中桐さんたちピンチじゃないの!
「わぁ」
店内はアヤシイどころかスゴく上品な店だわ。ちゃんとしたブランド物が、すごく安い値段で売ってる。他に買い物に来てるお客さんや店員さんの身なりにも、怪しげな様子は見当たらない。
「大騒ぎして買い漁ったりすると、店を追い出されるから静かに上品にしてろよ。難しいとは思うけど」
そっと近寄って教えてくれた……って、その最後のひと言はどういう……っと危ない危ない。もう少しで罠にはまるところだわ。
「そうさせていただきますわ」
にっこり笑って答えてやった。
宗馬も同じように笑い返したけど、右手でチッと指を鳴らしたのを、わたしはもちろん見逃さない。
ゆったりと作られた店内を見て回るうちに、あまり目立たない所に置かれてある小さなバッグに目が惹かれた。
どこのブランドとも表示されてない。材質はエナメル系だけど変にテカッてないし、シンプルな中にこのスマートなデザイン。
す、スゴくいい。これは間違いなく、わたしを待っていてくれてたに違いないわ!
あ~呼んでる、呼んでるわぁ。というわけでお値段は? と……。
えーと、わたしが両替した時1香港ドルがあの値段だったから……だったから~~~……きゃあ! 20万円とちょっと。
今回持って来たお小遣い全部出しても少し足りないわ。カードで買うとしても、わたしが毎月引き落とせる金額は……。
「いいもん見つかったか?」
わっ! 驚いた。いきなり出てこないでよ。心の準備ができてなかったじゃないの。
「なんだ? 小さいバッグだな。うわあ、そんなの夢ちゃん買えるのか? ここカード効かないぜ」
「そ、そうなの?」
う~ん。スゴく残念だけど、あきらめるしかないのね。
さよなら、わたしのバッグちゃん。機会があれば(もっと安くなってたら)必ずあなたを手に入れてあげるわ。
「そんなに欲しいのか?」
え?
「まさか意思を読んだんじゃ」
コイツにだけはわたしの意思は読まれたくない。注意してたつもりだけど、ついバッグのことで油断したんだわ。
「な~に言ってるだ。夢ちゃんの顔見りゃ、オレでなくてもすぐに分かるぜ。ノドから手が出るって顔、オレも初めて見たぞえ」
「うるさい。しょうがないでしょ、ホントに欲しかったんだから」
「プレゼントしてやろうか?」
「へ?」
「これ買えるくらいの金なら持ってるぜ」
……だ、だまされちゃいけないわ。きっと何かある。
ううん。何も無くても、借りなんか作られた日には、どんな目に遇うか分かったもんじゃない。
「結構よ。わたしはいらない」
「そ~か、いらないのか。残念だな~オレはただ純粋にプレゼントしようと思ったのにな~」
うぅ、嘘ばっかり。どうせ断わること分かってて言ったくせに~。
「さ~て他に何も無いなら、次の店に行くぞ」
後ろ髪引かれる思いでそのお店を出る。そのあとも何軒かのお店を引き回してくれたけど、つまらないお店は1軒も無かった。
ふん……ちょっとは見直したわ。
「ところで宗馬、何度も来てるって言ってたけどこんなに詳しくなるのに、どのくらい来てるの?」
少しあたりが薄暗くなり始めたころ、荷物を置きに1度ホテルに戻ることにした。
「な~に言ってるだ。ネットっがあるだろうに。
実際に何度も来なくても、オレぁ英語も広東語も分かるから、こっちの知り合いに穴場を教えてもらえるんだな、これが」
「そうなの」
広東語か……ちょっとやってみたいかな。外国語オンチのわたしにもできるかしら?
「あれ? 夢ちゃん。オレ道間違えたわ」
「は?」
「ここ、どうやらヤバイ所みたいだぞ」
「そうなの? でもよく知ってるはずでしょ」
「だってオレ、実際に香港来たの初めてだもん」
な、なんですって~!!
「あんた何度も来てるって言ったじゃない! あんなに案内してたのはどういうこと!」
「いやあ、ネットでなら何度も来てるし、穴場の店とか道は記憶してたはずだったんだけどな~」
ったく。見直して損しちゃったわ。
「で……帰りの道は分かるの?」
「ああ、向こうにあのビルがあるから、このままココ突っ切って行くのが1番近道かな」
「ホントでしょうね~。あんた今、ココがヤバイ所だって言ったばかりなのよ~、何か企んでるんじゃないでしょうね」
「いやいや、マジでほんと。ホレ、このオレの目を見てみろ」
「笑ってるじゃないの!」
グイッと突き出す顔めがけてくり出した右フックはやっぱりよけられた。
「だったらふたやにかけて」
「……じゃあ信用する」
「信用ないのねオレって。ああ、可哀相なオレ」
「あるわけないでしょ」
冷たく突き放してやる。
しょうがない、宗馬の言う通り向こうのビルを目指して歩くことにしましょ。
ヤバイ所って言ったって、相手が人間である限り、ぜんぜん恐くないわ……しばらく歩いたけど、ちっともヤバイことなんて起きないじゃない。
別に期待してるわけじゃないけど、お化け屋敷に入って何も出てこないような気分だわ。
「夢ちゃん、人じゃないかアレ? 倒れてるの」
宗馬が立ち止った。
「どこ?」
指さす方向、左に伸びる細い横道の奥に確かに誰か倒れてる。宗馬は意識散漫にキョロキョロしてたから見つけたのよ。
「しょうがないな」
そう言って宗馬が倒れてる人に近づき、わたしも一緒について行く。
「死人じゃほっとけないしな」
「今の、シャレ?」
「な訳ないだろうが」
うつ伏せに倒れてる人を、宗馬が無造作に仰向けにする。
「藤澤さん!」
間違いないわ。顔中殴られててひどい顔になってるけど、藤澤さんに間違いない。
「知り合いか?」
「あんた、ホテルで何度も顔見てるでしょ? わたしと同じツアーの人じゃないの」
「ふ……ん。かすかにまだ息があるけど、このままじゃ助からないな。急いで救急車を呼ぼう」
宗馬が立ち上がる。命が危険なのはわたしにも分かる。もう藤澤さんからは、命の気配がほとんど感じられないもの。
「そうだ待って宗馬。この人と一緒に来てた女の人がいないわ」
「さらわれたんだろ。何も知らない観光客がこんな所に来るから」
「まるまるあんたのことでしょーに、って。違うわよ、この人ほんとに何度もこっちに来てて、ガイドマップもいらないような人だったのよ」
「だからって、どうすることもできないだろ。次元バランス修正以外はオレらの関わるべきことじゃない。現実の世界で起こったことは常識で行動するのがルールだろ」
それも分かってるわ。普通の人がこの現場に出会った時にするように、救急車を呼んで必要なら警察の事情聴取も受ける……それが当たり前の行動。
そして日本に帰ってからは時々2人のことを思い出して、中桐さんの行方を心配しながらもいつものように生活を続ける……そんな毎日……。
「やっぱりダメ! ほっとけないわ」
ふたやの能力で周囲から気を集めて、藤澤さんに送り込んだ。
「だろうな、やっぱり」
ニカッと笑って宗馬も気を集め始める。
もう、あんたも最初っからそのつもりだったんでしょ!
「夢ちゃんならそうすると思ってた。でも完全に治すなよ」
「どうして?」
「パスポートや身分証明なんかぜんぶ奪われてるだろうから、襲われたってことで病院や警察から被害届けが出ればあとの手続きが早い。それに、正面切って女の人の捜索願いが出せる」
「そうね」
2人がかりで気を送ったおかげで、藤澤さんはみるみる回復していく。
「このくらいでいいかな?」
多少の骨折なんか……命に別状ない程度まで回復させて、気を送るのをやめた。
「じゃ、ちょっとオレ電話探してしてくるわ」
宗馬が一瞬で視界から消える。海外に行くなんて考えてなかったわたしの携帯は使えないし、宗馬なんかいきなり送られてきたから携帯そのものを持ってなかったのがこんな時にあだになるなんて。
「う……」
藤澤さんが意識を取り戻す。
「麻美、麻美は……」
「何があったの? 中桐さんはどうしたの?」
今危険なのは中桐さん。もう藤澤さんに命に別状ないのが分かってるから強く尋ねた。
「……分からない……ブティックで急に……」
なんのことか分からないわ。
「気づいたか?」
宗馬がもう戻って来た。
「救急と警察、それと日本大使館に匿名で連絡した。すぐに人が集まって来るぞ」
「藤澤さんが何を言ってるのか分からないのよ」
「オレが聞く」
藤澤さんの口元に耳を寄せた。
「……ダメだな、混乱して話がつかめない。しょうがない……緊急時だしカンベンしてもらおう」
宗馬が藤澤さんの意思の中にムリヤリ潜り込む。
光や電磁波なんかの『向いてる』能力ならそうでもないんだけど、それ以外の能力で普通の人がこれをされるとかなり苦痛だけど、今は言ってられないわ。
「……よし、分かった。行くぞ夢ちゃん」
「その前に土地にお願いしておくわ」
ふたやの名において救急隊の人が来るまで、この人に害をなすものから守って下さい……。
意思にムリヤリ入られたことで、脂汗を流しながら気絶した藤澤さんの周囲に気を送った。これで大丈夫。救急隊の人が来るまで害虫1匹たりとも近づけない。
「お待たせ。先行して」
「おう」
宗馬が走り出す。そのあとを追って……。
「ああ! 待って、荷物どうしよう」
今日買ったお土産なんかの袋がたくさんあったじゃないの。こんなの持ってると身動きできないわ。
「しょうがないな、ほら」
宗馬が袋を固めて持ち上げて空に向かって放り投げると、重力を操る能力で50mくらい上空で止る。
「これであとから取りにくればいいだろ」
「そうね。念のために……」
荷物の周りの気圧を固定させる。
わたしの能力。気圧を操って荷物の周りにだけはぜったい雨が降らないようにする。せっかくの皆へのおみやげを濡らすわけにはいかないわ。
改めて宗馬のあとを追って、表通りより少し入り組んだ通りにある、見た目はおしゃれなブティックの近くに到着した。
「ここだ。藤澤さんの記憶にあった店」
「ここで何があったの?」
少し離れた所で様子を伺う。
「試着室で着替えてる間に、床が抜けるか、鏡が開くかして誘拐する。カップルで来たんなら、いつまでたっても出てこない相手を不思議に思って試着室の中を見ると、もぬけのカラ。
店員に尋ねると、奥に案内されてさっきの藤澤さんみたいな目に会う
うわさには聞いたけど、本当にやってたなんてな」
「その場合、中桐さんはどうなるの?」
「ほぼ想像通りってとこかな。ヤバイのはそのあと」
「あと?」
「都市伝説でもあるだろ。逃げ出そうとすると、そのたびに手足を1本ずつ切り落とされる。全部なくなったら見せ物小屋行き」
「あんたはうわさに振り回され過ぎ!」
「ははは、そりゃそうだ。うわさだからなあ。それじゃあ、行きますか」
宗馬が何も考えずに店に入ろうとする。
「待ってよ宗馬」
「なんだ?」
「中桐さんがこの中にいるかどうか分からないでしょ」
「いるだろ。運び出すならまとめて商品の納入時に受け渡すのが1番目立たないし、手っ取り早い。この中途半端な時間ならどこかに監禁されてる可能性が高い」
「それはそうだとしても、あんたどうやって探すつもりよ?」
「店員の目盗んで中に入るくらい、どうってことないだろ?」
やっぱりそんな脳天気な作戦しか考えてないのね。わたしたちはいいけど、中桐さんがついて来られるはずないじゃない。
「中桐さんを連れて逃げること考えないといけないのよ。できるだけ動きやすい方がいいわ」
「じゃあオトリ捜査でもするか? 夢ちゃんが捕まえられたら同じ場所に連れて行かれるはずだ」
「……そうね。それいいかもね」
「オイ、冗談だよ」
「それいきましょ。だったら、同じシチュエーションの方がいいわね」
考えるのもイヤだけど……。
「宗馬、スゴくイヤなんだけど、ここは藤澤さんたちと同じようにしない?」
「同じように?」
「わたしたちもカップルのフリして中に入るの」
「なに~い! 夢ちゃんとか?」
露骨にイヤそうな顔をする。ふん!
「わたしもイヤだけど、この場合しょうがないでしょ。2人一緒に入っても1番怪しまれないし」
「……ま、まあ。そうだな……」
「だったら行くわよ。ホラ、腕ぐらい組みなさい」
「あ、ああ……」
わたしたちは表面上、スゴく仲のいいカップルに見せかけながら店内に入り、テキトーな会話をしながら意思で話し合うことにした。