~陰の巻~
「『カワセミ』とは、一益のもう一つの名だったな。
火鳥にも、別の名があるのか?」
火鳥は顔をしかめた。
渋々答える。
「……―――『カゲロウ』……」
カゲロウ、と彼はつぶやいた。
「――……いい、名だ」
冗談はよして。
「私は嫌い」
「なぜ?」
「カゲロウには口がないというもの。
『食べるな、早く死ね』。
名を呼ばれるたびにそういわれている気がした」
でも、そうね――。
あれから十年以上も経つのに。
結局私は、カゲロウのようにやせ細って、無力なままだった。
主を失い、自分の正体まで知られて。
今まさに身動きも取れず、自らの意思で死ぬことも許されず。今にも殺されそうになっているくのいちには、ぴったりの名だわ。
火鳥は自嘲気味に笑った。
「他に、聞きたいことは?
父の秘密に関することでなければ、話してあげるわよ。
何も無いなら、今すぐひと思いに――」
「殺すわけないだろう」
「いいえ。どうか殺してください。
私は父のためだけに生きてきたの。
父を失い、私は生きる意味を失ったわ。
もう――生きていきたくないの………」
「頼む火鳥! 死なないでくれ」
――いいえ。
「お断りよ。
斎藤道山は私の父で、私の主だったの」
「俺は――夫だ」
彼は絞り出すように反論した。
そうね。それが何?
私たちの結婚は、最初から、政略結婚で、偽造結婚だった。
あなたはただ、父の、尾張侵略の陰謀に巻き込まれただけだったのよ。
「父は――。
私のすべてだったわ。
私に名を与え、帰る場所を与え、生きる意味を与えた。
父がくのいちとしての私に『儂の娘として生きよ』と言ったから、私は今まで生きてきたの」
その、父も亡くなった。
もはや、果たすべき義理も忠義もない。
私も――堂々と死を選ぶことができる。
彼は黙った。




