仮装大会の夜 ~陰の巻~
昼間ずっと起きていたので、疲れたのだろう。
各務野は横になると、すぐに眠ってしまった。
火鳥はまだ眠たくない。
彼女は外に出ることにした。
カエルが鳴いている。
以前は、日が暮れてから一人でぶらぶらと出歩くなど、考えたこともなかった。
盗賊団が傘下に入ってから、治安は飛躍的に向上している。
カエルの声に誘われるように歩いていくと、河原に出た。
河原にはカワセミがいた。
一人で水面を見ている。
火鳥はカワセミの隣に立った。
「餓鬼。良かったわよ」
「そりゃ、どうも」
「本物かと思っちゃった」
みんな。楽しそうだった。
――自分も……。
だが、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。
カワセミが火鳥を見上げた。
カワセミには、織口家本家の調略を依頼している。
織口和颯の弟・信勝に味方している家臣を、織口和颯に寝返らせる工作だ。
火鳥は腰を下ろした。
「どう? 順調?」
カワセミは再び水面に目を戻した。
「本家の切り崩しは順調か、という意味なら、絶好調だ」
「そう。さすがね」
「俺様を褒めるのは常に正しいが、本家の調略が俺の手柄だというのなら間違いだ」
「――どういうこと?」
「俺が切り崩すまでもなかった。
もう、織口家本家はぐすぐすに腐っている」
火鳥は眉をひそめた。
「……三年前は一枚岩のようだったと聞いている」
父は、織口信秀の軍勢にはずいぶんと悩まされていた。
「三年前のことは知らねぇ。だが、今は違う。――と思う」
カワセミがいい加減なことを言っているとは思えなかった。
「調べる必要があるわね。
――今度、皆が集まる場所に潜り込めるよう手配するわ」
もう少ししたら、熱田神社の祭りがあるはずだ。
そこに乗り込もう。
「ああ、助かる。そうしてくれ」
カワセミは水面を眺めたままつぶやいた。
「織口家にこれだけ喰い込んでいるんだ。多分、他の家も――」
驚いた。
「――そんなにひどいの?」
「ああ。ひどい」
「……美濃は、動いていないわよ」
「じゃあ、他には一つしかねぇ」
尾張の南は海に面している。
隣国と接しているのは三方。北は美濃、東は三河、西は伊勢だ。
伊勢は、京に近い。大小さまざまな名門貴族や武士が入り乱れ、微妙な均衡を保っている。伊勢の関心は常に京の方角を向いている。尾張のような田舎など眼中にない。
美濃以外で、尾張を狙っているのは。
東の今川義元。
「――今川……」
今川の本拠地ははるか東の駿河。だが、破竹の勢いで、西へ西へと勢力を伸ばしてきている。
「いつから動いていたのか知らねぇが、かなり前からなのは間違いねぇ。
ただのおれの勘だが――今川は、尾張の、かなり深い部分まで食い込んでいると見た」
それはつまり、尾張で最高の地位にある、守護の側近にまで食い込んでいるという事か――。
「そう……」
「尾張は、白アリが巣食った屋台骨の上に、何とか屋根だけ乗っかってる状態だ。
――崩壊寸前だぜ」
それは……知らなかった。
戻ったらすぐ、父に報告しないと。
「お前はどう動くんだ?」
「私は父の指令に従うだけ。
きっと、もうしばらくは、尾張にいることになるでしょうね」
父の指令は『織口和颯を、信勝に張り合えるほどに強くさせること』だった。
それも、カワセミのおかげで順調に完了できそうだ。
終わったら、ここで次の指令を待つのみ。
仮に尾張の内部がぐすぐすに腐っているとしても。
「――もし道三に『織口和颯を殺せ』と言われたら、殺すのか?」
「もちろん」
「――できるのか?」
「馬鹿にしないで」
確かに力ではかなわない。
だが、くのいちにはくのいちのやり方がある。
各務野の協力がなくても、殺し損ねたりはしない。
「――そうか」
「カワセミはどうするの? ここに留まる?」
「いや。俺はこの任務が終わったら、尾張を離れようと思っている。
いつまでもここに留まると、いずれ道三とぶつかることになる。
――おまえと、殺し合うのはごめんだ」
火鳥は肩をすくめた。
「そうね。私も。
カワセミを殺そうとしたら、返り討ちにあう気がする」
織口和颯なら、絶対に殺り損ねない自信があるけど。
相手がカワセミだったとしたら。
――勝てる気がしない。
※※※
尾張周辺図
駿河の今川義元(赤)が破竹の勢いで西へ侵攻
(尾張で一番偉いのは 守護・斯波義統)
尾張地図
濃い緑が織口家。(信秀・最盛期)
熱田と津島は港町・神社 ここからの税金が織口家の収入で大きな割合を占める




