萌の話
馬は、俺と萌を乗せ、ゆったりとした足取りで、屋敷の外を歩く。
畑では、村の農民たちが、麦の世話をしていた。
秋から春にかけて育てられる麦が、彼らの一年分の食糧になる。みな一生懸命に働いていた。
さて、どこから聞き始めよう。
「萌は、美濃から来たんだよね」
「はい!」
「美濃はどんなところ?」
「えっと――」
萌は一生懸命言葉を探しているようだった。
「こんなに田舎ではありませんでした」
うん。だよね。
ここは田舎なんだ。ごめんね。
「おうちは、どんなところ?」
「萌はまだ小さかったので、あまり良く覚えておりません。
とっても広くて、人がたくさんおりました。
いつもお菓子があって。よく『京の都』から、お土産が届いておりました」
それは凄いな。
なかなかの家系と見た。
「それは、斎藤家のお屋敷のこと?」
「いいえ。土岐家の屋敷です」
なるほど。名門だ。
「すごいなぁ。
和颯兄さんは、都のお土産なんて貰ったことないよ」
「はい。萌の本当の兄上は、凄い人だったのです!
蔦はよく『今、美濃で一番偉いお方』が亡くなったら、次は萌の兄上が『美濃で一番偉いお方』になるのだと、申しておりました」
ん?
それって筋金入りのやつじゃない?
美濃の名門・土岐家の中でも、最上位クラスってことだよね?
「――実際には、兄上のほうが、『今、美濃で一番偉いお方』よりも、先に亡くなってしまいましたが……」
その『今、美濃で一番偉いお方』は、火鳥の父・斎藤道三に追放されたと聞いている。
でもって、現在は斎藤道三が『美濃で一番偉いお方』だ。
これは――。
陰謀の匂いがする。
「萌ちゃんの兄上は、どんな人だったの?」
「いつも、難しい書物を読んでおられました」
いずれ美濃を治めるつもりで勉強していたのかもしれない。
「昔は頑固で気難しかったと聞いております。
ですが、屋敷の皆は『火鳥姫がお嫁にいらしてから、よく笑うようになった』と申しておりました」
え。そうなのか。
「二人でよく、お庭をお散歩していらっしゃいました。池の鯉や、小鳥に餌をやったりして」
――ふうん。
「庭に花が咲くと、兄上はそれを折って火鳥姉さまの髪にさして――」
――つまり二人は、ラブラブだったってこと?
俺の胸の奥が、じわじわと重くなっていく。
「――仲の良い、夫婦だったんだな」
俺は、やっと言葉を絞り出した。
「はい。火鳥姉さまは、昔からあまり感情を外にあらわさないお方でした。それでも兄上と一緒に、それはそれは楽しそうに笑っていらっしゃいました」
「……そうか……」
胸の奥が、ますます重くなる。
「いつだったか、火鳥姉さまが、机に突っ伏して眠ってしまわれた時がありました。
兄上は、火鳥姉さまを起こさないように、そっと抱き上げ、火鳥姉さまの額に優しく唇をつけて『お前が大人になるのが待ちきれないよ』と申しておられました」
うわっ……。
それって、もう……溺愛じゃん。
昨日、祝言の前。籠から降りた火鳥姫の顔は、能面のように無表情だった。
将来を約束されていた萌の兄が死んで、彼に溺愛されていた火鳥姫が残された。
火鳥姫はまだ萌の兄を愛しているのに、政略結婚のため、俺に無理やり嫁がされた――ってこと?
うわあああぁぁ。
これって、どういう罰ゲーム?
正直、もうこれ以上聞きたくない。
だけど、もう一つ、どうしても確認しておかなければいけないことがある。
「萌ちゃんにとっては辛い話だと思うから一度しか聞かないよ。
でも、大事なことだから、きちんと答えてほしい」
萌がこちらを見た。
俺は息を吸った。
「火鳥姫が、萌ちゃんの兄上を殺したっていう噂があるんだけど……」
「ありえません!」
はっきりと、強い口調で萌が言った。
「蔦をはじめ、萌の侍女達も、他の方々も。皆、萌に同じことを聞きました。」
あ、やっぱり?
そうだよね。
「何度聞かれても、萌の答えは変わりません。
なぜなら――萌は、その時、その場にいたからです」
なんですと!?
「――えっと……詳しく、聞いてもいい?」
「もちろんです。是非、聞いてください」
萌ちゃんはしっかりとした口ぶりで話し始めた。
「月の美しい夜でした。
わたくしは兄上のお部屋で、月を眺めていました。
そこへ火鳥姉さまが、お酒を持っていらっしゃいました」
「火鳥姉さまは、とても奇麗な着物を着て、お化粧もしていらっしゃいました。
兄上は読んでいた本を脇に置いて、火鳥姉さまを抱きしめ『月から舞いおりた天女のようだ』とおっしゃいました。
お二人は寄り添いあうようにして月をご覧になりました。それから兄上は、火鳥姉さまのつぐお酒を、ことのほか美味しそうに召し上がりました」
……もう、お腹いっぱいすぎて吐きそうです。
「わたくしは眠たくなって。うとうととし始めました。
火鳥姉さまは何度も、わたくしに部屋に戻るようにとおっしゃいました。でも、わたくしはどうしても、戻りたくなくて。
だだをこねて、そこに留まり続けました」
「しばらくすると兄上も眠たそうな顔になり、そのまま火鳥姉さまの膝枕で眠ってしまわれました。
わたくしを迎えに来た蔦が兄上に『こんなところでお眠りになると、風邪をひきますよ』と申し上げて揺り起こそうとしたら――。
もう、兄上は亡くなっていたのです」
「それ以来、火鳥姉さまはほとんど感情を無くされたようになってしまい……」
いやいやいや、ちょっと待って。
それってさ――
「火鳥の持ってきたお酒に毒が入っていたって事じゃないの?」
「いいえ。違います。
なぜなら、火鳥姉さまも、同じお酒をお飲みになっていたからです」
「え? そうなの?」
「はい。兄上は火鳥姉さまに、ご自分の盃を渡し、火鳥姉さまはそれを飲まれました。
お二人は、同じ盃で、同じ徳利の、同じお酒を召し上がっていたのです」
うわ。なんかエロいな。
じゃなくて。
「酒に毒が入っていたわけではないのか……」
じゃあ、萌の兄上は、たまたま、そのタイミングで死んだって事?
それって、火鳥姫にとっては、ものすごいトラウマなんじゃないの!?
「火鳥姉さまが兄上を殺すことは不可能です。この萌が生き証人です」
おお。難しい言葉を知っているな。
萌は、悲しそうに目を伏せた。
「兄上が亡くなって以降、萌は、火鳥姉さまが笑うところを、一度も見ておりません」
「いや、昨日も少しは笑っていただろう」
「いいえ。あれは、作り笑いです。萌には分かります」
――ああ。……そうなのか。
「兄上が亡くなり、皆が萌に辛く当たるようになりました。
でも、火鳥姉さまは、ずっと変わらず萌に優しくしてくださいます。
萌は――。火鳥姉さまにだけは、幸せになっていただきたいのです!」
――そう、なのか……。
俺たちは無言で屋敷に戻った。
馬から降りると、萌は、ちいさな両手で、俺の手を握りしめた。
萌が俺を見上げる。
「和颯兄さま。今は和颯兄さまが、火鳥姉さまの旦那様なのでしょう?
萌はもう一度、火鳥姉さまが楽しそうに笑うところが見たいのです。
お願いです。萌の願いを叶えてくださいませ!!」
ちょとぉ!?
何言ってんの!?
純真無垢ってコワい!!
俺の立場とか、分かってる!?
俺は、超絶ラブラブだった夫に先立たれた傷心の姫が、政略結婚で無理やりくっつけられた夫だよ!?
その俺に、どうしろってのよ!?
どう考えても、絶対無理なやつじゃーん!
でも、可愛いキラッキラの瞳で見つめられて、そんなこと、言えるわけない。
俺の口から出た言葉は
「――分かった……。任せておけ」
だった。
え?
え?
ええ~!?
俺ってば、何言っちゃってるの!?
――どうするの!? 俺!!




