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それでも君は歯車のように回りつづける ~死諸葛走生仲達~

作者: 四谷軒
掲載日:2026/09/26

 きりきり。

 かりかり。


 指南車という絡繰《からくり》が動いている。

 司馬懿《しばい》は、曹叡《そうえい》(魏の明帝)から、この指南車を下賜されていた。

 それを今、作った馬鈞《ばきん》が動かしていた。


「不思議なものだ」


 神話の時代、黄帝が蚩尤《しゆう》を討つ時に使ったという絡繰《からくり》だ。

 この絡繰《からくり》がは車の上の人形が、常に南を指し示す。

 この指南車により、黄帝は蚩尤の作り出す霧を突破することができたというが、司馬懿の時代――三国時代においては、想像の産物とされていた。

 しかし馬鈞は、


「あったはずだ」


 と言った。

 それが曹叡の耳に入り、


「では作ってみせよ」


 と命じた。

 馬鈞はすぐに指南車を作り上げた。

 馬鈞は機《はた》織り機や投石器の改良で鳴らした男であり、たとえ作った者がいなくても、理屈さえわかれば作れると語った。


*


「指南車は中に入っている歯(・)車(・)が噛み合って動き……」


 馬鈞は口下手だった。

 しかし図面を引いてくれたので、言わんとすることはわかった。

 丸い木の板の周囲の辺(・)にあたるところに、ぎざぎざになるように加工を施し、あたかも歯(・)が生えたようにする。

 それを歯(・)の車──歯車といい、この歯車同士が噛み合う。それは垂直に噛み合う場合もあるが、それらが噛み合った状態で回って、車がどう動いても、人形が常に南を指差すという絡繰《からくり》だ。


「成《な》る程《ほど》」


 魏は建国者の曹操《そうそう》以来、「唯才」で人を評価する。

 たとえ口下手であっても馬鈞は技術者としての「才」を有する。

 だから先生と呼ばれていた。


「で、先生は、蜀の連弩《れんど》を、五倍良くしてみせると」


 連弩とは、たとえば三連休むことなく撃てる、連発式の弩《おおゆみ》である。

 三国志の魏志方技伝によれば、馬鈞は蜀の丞相・諸葛亮が作った連弩を評価したが、自分ならば五倍良いものができると語った。

 曹叡はそれを聞き、その年――西暦二三四年の春、蜀が五度目の北伐に出た時、司馬懿を春の宵の宴に招いた。

 曹叡は宴の席で司馬懿に指南車を与え、馬鈞を紹介した。

 その上で出陣を命じた。


「蜀を押さえよ。そして、より新しい連弩を手に入れ、馬鈞に与えよ」


 と、付して。

 かくして司馬懿は征旅に出て、蜀が攻略を目指す長安に行き、そこからさらに西――渭水《いすい》へと向かった。


 世にいう五丈原の戦いである。


*


 この時の蜀軍は十万といわれる。

 大して魏軍は二十万を数え、数字の上では魏が有利だったが、諸葛亮は五丈原を本営とし、そこから攻撃先を北へ西へと巧みに変え、司馬懿を翻弄した。

 それでも司馬懿は麾下の郭淮《かくわい》に一軍を与えてそなえたため、ことなきを得た。


「倍の兵を揃えたおかげだ」


 司馬懿は気負うことなくそう言った。

 諸葛亮の恐ろしさが身にしみているからこそ、こうして蜀軍の倍の二十万を用意した。


「いかに用兵が巧みであろうと、数には勝てぬ」


 そう判じて戦力を整えて戦場に臨み、翻弄されようとも、立て直すだけの対策を練る。

 それができる司馬懿は、間違いなく良将といえた。


「されど連弩が手に入りませぬ」


 その馬鈞の愚痴に、司馬懿は苦笑した。

 馬鈞は、連弩の連発のし(・)か(・)け(・)に不満があるらしく、蜀軍最新の連弩を見ればわかりそうだという。


「これほどの連弩《もの》を作った者ならば、うまくする方法を思いついているはず」


 馬鈞も「うまくする方法」を思いついているが、答え合わせがしたいらしい。

 司馬懿は早く鹵獲《ろかく》するように努(・)め(・)る(・)と答えた。


「何しろ諸葛亮は用兵が巧みで、その辺のものを渡さぬようにしよるのでな」


 その用兵は、諸葛亮一流のもの。

 誰にも真似できるものではない。

 司馬懿はそう思っていた。


*


 五丈原は、鳥瞰すると、秦嶺《しんれい》山脈を背にした台地で、その名の由来は一番狭いところで五丈(約10m)しかない原野、ということから来る。

 その五丈原に諸葛亮は田を作り、耕作を──屯田を始めた。

 屯田は、兵に農作業をさせることにより、農民として根づかせ、食糧を確保し、その土地を今後も領地として経営していくやり方で、かつては魏の曹操も採った方策である。


「蜀は持久戦をするつもりだ」


 耕作には月日がかかる。

 今、この五丈原でそれをやられると、魏軍としてはそう思わざるを得ない。


「攻めかかるべきでは」


 司馬懿は麾下の諸将から、何度もその進言を聴いた。

 しかし司馬懿は攻めなかった。


「勅命は『押さえよ』だ。あの孔明(諸葛亮の字《あざな》)が持久だと? 毎回、虎が爪突き立てるように攻めてきた男が? 何かある」


 これを聞いた諸将は、「仲達(司馬懿の字)は老いた。臆病になった」と陰口を叩いた。


「陰口ぐらいはかまわんが、暴発されても困るな」


 そこで司馬懿は一計を案じ、曹叡に攻撃の許可を上奏した。

 案の定、「不可」と回答が来た。

 それも、辛毗《しんぴ》という硬骨漢を寄越《よこ》して答えた。

 これにより諸将は、辛毗の見張りがあるので、こっそりと出撃するわけにもいかなくなった。


*


 五月。

 動きがあった。

 呉に。

 呉の皇帝・孫権は、みずから兵を率いて北上し、魏に攻めかかった。

 蜀との戦いに傾注していた魏としては、不意を突かれたかたちとなった。


「孔明め、これを狙って五丈原で粘っていたな」


 司馬懿の陣中で、そんな声が囁かれた。

 しかし孫権の大規模な攻撃に対し、魏は果敢に戦った。

 まず、合肥《がっぴ》にいた満寵《まんちょう》が、奇襲によって孫権の鼻面《はなづら》に一発喰らわせた。


「味な真似を」


 孫権は軍の立て直しを命じたが、そこで魏の次の一手を知る。


「曹叡みずからだと?」


 この時、曹叡は孫権討伐にみずから軍を起こし、出陣した。

 孫権は舌打ちし、軍を返した。

 魏の皇帝親征となると、よほどの大軍となる。

 そんなものにあ(・)た(・)る(・)ほど、孫権は愚かではなかった。

 かくして、呉は矛を納め、同時に、おそらく諸葛亮の期したであろう二正面作戦は潰えた。


*


 結局のところ魏は、蜀と呉を合わせたよりも上の国力を持っている。

 であれば、持久戦に持ち込めば勝てる。

 それは自明の理であり、曹叡もそれにしたがっている。


「しかし、引っかかる」


 司馬懿は、曹叡が採っている持久という姿勢に文句をつけるつもりはない。

 だが、それならば、な(・)ぜ(・)諸(・)葛(・)亮(・)は(・)そ(・)の(・)持(・)久(・)の(・)か(・)ま(・)え(・)を(・)取(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)の(・)だ(・)。


「引っかかるな」


 司馬懿は郭淮に五丈原の蜀軍を調べよと命じた。

 戦うのかと辛毗が詰《なじ》ったが、そうは言っても、ことあらば攻めることは大将軍(司馬懿の官職)の裁量であると答えた。


*


 郭淮の調べは実を結んだ。

 諸葛亮は病《やまい》を得ていた。

 試みに司馬懿が蜀からの軍使に探りを入れると、どうも事実らしい。

 つまり、戦うには体力が無かった、というのが真相だった。


「だとすると面妖」


 呉を動かしての二正面作戦も、その病《やまい》のゆえだというのはわかった。

 わかったが、そもそも北伐自体をやめておいた方が良かったのでは。


「死病か」


 だからこそ、死ぬ前に一度、魏に圧力を与えておきたかったのか。

 そうすればそれだけ、ほんのわずかの間だが、魏は蜀に攻めるのをためらうだろう。


「いや待て」


 何か見落としている。

 何か。

 悩んでいると、馬鈞が連弩はまだかと聞いて来た。

 司馬懿は苦笑した。


*


 諸葛亮が死んだ。

 五丈原が騒然としている。


「悪いが、ひとあたりするか」


 それは誰に対してか。

 諸葛亮か曹叡か。

 司馬懿は明言せずに出陣した。

 辛毗はとがめるような目をしたが、何も言わなかった。


「とにかく、蜀の様子を見定める」


 あるいはこうすれば、なぜ諸葛亮が死にあたってこのような北伐《こと》をしたのかがわかる。

 そんな気がした。


*


 逸《はや》る諸将を抑える方が負担。

 そんな出撃だった。

 合戦ではなく出撃というのは、司馬懿がほぼ奇襲のようなかたちで五丈原に攻め入ると、蜀軍は整然と後退し、五丈原の五丈しか幅の無い地点まで来るとぴたりと止まり、迎撃の姿勢を見せた。


「止まれ」


 司馬懿は全軍に停止を命じた。

 大軍を受(・)け(・)る(・)には、狭いところに限る。 

 兵法の定石であり、理にかなっている。


「退《ひ》くぞ」


 司馬懿は馬首を返し、退却した。

 何か、空恐ろしいものを感じる。

 途中、蜀軍の陣の跡地を見たが、整然としたもので、竈《かまど》など、どれも同じように作られていた。

 ただ、さすがに司馬懿の出撃が急だったので、物資は残されていたが、それも綺麗に積まれていた。

 郭淮にその鹵獲を命じ、司馬懿は先に本陣へと戻ったが、ある思いにとらわれていた。


「何だろう、この感じ」


 戦っていないというのに、まるで負けたかのような、この感じ。

 その思いに司馬懿はとらわれていた。


*


 蜀は諸葛亮の死を公表し、喪を発した。

 司馬懿麾下の諸将は、やはりあの時攻めるべきだったのだと口々に語った。

 そうこうするうちに郭淮が戻り、諸葛亮の後継者・蒋琬《しょうえん》が、こういう言葉で司馬懿を揶揄した、と報告した。


「死諸葛走生仲達(死せる諸葛、生ける仲達を走らす)」


 のちに「死せる孔明、生ける仲達を走らす」として伝えられる言葉である。

 司馬懿はそれを聞いて、何かあると思った。


「蒋琬は手堅い男と聞く。そんな男が揶揄なんかするか」


 ふと見ると、本陣の隅で馬鈞が喜んでいた。

 郭淮から、蜀陣に残されていた連弩を渡されたからだ。


「ああ凄い。やはりこうしたか、連発のしくみを。やはり孔明は凄い。凄い人で……」


「天下の奇才」


 司馬懿がそう言うと、馬鈞はそうだそうだと喜んだ。

 馬鈞は、工房に送るために、さっそく図面を引くと、本陣を辞した。


「……そうか」


 諸葛亮は図面を引いたのだ。

 自分がいなくても、戦えるように。

 だからこそ、その後継者たる蒋琬は、あのような言葉を言った。

 それは揶揄のようにも思えるが、聞く人にとっては――特に司馬懿にとっては、むしろ匕首《あいくち》を突き付けられたような気持ちになる。

 諸葛亮は、自身が死んだとしても、敵を退けられる――そんな図面を引いたのだ、と。

 だからその図面にしたがって、あのような迎撃の態勢が取れた。


「……まさに天下の奇才だな」


 それは指南車の歯車のように回り、蜀を動かしていくのだろう。

 このような蜀とあたるのは、得策ではない。


「帰ろう」


 司馬懿は洛陽に帰ることにした。

 途中、蒋琬の言葉を用いては(・)や(・)し(・)立(・)て(・)る(・)人もいたが、司馬懿は意に介さなかった。

 ただ馬鈞には、


「生きていればそんな図面を引かせなかったが、死んでしまったのならもういけない」


 と言って苦笑した。


【了】

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