~陽の巻~
『和颯様が今、髪を結うのに使っていらっしゃる、その紐を……』
火鳥の言葉を聞いた時、不覚にも胸が苦しくなった。
心臓が、かつてないほど不規則なリズムで脈を刻みつづける。
火鳥の顔をまともに見ることができず、顔をそむけた。
いや。火鳥に、俺の顔を見せたくなかっただけ。
勘違いするな、俺。
火鳥が愛しているのは萌の兄だ。
だから。
勘違いするな、俺。
ところで俺は、火鳥を――どう思っているのだろう。
いつだって、俺は自分の気持ちに正直に生きてきたつもりだ。
それなのに。
今は、自分の気持ちが分からない。
――苦しい。
……胸が。痛い。
こんな時は、
どうしたらいいのだろう。
こんな時は。
こんな時は……。
そうだ。萌に会いに行こう。
「和颯兄さま!」
萌は、俺を見ると零れるような笑みを浮かべて抱きついてきた。
「萌は! 和颯兄さまが大好きでございます!」
うんうん。和颯兄さんも萌が大好きだよ。
あ~。癒される~。
ああ。そうだ。萌にも聞いてあげないとな。
「もしも、もしもだよ。
和颯兄さんが明日死んでしまうとしたら、萌は何か欲しいものがあるかい?」
「えっ……」
萌は悲しそうな目をした。
「和颯兄さま! 死なないでください!」
あ。そうだよな。
『死なないで』が普通の反応だよな。
火鳥はそんなこと、一言も言わなかったぞ……。
俺が死んでも別にかまわないと思っているのか??
――い……いや……!
そんなことはないはずだ。
『今、和颯様の髪を結っている紐が欲しい』とか、けっこういじらしいことを言っていたじゃないか。
きっと、火鳥は素直じゃないだけだ。
そうに違いない。うん。
あ。思い出してしまった。
俺の耳の奥で、火鳥の声がエンドレスリピートされる。
『では……和颯様が今、髪を結うのに使っていらっしゃる、その紐を……』
『では……和颯様が今、髪を結うのに使っていらっしゃる、その紐を……』
『では……和颯様が今、髪を結うのに使っていらっしゃる、その紐を……』
うわぁぁぁぁ。
これ、どうやったら止まるんだ!?
誰か助けて~!
俺は、この場で悶えてしまいそうになるのを、なんとかこらえて、萌との会話に集中する。
「いや、死なないよ? 死なないつもりだよ。
だけど。もしも、の話ってこと。
もしも、俺が明日死ぬとしたら。
――萌は、何か、欲しいものがあるかい?」
萌は困ったように唇を尖らせた。
「ええと。それは――『和颯兄さまが今、髪を結っていらっしゃる、その紐』以外でも良いのでしょうか――?」
……。
………。
ん?
んん!?
――今、なんと?!!
「……あー……
えっと――
……それは……。
―――……どういう意味?」
「昔、火鳥姉さまに教わりました。
殿方に『もしも、明日自分が死ぬとしたら何が欲しいか』と聞かれたら、必ず『貴方さまが今、髪を結っていらっしゃる、その紐を』とお答えしなければならない、と」
ええええええ~っ!
じゃあ、火鳥の回答は、テンプレート通りだったってこと!??
「でも萌は。『今、和颯様が髪を結っていらっしゃるその紐』などではなく、仔猫が欲しいのです。できれば、雪のように真っ白の」
そっか。仔猫か。
やっぱり萌は、かわいいなぁ。
――じゃなくって!
火鳥は誰にでも『貴方さまが今、髪を結っていらっしゃるその紐を』って答えるって事?
俺だけ、特別じゃなく?
ああああああああああああああああ~~!
言われた時、ちょっと、ドキッとしちゃったじゃないかないかあぁぁ!
さっき感じた、俺の胸の痛みを、どうしてくれるの?
ずっと不規則に刻み続けていた俺の脈は何だったの?
あの、息が苦しくなるような、切なさは?
あああああああああああああぁぁぁぁっ!
俺の純情を返せ~~っ!!!




