コマネズミ
カワセミは何かを言いかけて、ためらった。
彼は視線を水面に戻した。
瞳に映っているのが水面でないことは、火鳥にも分かった。
しばらくして、カワセミが口を開いた。
「……コマネズミ。憶えているか」
「ええ」
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黒トカゲの弟子の名前は、みな黒トカゲが命名していた。
その命名センスと慧眼には舌を巻く。
カワセミ、という名前だけは、当時は違和感があった。
だが、今こうして派手な格好をして肩で風を切る様子はまさにカワセミだ。
明後日の方向を見ているように見せかけておいて、狙いすました瞬間にぱっと飛び立ち、狙った獲物を逃さない様子も。
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コマネズミなら、憶えている。
他の少年たち同様、話した記憶はほとんどないが。
いつもちょこまかとせわしなくて。
小さな丸い瞳が、くるくると動く。
おっちょこちょいだが、憎めない性格だった。
「あいつ。死んだ――俺が、殺したんだ」
カワセミは淡々と告げた。
そう。
……任務で。殺したのね。
――そうしないと自分が殺されそうだったんでしょう?
相当に切羽詰まった状況だったに違いない。
剣で、刺し殺したのだろうか。
毒物と違い、剣で刺した場合、突き刺した感覚はダイレクトに手のひらに伝わる。
人を――かつての仲間を――その手で刺し殺すというのは、どのくらい辛いのだろうか。
「お願い、カワセミ。泣かないで」
「俺は泣いてねぇ」
うそ。
泣いているくせに。
涙を流すだけが泣く事じゃない。
身近な人間を騙して。
共に過ごした仲間を殺して。
――忍として生きるのは、どうしてこんなに辛いのだろう。
カワセミが言った。
「――なあ。
この任務が終わったら、一緒に暮らさねぇか?
ここからずっと北か――南でもいい。
どこか遠くのでっかい屋敷の近くに、小さな小屋を建てよう」
そうね。
そんな風に暮らせたら。
どんなに穏やかかしら。
カワセミの思い付きはどんどん広がる。
「俺はその屋敷の息子か主人に、鉄砲を教えるから。
おまえは娘に、唄と、礼儀作法を教えればいい。
おまえなら、きっと上手くやるさ」
そうね。
――次々と夫を殺すことに比べれば。
それくらい、何でもないわ。
「二人で馬を飼って、子供を産んで――」
馬を飼うのは魅力的。
でも。
「――私はたぶん、子供は産めない」
カワセミの空想は止まらない。
「なら、子供は俺が拾ってくるさ。
捨て子なら、そこら中にいる。
親のない子を探してきてやるから、一緒に育てよう。
なあ、火鳥。どうだろう?」
「そうね。それも……悪くないかもしれない……」
そんな風のような穏やかな暮らしは、まるで今、目の前に流れている川の水の上に描いた絵のように美しくて儚くて。
カワセミは、ふっと現実に戻ってきたように言った。
「……返事は、今すぐじゃなくていい。
いつか。おまえの気が向いたら。その時でいい。
……考えておいてくれ」
そうね。いつか。気が向いたら。
その時にまだ、カワセミがこんな空想を憶えているとは思えないけど。
それに今は。
この尾張での日々がいつか終わる事など、想像することもできない。
カワセミが立ち上がった。
火鳥はカワセミを見上げた
「ありがとう――嬉しかった」
カワセミの描く美しい空想は、夜風とともに消えた。




