段に素早くなってるわ。
当たり前よね。あれだけ体が大きかったんじゃとても動けないわよ。なんて言ってる場合じゃないけど、今度も能力を使わないってことは、アニキにも呪符が貼ってあるってことね。
邪魔しないように、隅によけておきましょ。
テチもなかなかやるわね。
宗馬とほとんど互角にやりあうなんて、わたしならとっくにやられてるわ。やがてジワジワと宗馬が有利になっていく。もうテチが倒されるのも時間の問題ね。
最後のあがきとばかりにテチが飛んだ。天井部分を蹴って勢いをつけ、宗馬に捨て身の攻撃。
そう見えた。でも狙いは宗馬じゃなかった。
周囲の鍾乳石を蹴り、殴り、角度を変えてわたしに向かって飛んで来た。
その変則な動きをするために大切な自然の遺産と、ついでにアニキの右足と銃の破片で潰れた右手を犠牲にした。
狙いはわたし。
わたしの体を乗っ取ることが狙いだったのね! 気づいた時には、アニキから分離したテチに覆われてた。
「夢!」
宗馬の呼び声が響く。
全身にまとわりつくテチの感触……体の、外から感じる感覚が、間接的に感じられる。表現のしようがない感覚……。
宗馬が駆け寄って来て、用心深く構えながらわたしの様子をうかがってる。少し離れた場所に、もうピクリともしないアニキが倒れてた。
「わたし、テチと融合しかかってるのよね……?」
自分が出してるとは思えない声で、分かりきったことを宗馬に尋ねると、まだテチになりきっていないと知って近寄ってくる。
「ああ」
「今はふたやの能力で、操られていないだけだと思う?」
「……そう思う……」
侵入されてるために、不快なテチの意思が流れ込んでくる……。
『この世界には、エサがなんて豊富にあるのでしょうか。早くヤウギギ様をお呼びしなければなりません。
そのためにはこの位置を示す、7つの目印を置いて知らせなければならないのです……。
前、後ろ、右、左、上、下を仮定した面の中心が、1から6までの点。
それを平面に置き換え、その交点に配した7点目に聖なる祭壇を置き、狩りたてのエサの血をそそぐのです。
その時こそヤウギギ様はこの世界にいらしゃるのです。
それにしてもこの身体は侵入し辛いですね、死人たちや多くのエサどもには、すぐにでも入り込めたのですが……』
テチの意思を、そのまま伝えた。
「これって、やっぱりかなりヤバイわよね」
「………………」
何も答えてくれない。
いっそこんな時こそ、冗談の1つでも言ってくれれば、ありがたいんだけど。
「……今なら、考えられる方法が1つだけある」
宗馬が重い口を開く。
「何? あるんなら早く教えなさいよ」
いつものらしくない暗い顔で、わたしから目線をそらした。
「さっき、あいつが体を乗り換える時に見ただろう……融合するまでは、ガス状になるのを」
「ええ……」
「スゴく危険だけど、気圧を操る能力で……夢ちゃんの周囲の圧力を下げれば……あいつを吸い出せるかもしれない」
それは……。
「周りにはオレしかいない。次の体に乗り換えるまでに、オレがなんとかする」
確かに危険……むしろ賭けと言っていい。でも宗馬が言うように、あいつがガスになってる間なら、わたしから吸い出せる可能性はある。
このままだとわたしはテチになる。そして今度はわたしが宗馬を襲う。
テチになった時のわたしの力は、さっきのアニキたちから想像しても、軽く宗馬を超える。そして宗馬を殺したあと、また準備を始めるに違いない。そうなるともう手がつけられない。
「……わたし自身の……能力と力の勝負ね」
どっちに転んでも命懸けってことだわ。
「……あるいは、今すぐオレが……楽にしてやることもできるが……」
目をそらせたまま、ささやくように言った。
「お気遣いは嬉しいけど、わたしってあきらめ悪いの」
ニッコリ笑ってやると、宗馬が顔をあげる。
「できるところまで、やってみるわ」
「夢……ちゃん……」
え!? ……目が赤くなってる。笑い過ぎて泣いてる……わけじゃ、もちろんないわよね。何よ、驚くじゃない。
「あ……わたしがもしも、もしもよ、テチになったら、あんたを襲う前に迷わず……殺して。
それと……わたしがわたし自身の能力に負けた時は……」
言葉が詰まる。考えたくない。
「破裂した瞬間、見ないでテチごと封じて……」
「分かった……」
宗馬がうなずく。
覚悟を決めた。
ふたやとしての力だけが頼りだけど、まだ死にたくない。絶対にテチを追い出して見せる。
思いっきり息を吸い込んでから、わたし自身にかかる気圧……圧力を下げる。
うう……眼が飛び出しそう、鼻血が出そう、血管が切れそう……裸で宇宙に飛び出してるのと同じよね。少しでも気を抜くと、自分の能力で破裂する。
《大丈夫か夢ちゃん》
《大丈夫な……わけ……ないでしょ》
もう目が見えない、耳鳴りがスゴい。
圧力を下げる。
《がんばれ、少しずつ分離し始めてる》
《……まだ……少しず……つなのぉ?》
わたしに……かかる……圧力が、ゼロに……なる。
口元に生あたたかいものを感じる。鼻血が出てるんだ……カッコ悪い。宗馬には……見られたくなかった……姿だわ。
《そんなこと言ってる場合か》
わたしの……ふたやとしての力でも……そろそろ……限界……。
まだ……ダメなの?
《もう少しだ! がんばれ夢ちゃん》
も……もう、ダメ。
《あと少しだ! 耐えろ! テチになったら人間食べることになるんだぞ》
……絶……イ……ヤ。
《お前が死んだら、オレは誰と遊べばいいんだ》
……バ……。
《日本に戻ったら、好きなものなんでもプレゼントしてやるから!》
………………。
《くそ! 気持ちまだ言えてないんだ!!》
………………………?
《死ぬんじゃねえ!! 絶対に死ぬなぁー!!! オ、オレは夢ちゃんのことが、す……》
す!?
なくなりかけてた意識が、少しだけ戻った。
《よし! 分離した! あとはまかせろ!》
同時に能力を止めると、意識が遠くなっていく……。
……………………………。
「気がついたか?」
目を開けると、宗馬の顔があった。
さっきの最後の言葉が頭をよぎる……あれってやっぱり『そういう』イミ? しかないわよね。やだ、いまさら恥ずかしいじゃない! 何よそれって!
「せっかくの気持ちいい目覚めに、いきなりなんてもの見せるのよ」
そう言って顔を押しのける。
「いきなりそれか?」
声を無視して起き上がる。わたしの体には、宗馬の汗臭い上着がかけられてた。
「……で、テチはどうしたの?」
無造作に上着を突っ返しながら尋ねる。
「わたしが命懸けで捕まえたんだから、まさか逃がしてないでしょうね」
「なーにが捕まえた……だ。油断して捕まったくせに。まあ、オレがいたからよかったようなもんだ」
ズボンのポケットから、黄土色のパチンコ玉よりひと周り小さい玉を取り出した。
「まぁ。ずいぶん変わり果てた姿になったじゃない、似合ってるわよ。どのくらい?」
「2400倍の重力で圧縮した」
「ふ~ん。あとは、『おさ』に封じてもらって終りね」
これまで聞いたこともないとんでもない圧縮率だわ。宗馬ったらよっぽど気合い入れて圧縮したのね。
指先につまんで転がしてみる。これがさっき、わたしをひどい目に合わせた本体なんて……ひねり潰してやろうかしら。な~んて思ったりする。
「オレが『おさ』に渡してくるよ」
「そうしてちょうだい。なんだかもう見るのもイヤ」
「ともかく一件落着だな。夢ちゃんも、とんだ初海外旅行になったな」
「一生忘れられないわ……。まあ次元バランスは保てたんだから、良しとするけど」
「じゃあ、さっさとこんな所からは出ることにするか。香港はまだ寝てないぜ」
そう言ってわたしを見つめる。
「い、行きましょ……」
目をそらして立ち上がっ……た……?