11、遠乗り ~林 秀貞~
「智勇に優れた武将」それはまさに、信秀様のために存在する言葉だと思う。
戦での強さ、政治のうまさ、連歌や美術、和歌への造詣。
戦での戦略は常に天下一品。
さらに、自分の血縁をベースに練り上げていく、鋭く鮮やかな政治手腕。
信秀様は、決して高くはない身分でありながら、全盛期には尾張の武将のリーダーを任される地位にまで上り詰めた。
林秀貞は、その様子をずっと間近で見てきた。
陰ながら、信秀様を支えてきたという自負もある。
自分の名前の「秀」の文字は、信秀様より賜った。
あの日の感動は、生涯決して忘れない。
信秀様のためなら、己の身などすぐさま差し出す覚悟だった。
できれば、信秀様の最期の瞬間まで、お側にお仕えしたかった。
だが、自分に与えられた役割は、「信秀様の長男・織口和颯の後見人」だった。
信秀様の言葉が蘇る。
『血は、水よりも濃い。
和颯は、信勝と同じ母から生まれた兄弟。年齢も近い。
今後、信勝に最も信頼され、一番近くで信支信勝をえるのが、和颯となるはずだ。
お前は、柴田勝家のような、猪突猛進な武将ではない。
しかし、常に冷静で正しい判断ができる。
周りが何と言おうと、自分が正しいと思う道を貫き通せる強さも持っている。
和颯は単純だ。人を簡単に信じるし、すぐに泣く。しょっちゅう情に流されて、冷静な判断を見失う。――だが、それでも。信勝にとっては、大切で必要な存在だ。
和颯が当主・信勝のよりどころとなるために。お前の持つ知性と思慮深さで、理性に欠ける和颯を、支えやってほしい』
どこかから取り寄せた極上の酒を注がれながら、こんなことを言われたら、どうしたって断れるはずはない。
だから、しかたなく、ここにいるのに。
――いや、訂正しよう。
仕方なく、ここにいたのに、だ。
信秀様の葬儀での和颯のふるまいは立派だった。
貞秀は初めて、織口和颯を見直した。
「だからこそ、だ――」
あの、斎藤道三の送り込んだくのいち。
存在そのものが頭痛の種だ。目障りで仕方がない。
一刻も早く亡き者にしてやろうと、次々に罠を仕掛けているのに、一向に引っかからない。
表立って殺しては、美濃との和平にかかわる。だから、隠密に。
いくつもの罠をするすると抜け出している事こそが、あの女が間違いなく、くのいちであるという証拠。
だが、それを和颯に訴えたところで、信用を失うのは自分だということも分かっている。
信秀様が亡くなり、外敵は今がチャンスとばかりに尾張を狙っている。
内側の敵はすぐにでも葬ってしまいたい。
ああ、なんとかして、早く。あの、くのいちを始末しなければ――。
はらわたが煮えくり返るような思いで庭の木を睨んでいたら、厩で2人が言い争う声が聞こえた。
「そんな! お約束が違います!」
「黒龍はダメだ!」
「好きな馬に乗せてやると仰ったではありませんか!」
「それでもダメだ!」
「信じられません! 男に二言はないとおっしゃいましたのに!」
貞秀はほくそ笑んだ。
どうやら愚かなくのいちは黒龍に乗せてくれと言っているらしい。
黒龍は駿馬だが、気性が荒く、神経質だ。過去に何人もの強者が黒龍に乗ろうとして落馬し、大怪我を負っている。
――あの忌々しい、くのいちを葬り去る、またとないチャンス。
貞秀は顔に笑顔を張り付け、厩へ行った。
「どうなさいましたかな?」
「ああ、貞じい。いいところに!
火鳥が黒龍に乗りたいと言ってきかないのだ。
貞じいからも、思いとどまるように説得してくれ」
「――お約束がどうの、と聞こえましたが」
「確かに好きな馬に乗せてやると言った。
だが、黒龍はダメだ」
「――それはいけませんな。
男が一度口にしたからには、その約束をたがえるわけにはまいりません。
――そうでしょう、火鳥殿」
火鳥は、氷のように冷ややかな雰囲気を漂わせて、貞秀を見つめていた。
貞秀は、黒龍の背に鞍と鐙を乗せ、厩の外へ出した。
鐙の紐は、どう見ても、小柄な火鳥では足が届かない長さだ。
貞秀に、必要以上に背中や腹を触られ、機嫌を損ねた黒龍が首を大きく振った。
「さあ、火鳥様お乗りください。
鐙の紐は、火鳥様がお乗りになった後に調整して差し上げましょう」
貞秀は黒龍の首を押さえた。
「――さあ、どうぞ」
火鳥は猫のように目を細めて貞秀を見た。
「……ありがとうございます」
「火鳥、やめろっ」
止めようとした和颯の手をするりと払い、火鳥が黒龍に跨った。
――今だ!
黒龍は、神経質だ。特に、左の尻を触られるのを酷く嫌う。
貞秀は、和颯の死角になるように体の位置をずらしながら、黒龍の左の尻に、自分の太刀の鍔を力いっぱい押し付けた。
怒り狂った黒龍が、鐙に足も届いていない火鳥を背に乗せたまま、首を大きく振り払い、後ろ足で棒立ちになった。




