せっかくだから観光も堪能しないと
「ここがヴィクトリア・パークなんだわさ、散歩にはちょーどええだろ」
「なんでわざわざこんな所まで……」
歩きながら文句を言おうとした時、たくさんの人たちが、太極拳の練習をしてるのが見えて、その訳が分かった。
ガイドマップにも載ってたっけ?
朝に行くと太極拳をする姿が見られるって。
「オレらなら、散歩代わりに観光客として見る以上に楽しめるべ?」
そうね、確かに。外国に来てるんだなあって、気分を味わえるのもあるけど、太極拳をしてる人の気の動きが見えるってのも面白いわ。
「ホレ、あのにーちゃんカッコばっかりで、ぜんぜん気が練れてないべ。
それに比べてアッチのおっちゃん、地味な割になかなかやるもんだ」
「いいじゃない、人それぞれなんだから」
太極拳ばかりじゃなく、手を木にかざして気の循環をしてる人もいる。
公園にはわたしたちみたいに、散歩や観光目的で見に来てる人、ジョギングする人、なんとなく地面に座ってる人なんかが自然と集まっていて、のんびりした空気に包まれてる。わたしたちは平気だけど、寒くないのかしら?
でも、ああ。なんか平和で気持ちいいわね。
宗馬の買って来てくれたホット烏龍茶を飲みながら、地面に座ってそんな光景を眺めてると、まっ白なヒゲをたくわえたおじいさんがやって来た。
「おっ! あのじーさん大したもんだな」
宗馬もすぐに気づいた……って、そりゃそうよね。普通の人があれだけの気を持ってたんじゃ。今は抑えてその素振りさえ見せてないけど、相当なものだわ。
おじいさんに気づいた何人かの人たちが、気軽に声をかけて、彼もにこやかに返事を返してる。やっぱり有名人なのね。
「このあたりじゃ老師様ってところか。
お! 見ろよ夢ちゃん。じーさんなんか始めるぞ」
言われなくったって見てるわよ。
年齢を感じさせない円を描くような軽い動きね。不思議な足さばきで、高く、低くクルクル回転しながら、さまざまに変化する掌が突き出されたりする。拳法みたいだけど、舞踊のようにも見えるわ。
「八卦掌か珍しいな」
「何? ハッケショウ?」
「八卦だよ、8方向。
董海川って人が創始者で、拳法だけど拳を使わないんだわ。
気を練るのには最高の動きなんで、実際にとことん極めると、とんでもない力を発揮するから色々な伝説が各地に残ってる。
動きから龍形八卦掌とも呼ばれてるぞ」
「へー、八卦掌か」
「それにしても、あのじーさん。ほんとに大したもんだな。オレたちの40分の1くらいの力あるんじゃないか」
「そうね……って、何よ! それでも10人力以上でしょ! バカにしてない?」
「いきなりオレの力、全開してみようか?」
「絶対にしないで!」
なんてこと言うのよ! そんなことしたら、あんたの能力に巻き込まれて何人死んじゃうと思ってるの。
「もう~夢ちゃんば、すぐ怒るんだからぁ~」
ふん!
「さーて、ぼちぼち行こうか」
ズボンについたホコリを払いながら宗馬が立ち上がる。さっきのおじいさんは八卦掌の鍛練を終えて、集まってる人たちに気功治療を始めてる。
「今度はどこ?」
「夢ちゃんが気に入りそうなとこ~」
何よ、それ?
連れられて着いたところは、街から離れ、木々が生える牧草地のような避暑地のような場所。
木を組み合わせて作られたログハウス風の建物に宗馬がヒョコヒョコ入って行く。受付カウンターで何か話してるけど、何言ってるのか分からない。紙にサインしてお金を支払ってる。
「んじゃ、行こーか」
「何よココ」
「ん? 電話で友達紹介してくれるトコ」
わけ分かんないわ。
表に出るとちょっとした牧草地で、向こうから係の人が馬を2頭連れて来た。
「夢ちゃん、馬に乗ったことある?」
「な、ないわよ」
「じゃ、初体験だな」
な、何よ。馬なんて乗ったこともないし、本物を間近で見るのも初めてよ。
わたしがドキドキしてるのも無視して係の人は宗馬と簡単な言葉をかわすと、馬を置いて帰って行く。
あははは……目の前にわたしに預けられた馬が、ドーンと立ってる。どうしろって言うのよ!
「経験なくても夢ちゃんなら大丈夫だろ。ふたやなんだから」
平然としながら宗馬は自分にあてがわれた馬の首をなでてる。そりゃあんたは馬同士で気が合うかも知れないけど。
「ムリに馬に乗ろうと思うから馬が嫌がるんだわ。馬に乗せてもらって、人に乗ってもらってる……だべ?」
そう言いながら、普段の宗馬とは思えない身軽な動きで馬の背中に……逆立ちで飛び乗る?!
「ソリャー!」
足で器用に手綱を握って走り出して行くあとを、受付のあった建物から、係員が叫びながら宗馬が消えた方に向かって走って行く……わたしは他人よ他人!
あてがわれた馬は雌で、名前はMillion Dreams。
偶然だわ。万の夢。同じ名前じゃないのよ……ううん、これは宗馬がわざと選んだに違いないわ。きっとそうよ。
でも、なんだか親しみがわくわね。ミリオン。
大きくてまっ黒な瞳、つやつやした毛並み。首筋を優しくなでると、彼女も大きな舌でわたしの頬を舐めた。
「きゃあ。けっこう固くて痛いわ」
その上、髪の毛を実際には食べないけどモシャモシャと食べ始めた。人なつっこいのね……。
《わたしを乗せてくれる?》
首をなでながら伝わるか分からないまま、意思を送る。
ブルル……。
返事かどうか分からない。
《髪の毛食べないで……》
ブル、フンフン……。
意思が通じたのか、髪を齧るのはやめて、ほほを固い舌で舐めはじめる。
……食べてるのではありません。仲間どうしのグルーミングです……そんな気持ちが返って来た。
《そうなの? よかったらこの場所案内してくれない?》
そう伝えると舐めるのをやめて、どうぞってわたしに背中を向けてくれた。
《乗せてくれるのね、ありがとう》
テレビで見た馬の乗り方を思い出しながら、できるだけこの子に負担がかからないように地面を蹴って鞍に座ると、ゆっくり歩き始める。
軽快な蹄の音。
一緒に散歩するつもりで、この子の行きたい所にまかせることにした。
どうせわたしには分からないんだから案内してもらおう。わたしから意思を開放しておくうちに、だんだんこの子の意思が感じられる。
ここは景色がいいとか、ここは気持ちがいいとか伝わってくる。
うんうん、そうよね。この土地をよく知ってるあなたが教えてくれるんだから間違いないわ。そういう場所に着くと、理屈抜きでそんな感じになるもの。
……ここでいつも水を飲みます。
意思が伝わって来て、敷地内にある池の水を飲みはじめた。
ひと休みね。木漏れ日のさすこの空間は気持ちいいわ、鳥のさえずりも違ったものに感じられる。
「夢ちゃんも来たか」
せっかくのいい雰囲気をぶちこわしに宗馬がやって来た。今はちゃんとした姿勢でまたがってる。
「こんな所まで来て、日本の恥をさらさないでよね」
「しょうがないだろ。コイツ、乗せてくれって頼んだら、何か変わったことしろって言うから」
そう言いながら、乗ってる馬の首筋をなでてる。
「あんた、そんなこと言ったの?」
ブルルル……。
錯覚だろうけど、馬がニカッと笑ったような気がした……宗馬にはお似合いだわ。
「それにしても意外だったわ。香港に来て馬に乗るなんて」
「イギリス領だったからな。日本よりずっと本格的だろ。電話で予約さえしておけばちゃんと用意しておいてくれるんだっス」
朝どこかに電話してたのはココだったのね。
「日本のを知らないから比べようがないわ。でも宗馬が馬に乗れるなんてもっと意外だわ。
紳士的ってのから一番遠い所にいるはずなのに。やっぱり馬どうしだからね」
「オレの親戚に北海道の人がいるんだな、大学が休みの時なんかには旅行を兼ねて、仕事手伝いながら泊めてもらってるんだわ」
「へー、そうなの」
ちょっとだけ、あくまでちょっとだけうらやましい。
「今度の夏にでも俺が行く時、夢ちゃんも一緒に行かないか?」
「……そうね、少し考えてもいいかな」
「なんせ、けっこう力仕事が多いんだ」
「絶対に行かない!」
わたしたちが騒いでると、ミリオンと宗馬の馬がそろって歩き始める。
「ねえ、あんたの馬の名前なんて言うの?」
「そうくると思ってた。Mischievous Boyだべ」
やっぱり選んでたのね、この『イタズラ小僧』。
お昼近くまで、ミリオンたちの行きたい所、案内してくれるところをまわった。
イタズラ小僧とミリオンは仲がいいのか、ずっと一緒だった。つまりわたしも宗馬と一緒だったってわけ……ぐぐっ!
「そろそろお昼だな。ミリオンと名残り惜しいだろうけど行くかぁ?」
「そうね、もう少し一緒にいたいけど。あんまり長くいるともっと寂しくなるわね」
ログハウスに戻ってミリオンから降りた。
《ありがとう、ご苦労さま》
そっとなでながら、意思を伝える。
……いいえ。どういたしまして。
係の人に連れられ、優雅に帰って行く。それに比べてイタズラ小僧の方は、来る時はおとなしかったのに帰りは何度も宗馬を振り返って、係の人を困らせながら戻って行った。
「あんたに関わると、馬でもガサツになるのね」
「うるせー!」
それだけ言って、さっさと歩き出す。あ! ひょっとして。
「わたしより宗馬の方が寂しいんじゃないの!?」
大声で背中越しに言ってやった。
「そうなんでちゅ。お別れするのとっても寂びしいんでちゅ」
クルッと振り返って可愛い子ぶる。
もー! 罠だったのね。せっかくからかってあげようと思ったのに。
あら? 気配がほんとに寂しそうだわ。すっごく意外ね、宗馬にも少しはそんな一面があるなんて。
街に戻るころはちょうどお昼時で、たくさんの人でごったがえしてる……ああ、さっきまでの静かな? 空間が恋しいわ。
「お、この店にしようぜ」
宗馬が一軒のお店に入るけど、元々わたしにはどこに入ればいいかなんて分からないからお任せよ。
ようやくテーブルが空いて席に座り、店の人に宗馬が何か注文してくれてる。
やがて出て来た物は……。
「何よ、宗馬! 魚じゃないの! それに、こっちはバーベキューだし、これ……何? 鳥?」
わたしたちが食べられない物ばかりがテーブルに並んでる。かろうじて食べられるって言ったら、お粥くらいだわ。
「たまにはいいかと思って。せっかく外国に来たんだからさ」
平気な顔しながら、バーベキューを頬ばる。
黙って席を立った。ホテルに戻って昨日のボーイさん探そう。あの人なら日本語通じるし……。
「待て待て! 早まるな。よく見てみろ」
よく見ろ、ですって?
「ほら日本の精進料理でもあるだろ、見立て料理。鯨や穴子の寿司にそっくりな物とか。
あれの中華版だよ。この店見立て料理の専門店なんだ」
わたしが本気で怒ったのが分かったのか、不安な顔で説明した……そうだったわ。
相手は宗馬よね。もしほんとに肉だったら、あんたの身体の周りから空気なくしてやる。
……魚に見えた物は、頭と尻尾を野菜の飾り切りで、うまくそう見えるように作られてる物……でも、この白身の部分はアヤシイわね。
「中身はタロ芋をフライにしてそれらしくしてあるんだ。
それにこのバーベキュー、大豆タンパクのグルテンで作ってあって、こっちの鳥に見えるコレは湯葉なんだ」
ほんと、分からなかったわ。
「だいたいオレ自身アレルギーなんだし、夢ちゃんが食べられないのも分かってるんだから」
「あんただから信用できないのよ」
「ヘイヘイ、ただの菜食料理ばかりじゃつまらないだろうかと思って、驚かそうとしたオレが悪うごぜーましただ」
気を取り直して、テーブルに座り直す。まったく、先に説明しなさいよ。
あら、このタロ芋のフライって甘酢がきいておいしいわね。ちょっと冷めてしまってるけど、ナカナカいけるわ。家でも応用して作ってみようかしら。
あ。こっちのバーベキューって、不思議な歯応えね。お豆腐をすり潰しておろしたレンコンと混ぜて焼いたの?
ふーん、この湯葉を使ったのも面白いわ。なるほど、こんな使い方もあったのね。参考になるわ。
「機嫌なおった?」
「まあ……ね。疑って悪かったわ」
わたしが機嫌を直したのをいいことに、宗馬はいつもの調子を取り戻す。
もう少しくらい不機嫌だった方がよかったのかも知れないわ。
「さーて。帰るのは明日の午後だけど、直前でバタバタするのって落ち着かないだろうから、今日のうちにお土産買っておかないか?」
お店から出て、先を歩いてた宗馬が提案した。
「そうね、わたしが香港に行くって教えてある友達もいるしおみやげ買わないと」
「だったら、格安ブランド巡りでもするか」
「そうね、安く済むんならそれがいいわ。そんな店も知ってる?」
「おう、まかせとけ。ちゃんとアヤシイ店に案内してやる」
そんなことを言いながら、最初の店に入った。