火鳥
火鳥の息が荒い。
「……はあっ……はあっ……。
どうして……」
潤んだ瞳で俺を見上げる。
「馬で来たのに、歩いて登らないといけないんですか??」
俺はニヤニヤして火鳥を見下ろした。
やっと勝てた!
体力勝負なら、俺の勝ちだ!!
だが、体力勝負で女に勝って喜ぶなんて――。
……ちょっと、かっこ悪いぞ、俺。
俺は火鳥に向かって手を伸ばした。
火鳥はぎょっとした顔をして、慌てて自分の右手を引っ込めた。
俺は、クイクイっと自分の手を振った。
「歩いて行った方が、断然奇麗だからだ!
ほら、手ぇひいてやる。
それか――おぶってやってもいい」
「――んなっ――!」
火鳥は上気した頬で俺を睨み、しぶしぶ、といった様子で左手を差し出した。
俺は、心の中でガッツポーズを取りながら、その手を握り、火鳥の体を引っ張り上げる。
「――そもそも。
早乗りでは、わたくしが勝ったのです。
それなのに、このような目に遭わなければならないなんて、納得がいきません。
これでは、どちらの罰ゲームか、分からないではありませんか」
「まあ、そう言うな」
俺は振り向いた。ここはちょうど木が途切れているので、山の下の景色が見える。
――うん。思った通り。今日は最高だ。
「かなり上ったと思うのですが――」
火鳥が後ろを振り返りそうになるので、俺は慌てて制止する。
「ダメだ! 振り返るな!」
「ええ……。なにそれ……」
火鳥は額の汗をぬぐった。
「わたくしは、さっき早乗りで勝ったことを、後悔しています……」
「後悔先に立たずとは、よく言ったものだ――ほら、もうちょっとだ」
「あっつい……」
火鳥が、俺の手の中から、自分の手を引き抜いた。
まさか、ここまで来て引き返すつもりか?
俺は慌てて火鳥を振り返る。
火鳥は道の脇に生える低木の枝を折っていた。
一応、後ろは振り返らないように注意しているようだ。
「もしかして、負けた腹いせに、わたくしに仕返しをしているのですか……?」
長い髪をひとまとめにして、くるくると巻きあげ、先ほど手折った枝で、頭の後ろに器用にとめる。
「俺が、そこまで器の小さな男だと思うか?」
俺は、憤慨した顔をしてみせる。
火鳥は顔をしかめて俺を見た。
「思ったから、口にしたのです」
火鳥は髪の毛をまとめ終わると、再び左手を差し出した。
俺は差し出された手を握りしめた。俺の胸がコトリと高鳴る。
「ならば、あとで己の過ちに気付くがいい」
火鳥が可笑しそうに笑った。
火鳥はなんだかんだ文句を言いながら、結局、最後まで自分の足で登りきった。
女の身であれだけ馬に乗った後、ここまで登り切るとは、正直驚いた。
華奢で小さく、折れそうな体つきなのに、意外と体力があるようだ。
……いや。足元がふらついている。
火鳥が持っているのは、体力ではなく、並外れた根性なのかもしれない。
「――ほら。がんばったな。ここが、頂上だ」
「はああああっ! 着いたぁ!」
その場に倒れ込みそうになる火鳥。俺はあわてて華奢な肩を抱き寄せ、後ろを向かせた。
眼下には、遮るものはない。太陽に照らされ、碧く輝く海がどこまでも広がっているのが見える。
――晴れた日に登るこの山頂が、俺の知る世界で一番美しい場所だ。
俺は恐る恐る火鳥の横顔を窺った。
火鳥の目が、まんまるにひろがり、驚いたように口が開いた。
火鳥の頬が輝き、彼女はそのまま、その場に釘付けになった。
俺は、満足した。
俺たちは、山の頂に座って空を眺めた。
俺は腰に、水の入った瓢箪と、軽食の入った袋をぶら下げてきていた。
俺はまず瓢箪を火鳥に渡した。
火鳥はちょっと考えた後、瓢箪を俺に返した。
「和颯様からお飲みくださいませ」
なんだ。そんなに気を遣わなくていいのに。
じゃ、遠慮なく。
俺は瓢箪に口につけ、ぐびぐびと中の水を飲んだ。
火鳥はそれをじっと見ていた。
俺は瓢箪を火鳥に渡した。火鳥は瓢箪の水を飲んだ。
俺は、袋から餅を取り出した。
「ほら」
俺は火鳥に餅を差し出した。
火鳥は餅を見つめ、固まった。
――おそろしく警戒心の強い、痩せた小さな黒猫みたいだ。
本当は腹が減って仕方がないのに、餌に毒が入っていることでも警戒しているかのように逡巡している。
子供の頃、よく、いろんな動物を拾ってきて育てた。
小鳥の雛、猫。
……それに、シロ……。
警戒心の強い動物は、お腹がすいていてもすぐには餌に飛びつかない。
今の火鳥の瞳は、出会ったばかりの、シロに似ている。
こんな時は――。
俺は、餅を半分に分けた。
「どっちがいい?」
火鳥はちょっと迷って、二つに分けた餅のうち、一つを手に取った。
俺は、手に持った餅を頬張った。
火鳥は、俺の口元を見ていた。
俺が餅を飲み込むとき、火鳥は俺の喉元をじっと見ていてた。
俺が全部の餅を飲み込んでから、火鳥は自分の餅に目を落とした。
注意深く香りを確認してから、小さく一口目をかじり取る。
「――おいしい……」
目を閉じて、小さくつぶやいた。
たったそれだけで俺は、天にも昇る気持ちになる。
火鳥が餅を食べ終わったので、俺は干し柿をふたつ取り出した。
火鳥に見せると、ちょっと迷った後、小さいほうの干し柿を手に取って、俺を見た。
俺は干し柿にかぶりつく。
――旨いっ! 干し柿、最高!
俺は一息に干し柿を喰いつくし、そっと隣を窺った。
火鳥の花びらにも似たくちびるが小さく開き、干し柿を齧った。くちびるの中から小さな歯がのぞく。再び唇が開いて――。
俺は、火鳥の口元から目を離せない。
はっとしたように、火鳥が俺を見た。
「――なんです?」
俺は慌てて目をそらした。
「――別に……」
目をそらした先に、ヤマツツジの木があった。白と薄紅色の花が咲いている。
俺は立ち上がった。
一番きれいな花が落ちないよう、丁寧に枝を折り取る。火鳥の隣に膝をつき、火鳥の髪に花枝を挿した。
火鳥は驚いたように俺を見つめ、目をそらして頬を染め、左手の指先で髪に挿さったヤマツツジにそっと触れた。
火鳥は黙って俯き、静かに残りの干し柿を食べた。




