〜陰の巻〜
「……火鳥は。
『カゲロウ』について、何を知っている?」
「え?」
「たいして良く知らないんだろう。
いいか。よく聞け。
普通の虫は。幼虫が脱皮して、成虫になる」
「……」
「カゲロウも同じだ。
幼虫が脱皮して成虫の姿になる。羽が生えて、飛べるようになる。
普通はそれで終わりだ。
でも、カゲロウはそれで終わりじゃない。
カゲロウはな。
その後で、もう一回、脱皮するんだ」
「道三殿は――。
火鳥の目の前で首を切られたと聞いた。
道三殿は最後の瞬間、『火鳥に後を追って死んでほしい』と願って死んだのだろうか?」
「……」
「なあ。火鳥……。
新たに――。
――俺に、仕えないか……?」
火鳥は、和颯を見上げた。
探るような視線の和颯と、目があった。
火鳥は目をそらした。
「親子は一代の縁。
夫婦は二代の縁。
主従は三代の縁だという。
火鳥と道山三は、親子で、主従だった。
俺と火鳥は――。夫婦で、主従だ」
火鳥は再び和颯を見た。
真剣なまなざしが、まっすぐに火鳥の芯をとらえた。
「俺が、新しい名前を与える。
帰る場所はここだ。
――これからは、俺のために生きろ」
決して大きくはない声に、あふれるほどの熱量が、籠められていた。
コトリ。と、火鳥の心が動いた。
「――では、わたくしに。
名を――。お与えください」
すがるような気持ちでつぶやく。
「分かった」
揺るぎなく、力強い声が答えた。
火鳥は静かに瞳を閉じた。
決して抗えないその強さに、この身をゆだねることにする。
大きく頷いた和颯は、すぐさま困惑した表情で目線をさまよわせた。
「――実は……俺は……――。
名前を付けるのは、苦手で――」
――ええ、もちろん知っております。
6年です。
6年も、共に過ごしたのですよ?
「結構です。
和颯様がつけてくださった名でしたら、どんな名でも頂戴いたします」
「そうだな――……。
じゃあ――。
火――」
言いかけて、和颯は口をつぐんだ。
火鳥は思わず、吹き出しそうになる。
――そうですね。
『《《火鳥》》』が今の名前です。
さすがに『新しい名前』を所望いたしますが。
「『コ鳥』だ」
――コ鳥?
小鳥? 濃鳥? 香鳥? 狐鳥?
困惑が、顔に出た。
不安そうな声が、おずおずと尋ねる。
「――この名前では……気に入らないか?」
「いえ。そういうわけではありません。
ですが。『コ鳥』の『コ』は、どのような字を書くのでしょうか?」
和颯が火鳥の手を取り、助け起こした。自分の隣に座らせる。
火鳥の左手を取り、自分の指で、火鳥の左手のひらに字を書いた。
「『古い』――『月』、と書く」
「……『胡鳥』……」
「そう『《《胡鳥》》』だ」
「――意味を、お伺いしても?」
首を傾げ、彼の顔を覗き込むようにして尋ねる。
彼は、ぱっと顔をそむけ、不機嫌そうに叫んだ。
「意味など、ない!
ただ、なんとなく、だ!!」
火鳥は目を伏せる。
――失礼、致しました。
わたくしはくのいち。
主人からいただいた名前に、前向きな意味を望むなど、恐れ多いことでございます。
『胡』の字なら、知っている。
大陸で、はるか北西に住む異民族を表す文字。そこから『おかしな』『変わった』『風変わりな』という意味になった。さらに派生して『でたらめな』『筋が通らない』そして――『信用できない』という意味を表す。
代表的な使用例は『胡乱な』『胡散臭い』
――確かに6年間、夫を騙し続けたくのいちの名に相応しい。
主人に信用されないくのいちとは、やや辛いものがあるが。今までの経緯を思えば、当然の報いか。
火鳥は小さく一礼して、立ち上がった。
床に落ちていた紅蓮の打掛を拾い上げ、袖を通す。
懐剣の鞘を拾い上げる。
振り向くと、和颯が懐剣を拾い上げ、柄を火鳥のほうへ向けて差し出していた。火鳥はそれを受け取った。
静かに、刀身を鞘へと納める。
火鳥は打掛の裾をさばき、和颯に向かい合って座った。
作法通り、自分の膝の前の床に、懐剣を横向きに置いた。
両手をつき、頭を下げる。
「くのいち・《《胡鳥》》でございます。
本日只今この時より、我が命尽きるまで。
誠心誠意、命をかけて、和颯様にお仕えする所存でございます」
こうして火鳥は、新しい主より名を賜り、『胡鳥』となった。




