第1話:ブックマークのお礼ですっ!
「先生、ブックマーク増えてますよ」
響琴波がそう言った瞬間。
「えっ!?」
先生は顔を上げた。
「何件ですかっ!?」
「昨日からプラス三件です」
「三件!?」
椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
「琴波さん!」
「はい」
「……本当に増えてる」
「だから増えてるって言ってるじゃないですか」
「昨日まで四十七だったのに」
「五十になりましたね」
「五十……!」
先生が噛みしめるように呟く。
「大台……!」
「先生」
「はい?」
「先生、一応プロの作家ですよね?」
「一応ってなんですか」
琴波は無言で鞄から一冊の本を取り出し、机の上に置いた。
『「役立たず」とクビになり、恋人にも見限られた宮廷魔術師ですが、婚約者に売られた聖女を拾ったので全力で守ります。今さら返せと言われてもお断りです 第7巻』
通称――『拾われ聖女』。
シリーズ累計十万部。
売れっ子というには少々心許ないが、先生は作家業だけで生活している、れっきとしたプロのライトノベル作家である。
そして響琴波は、その担当編集だ。
今日も第八巻の原稿を確認しに来ている――はずだった。
「十万部ですよ?」
「はい」
「なのに、趣味で投稿してる小説のブックマーク三件で、なんでそんなに大騒ぎしてるんですか」
「それとこれとは別腹なんです」
「別腹ですか」
「商業は商業。投稿サイトは投稿サイトです。それに、こんなふざけたタイトルなのにブックマークしてくれてるんですよ?」
先生はパソコンの画面を指差した。
『理系作家、神じゃないと叫びながら今日の夕飯を守りたいっ!』
「…………」
「…………」
「先生」
「はい」
「確かに大事にした方がいいかもしれません」
「どういう意味ですか!?」
「褒めてます……読者様を」
「私も褒めてくださいよ!」
「ってか、ふざけたタイトルと言う自覚があるなら変えましょうよ!」
琴波はコーヒーを一口飲んだ。
先生はもう一度、画面を見る。
ブックマーク、五十件。
「……でも、やっぱり嬉しいですよ」
さっきより少しだけ静かな声で言った。
「投稿サイトには、小説なんて山ほどあるじゃないですか」
「そうですね」
「その中から私の小説を見つけて、読んで、その上でブックマークまで押してくれたんですよ」
先生は三本の指を立てた。
「三人も」
琴波が、その指を見る。
「……三件じゃなくて?」
「三人です」
先生は即答した。
「数字で見たら、たった三件ですよ。でも、その向こうには三人いるんです」
顔も、名前も知らない。
それでも、この世界のどこかにいる三人が、自分の書いた物語を読んだ。
そして、もう少し読んでみようと思ってくれた。
「冷静に考えると、すごくないですか?」
琴波は少し黙った。
「……まあ」
「でしょう?」
「そこは否定しません」
「ですよね!」
先生の顔が再び明るくなる。
「よし! お礼しなきゃ」
「お礼?」
「今回の三人を含む、五十人の読者に」
「何するんです?」
「書きます」
「何を?」
「小説を」
「…………」
琴波は先生を見た。
「先生」
「はい」
「それ、担当編集の私の前で言います?」
「え?」
琴波は『拾われ聖女』第七巻をトントンと指で叩いた。
「第八巻を待ってる読者がいるんですよ?」
「知ってます」
「締切は?」
「明日です」
「だったら今すぐそっち書け!」
「だ〜いじょうぶですよぉ。今まで一度も原稿落としたことないでしょう!?」
「明日締切の人が新しい小説を書こうとしてる時点で大丈夫じゃないんです!」
「新しい小説じゃありません!」
「じゃあ何ですか!」
「ファンサです!」
「言い換えただけでしょうが!」
先生は胸を張った。
「でも、せっかくのお礼なんだから、本編とは違うものを書きたいんですよ。普段読んでくれてる人が、ちょっと得した気分になるような」
「だったら、本編ではやらない話とか?」
「本編ではやらない話?」
「設定はあるけど本編に関係ない話とか、キャラクターのしょうもない日常とか」
「…………」
「あります?」
「いっぱいあります!」
「でしょうね」
「よし、決めました!」
先生は新規ファイルを開いた。
真っ白な画面に、カーソルだけが点滅している。
「琴波さん」
「はい」
「タイトル、どうしましょう?」
「自分で決めてください」
「うーん……」
十秒ほど悩んで。
「あ」
「決まりました?」
「はい」
先生はキーボードを叩いた。
『ブックマークのお礼ですっ!』
「…………」
「どうです?」
「そのままですね」
「分かりやすいでしょう?」
「先生らしいと言えば、先生らしいですけど」
「よし! じゃあ第一話を書きます!」
「何を書くんです?」
「まずは、この短編集を始めることになった経緯を」
「なるほど」
「私がブックマーク三件増えたって喜んで、琴波さんと話して、お礼に短編集を書こうって決めるところまで」
「…………」
琴波が止まった。
「先生」
「はい」
「それって、今のこれですか?」
「はい」
「…………」
先生はキーボードに手を置いた。
「では琴波さん、最初からもう一回お願いします」
「嫌です」
「どうして!?」
「録音しておけばよかったでしょうが!」
「そんなぁ!」
――こうして。
ブックマークへのお礼として始まったオムニバスの第一話は、ブックマークへのお礼として短編集を始める相談をしている話になった。
ちなみに。
「先生」
「はい?」
「『拾われ聖女』第八巻の締切、明日ですからね」
「…………」
「先生?」
「琴波さん、やっぱり間に合わないかもしれません……」
「はぁ!?」
「『拾われ聖女』、代わりに書いてもらえません?」
「ふざけんな!」
お礼への道は、険しい。
本編『理系作家』をブックマークしてくださった皆様へのお礼です。
ありがとうございます!




