~カワセミの唄~
廊下を、土岐家の娘が歩いている。
この娘は知っている。火鳥を姉のように慕っている。
名前は確か。萌、とかいったか。
萌は火鳥の部屋の前まで来て、後ろを振り返った。
俺と目が合い、驚いた顔をした。
萌は俺が大切に手に持っている包みに目を止め、迷うように視線を左右に動かした。
だが、くるりと踵を返すと、俺の脇を通り、来た道を戻って行ってしまった。
ああ。どうやら割り込んじまったみたいだ。
悪ぃな。
ちょうどその時、火鳥の部屋の扉があき、政じいが出てきた。
満足げな顔をしている。
政じいはすれ違いざま、俺の耳にささやいた。
「火鳥様から追加のご援助をいただきました。
使い道についてご相談したいことが……。
後ほど――私の部屋へ来てくだされ」
俺は頷いた。
部屋の扉は開いたままだ。俺は中に入った。
「入るぜ」
声をかけると火鳥が振り向いた。
「ああ……。驚いた。
足音に、気づかなかったから」
――相当に、弱ってるな。
顔に覇気がない。
各務野が死んでから今日まで、まともに眠っていないのだろう。
「まだ、よく眠れないのか?」
「……」
火鳥は目を伏せた。図星らしい。
「大丈夫だ。俺がいる」
だから――心配せずに眠れ。
部屋の空気は澱が溜まったように重く濁っていた。
「昼間っから締め切った部屋に籠るな。
暗いし――空気が淀んでいるぜ」
火鳥はつぶやいた。
「いいのよ。『薄汚いくのいち』にはお似合いでしょう」
そんなこと言うなよ。
俺が、かなしくなるだろう。
お前は『薄汚いくのいち』なんかじゃない。
お前が命がけで任務に挑む姿は、誇り高く、美しい。傍で見ているだけで惚れ惚れするほどで――。
「おい、そんなことを言うなら本当に――」
今すぐ任務なんか放り出してしまえ! そう言うつもりだった。
後のことは、俺が何とかする。
くのいちであることなんかやめちまえ。
「ごめんなさい。そんなこと、言うべきじゃなかったわ」
火鳥は俺の言葉をさえぎった。
「……さっき、政じいが来ていたから。
――追加資金を、渡しておいた」
そう。
お前は。
こんなに傷ついて倒れそうになっていてもなお、自分の任務が最優先で。
「そうか。これで――五分五分より、やや優勢ってところか」
それでも、任務を通じてなら、俺はお前の一番近くにいられるから……。
「完璧ね」
「ああ。あとは政じいの頑張り次第ってところか」
織口家の内部は、既に腐っている。
あとはもう、どう転んでも、内戦になる。
「――この扉、開けるぜ……」
部屋の外に面した扉を開けると、火鳥は目を細めた。
「外は、眩しいのね」
そう。世界は眩しいんだ。
「ずっと籠りきりだろう。少しは外に出たほうが良い」
「――そのうちに、ね……」
哀しいことを言うなよ。
光の中で笑うお前が見たいんだ。
俺は虫かごを手に取った。
「これ。見ろよ」
かごを覆っていた布を、静かに取り除く。
良かった。ちゃんと生きてる。
「たった今、捕まえてきたんだ」
これだけの蝶を捕まえるがどれだけ大変だったかなんて、想像もつかないだろう。
――でも良いんだ。知らなくて。
「どうするの?」
「この部屋に放す」
火鳥は不思議そうに俺を見た。
――お前が屋敷の外に出られないなら、俺がお前に「屋敷の外」を運んできてやるさ。
「じゃあ、開けるぜ?」
慎重に、虫かごのふたを開ける。色とりどりの蝶がひらひらと舞い立った。
「ほら……。
奇麗だろ……?」
火鳥は驚いた顔をして、部屋を舞う蝶を目で追っていた。
ああ。その顔が見られれば満足だ。
火鳥は小さくつぶやいた。
「――なぜ、あの時、各務野と一緒に逝かせてくれなかったの?」
「――そんなこと言うなよ」
俺はほっとする。
良かった。
弱音を吐けるのは良いことだ。
俺にも慰めることができるから。
寄り添うように声をかける。
「まだやることが残ってるだろ?」
任務のためだと思えば、生きていけるだろう?
「もう、なにもかも放り出して、楽になりたい」
「ダ・メ・だ」
一緒に――生きていこうぜ?
火鳥は気付いていないようだが――部屋の外に誰かいる。
俺には、それが誰なのか聞き分けられるほどの耳はない。
だが外にいるのが誰であれ、そいつには聞かせられない内容だ。
俺は火鳥の耳元でささやいた。
「忍の命は、主人の物だ。
だから、お前の命は、お前の物じゃない。
だから――道三さまが死んでもいいと言うまで、死ぬことは許されない」
理由なんて何でもいい。
とにかく。生きるんだ。
俺は火鳥の顔を覗き込んだ。
「――だから、勝手に死ぬな。
……分かったか?」
頼むから。
――この世界から、いなくならないでくれ。
火鳥の大きな目に、小さな光が宿った。
ああ。お前はやっぱり。
――骨の髄までくのいちだ。
誇り高く。美しい。
「分かった」
くのいちの顔に戻った火鳥が、頷いた。




