当日 ~陽の巻~
朝の遠乗りを終えると、朝食を掻き込み、再び馬に乗る。
昨晩のうちに部屋は片付けておいた。一番上等の文箱を机の上に据え置いた。
田植えが始まると忙しくなる。
既に、皆に影響が出ているのだから、後回しにするわけにはいかなかった。
昨日の『髪結いの紐事件』は、胸の奥深くに封印することにする。
『決して開けないでください』の黒い箱に入れて。厳重に。
俺は、近隣の村々をまわり、大声を張り上げた。
「今から、あまが池の大蛇を退治するぞ!
まずは、池の水を汲みだす!
みんな、集まれ!」
最近、あまが池に大蛇出るらしい、という噂は聞いていた。
だが、昨日、周辺の村を回って聞き出した現状は、想像していたよりもずっと深刻だった。
あまが池の周り一帯には、良質の葦が生えている。
それなのに、今では大蛇を恐れ、誰も近づかなくなってしまった。
葦はすだれを作ったり、屋根を作ったりするのに必要だ。皆、大蛇を恐れて、その葦を刈り取りに行けない。
葦が生える場所には魚も多い。
あまが池に近づかないということは、魚も取れないという事だ。
魚を取って生活していた者は収入が絶たれている。
魚が取れないから食料も不足しがちだ。
大蛇のせいで、生活に支障が出ている。
やはり、皆、困っていたらしい。
大蛇退治をする、と言ったら、やりかけの仕事を放り出して、集まってきてくれた。
手に手に柄杓や桶を持っている。
「大蛇退治だ! みんな! 集まれ!!」
近隣の村人総出で、あまが池の水を掻い出す。
全員、一生懸命だ。
はじめ、水面の位置は少し下がった。
だが、そこから先は、いくら水を掻い出しても水位が下がらない。
それでも俺たちは、4時間ほど粘った。
――大蛇の神通力だ――
皆が怖がり始めた。
「このままでは大蛇の祟りで、全員呪い殺されるぞ」などと言う者まで現れた。
「――和颯様。
……今日はもう、帰りましょうか」
那古野村の村長が、俺の顔色を窺うように言った。
「――いや。帰らない」
武士は。皆のために、敵と戦うのが仕事だ。
俺は武士で、皆の敵は大蛇だ。
――だから、大蛇を退治するのは、俺の仕事だ。
「分かった。後は、俺が行く」
俺は、着物を脱いで、ふんどし一枚になる。
俺は脇差を鞘から抜いた。
鞘は、脱いだ着物の上に置く。
この脇差は、昨夜、時間をかけて念入りに研いでおいた。
これだけよく研いでおけば、大蛇のうろこだって、突き刺せる―――……はずだ。
俺は、濁った水面を見つめた。
足が、震える。
う……。わぁ………。
最低でもこの半分くらいの水量までは減ると思っていた。
でも。
仕方ない。
「――和颯様……」
那古野村の村長が、遠慮がちに声をかけた。
池を取り囲む農民が、固唾をのんで俺を見ている。
「――行ってくる」
俺は、大蛇のいる池へ、おそるおそる腰を沈めた。
水に不規則な波紋が広がる。
俺の体が震えているせいだ。
俺は、成人した、一人前の武士だ。
先祖は神社の神官だったと聞いている。
それに、泳ぐのは得意だ。
だから。
怖くない。
怖くない。
怖くない。
大蛇なんか、怖くないぞ。
それでも体が震えいているのは――。
そう。
寒い、から、だ。
大きく息を吸う。
手に持った脇差を、口に咥えた。
――恐れるな! 俺!――
俺は、一思いに、水の中に飛び込んだ。
冷たい水が、俺の全身を覆ったとき、火鳥の悲鳴を聞いた気がした。




