4章~当主~
玖代家は数年前に前当主であり、弐羽の父親でもある宗春が他界したあとは、妻、すなわち弐羽の母親である現当主の百合香が一切を取り仕切っていた。
玖代家の家族構成は現在、当主の百合香とその長女の弐羽、そして次女の参琉の3人である。
「本当に男手がいないのですね。不便ではありませんか?」
玖代家当主の部屋へ向かう道すがら、葛木は弐羽から玖代館の住人について聞いていた。
玖代家の3人に、先程挨拶を交わした女中が2人、もう1人厨房を任されている伊藤たき、という人がいるがこれも女性だそうで、所謂ホスト側は完璧に女性しかいないことになる。
「そうですね。どうしても日常生活の中で、男手が欲しくなることはあります。・・・そういった時には、お恥ずかしながらお客様の手をお借りすることもあるんです」
弐羽は申し訳なさそうに苦笑する。
現在この玖代館には4人の客が滞在しており、そのうち3名が男性ということで、時折彼らには仕事が振られることがあるらしい。
「ですから草太郎さんにも、色々とご迷惑をお掛けすることになってしまうと思いますが」
「いえ、むしろ一方的にお世話になるだけでは心苦しいので、いつでも仕事を言いつけてください」
葛木が軽々に請け負うと、弐羽はそれまでの申し訳なさそうな表情から一転、言質はとったとでも言わんばかりに、
「あら、じゃあ遠慮なくお願いしますね」
「・・・お手柔らかに」
悪戯好きの猫を思わせる笑みを返された葛木は、苦笑で応えた。
「着きました、母の部屋です」
玄関から正面の階段を上り、二階に上がって右手に進んだ突き当たりの部屋に到着する。
「お母様、弐羽です。岸間先生のお客様をお連れしました」
控えめなノックとともに弐羽が告げる。
「どうぞ入って頂戴」
返事はすぐにあった。
「失礼します」
弐羽の後に続くようにして葛木も部屋の中へ足を踏み入れる。
そこは個人の部屋というよりも、応接室か執務室といった雰囲気の部屋だった。
部屋の中央に木製のテーブルがあり、それを挟むように一対のソファがある。
部屋の壁は多くが書棚に覆われていて、書斎と言っても差支えはないだろう。
そんな部屋の奥、執務机らしきところで何やら書き物をしている女性がいた。
女性は葛木達の方へ視線を移すと、微笑を浮かべ立ち上がる。
「ようこそ、玖代館へ。この館の主、玖代百合香と申します」
「お初にお目にかかります。岸間雪彦氏の紹介で参りました、葛木草太郎と申します。この度は滞在の許可を頂き有難うございます」
にこやかに挨拶を交わし、百合香に席を勧められた葛木はソファに腰を落ち着けた。
「弐羽、悪いのだけれど、玲さんか南ちゃんに頼んでお茶の用意をしてもらってくれる?」
「わかりました」
「ああ、いえお構いなく」
弐羽が部屋を出て行くのを呼び止めようとした葛木に、弐羽は少し怒ったような表情で振り返り、
「もう、草太郎さんはお客様なんですから、きちんともてなされてください」
そう言うと、最後には笑みを浮かべて部屋を出てしまう。
「あらあら、葛木さんはもう弐羽と仲良して下さってるんですね」
どこか先程の弐羽を思わせる笑みを浮かべながら百合香は葛木の向かいに腰を下ろす。
「は、はい。お恥ずかしい話ですが、こちらに来る途中、その、道に迷ってしまいまして。偶然弐羽さんに出会えていなければどうなっていたか」
独りで森の中をひたすらに歩き続ける恐怖を思いだし、葛木は肩をすくめた。
「まあ、そんなことが。それではさぞお疲れになったのではありませんか?」
心配そうに葛木の様子を伺う百合香に、心配はいらないと笑ってみせる。
「この館を見た途端に疲れなんて吹き飛びました。とても素敵な造りですから」
「ふふ、そう言って頂けると嬉しいです。この館は、我が家の自慢ですから」
自慢、そう口にした百合香の瞳に一瞬暗い影が落ちたような気がしたが、葛木がそれを指摘するよりも先に、
「そういえば、葛木さんは岸間先生のご紹介ということでしたけれど」
百合香が話題を振ってきた。
唐突に話題を変えられた気がしないでもなかったが、葛木は気を取り直してそれに応じる。
「はい、岸間さんとは以前彼が僕の通う高校で民俗学についての講演をされた時に知り合いまして、以後何度か手紙のやり取りをしていたんですが、今回高校が長期休暇に入る間、自分の研究の手伝いをしてくれないかと、こちらに誘われた次第です」
「そうですか。岸間先生から頼られるなんて、葛木さんは優秀な学生さんなんですね」
「い、いえ全くそんなことは。岸間さんとは偶然気が合ったようなものでして」
お世辞でも何でもなく心の底からそう思っていると言わんばかりに微笑みを浮かべる百合香に葛木は慌てて首を振った。
「僕自身は至って平凡な学生ですよ。ですから、今回はお手伝いさんが1人増えたぐらいに考えて頂ければ」
「ふふ」
「?」
必死に否定する葛木の様子がおかしかったのか、百合香が笑みを漏らす。
「ああ、いえすみません。先程の弐羽の態度に合点がいったものですから。あの子がお客様に対して接しているというには少々押しの強い感じに見えたんですが。葛木さんが原因でしたか」
「僕が、ですか?」
自身は特に弐羽の態度に疑問など抱かなかった葛木は首を傾げることしかできない。
「ええ。きっと、葛木さんがあまりにもお客様らしくないものだから、あの子少しムキになっているんですよ」
そう言ってまた笑みを零す百合香に、葛木は自分のこれまでの行動を回想して、確かに弐羽にもそのようなことを言われたことに思い当たり、はあ、と相槌を打つ。
「あら、草太郎さん、もうお母様と仲良くなったんですね?」
そこへ3人分の紅茶を盆に載せて弐羽が戻ってきた。
「2人で楽しそうに、何のお話をなさってたんですか?」
「いえ、どうやら僕が客人らしくないということで笑われてしまいまして」
隠すほどのこともないので、葛木はそのままを弐羽に伝える。
「あら、お母様もそう思いますか?」
「ええ。少しお話しただけでよくわかるわ」
しかし、母娘は何故か意気投合したようで、お互いに笑いを堪えているようだった。
「そこまで客人らしくないでしょうか?」
葛木としては、そのようなつもりはないのだが、こうして2対1の状況だと自信が無くなってくる。
しかし、
「そうですね、でも悪いことではないですよ。草太郎さんはいい人だ、ということです」
「はあ」
そんな風に弐羽に笑顔で言い切られてしまっては、葛木としては反論の仕様もないのだった。