馬上
各務野がそうしたのだろう。火鳥は自分の右手が、懐剣を握りしめたままなのに気が付いた。
とりあえず、これをしまおう……。
織口和颯が声をかけた。
「それは……男物、か?」
やや緊張した声だった。
「え? ああ、はい」
火鳥は懐剣を帯に挿した。着物の襟元が崩れないよう、慎重に。
「父が。ずっと愛用していたものです。私が尾張に嫁ぐときに、持たせてくれました」
「ああ。――そうだったのか」
織口和颯の声に安堵が混じる。
何に安堵したのかは興味もないが、知らないというのは幸せなことだ。
相手が大柄だった場合、小ぶりの凶器では、致命傷にならない事がある。だから美濃を離れるときに、一番大ぶりで切れ味のいい懐剣を持たせてくれたのだ。
有事の際は、織口和颯に、一撃で致命傷を与えられるように。
火鳥は目の前の胸板を見つめた。
急所は……このあたり。
そっと手を触れ、骨の位置を確認する。
――いざというときには、骨を避け、ここを一突きにする……。
懐剣を見ると父を思い出す。
父の指令も。
父は『熟れた柿が自然に落ちたのを、拾って喰うのが何より好きだ』と言った。
意味は『弱った敵を、楽に侵略したい』。
蛤と鷸の話は、漁夫の利のたとえ。
海辺で鷸が、蛤を食べようとしたところ、 蛤が殻を閉じ、と鷸のくちばしを挟み込んでしまう。あわてて鷸がくちばしを抜こうとするが、蛤は開かない。2匹は激しく争う。
2匹が夢中になって戦っている間に、通りかかった漁夫が、蛤と鷸の両方を、あっさりとかっさらっていく。
織口和颯(蛤)と信勝(鷸)が戦っても、蛤はすぐ鷸に食べられてしまう。
つまり。もしも今、織口和颯と信勝が争ったら信勝の圧勝。
それでは意味がない。
兄弟を戦わせて力を浪費させ、双方の力が十分に弱まったところで、美濃(漁夫)がまとめて侵略するのだから。
「肥料は必要だろうから遠慮なく言うように」とは、必要な支援は惜しまない、とのメッセージ。
『織口和颯に、信勝と張り合えるほどの力をつけさせよ』
これが、火鳥に与えられた任務だ。
「――降りたい、か?」
また、緊張した声。
火鳥は現実に引き戻された。
「はい?」
「……いや。急に黙ったから。
ここから降りたいか、と」
ああ。忘れていた。
織口和颯の腕の中にいたんだった。
不覚。
だって。ここはあったかくて、ゆらゆらと心地よくて。
――自分が敵地にいるのだということを、つい、忘れてしまう。
だから。
もうあとほんの少しだけ。
夢の中にとどまっていてもいいでしょう?
「――いえ」
火鳥は答えた。
「馬に揺られるのは、嫌いではありません」
「……そうか」
ほっとしたような声が答えた。
各務野が静かに、馬の傍から離れた。
(密書)
父上
父上のお傍にいる、甲賀の忍にお伝えくださいませ。
『カゲロウが那古野にいる。カワセミを探している』
火鳥




