18、火鳥 ~陽の巻~ 清州・美濃から帰陣した日
気が付くと午後になっていた。
俺は、武器の保管庫で、貸し出した槍の損傷具合を確認していた。
「和颯様――」
おずおずと呼びかけられる。
俺はぱっと振り向いた。
「火鳥っ!」
火鳥が、そこに立っていた。
「このたびは……。勝手な振る舞いをして。
ご心配をおかけいたしました……」
火鳥が、上目遣いで俺を見上げた。
全身についていた泥は、綺麗に落とされていた。地面に引きずられていた髪も、丁寧に梳かれて、綺麗にまとめられている。
顔色もよく、こざっぱりとした、明るい色の着物を着ていた。
「本当に………。
ものすごく……心配したんだぞ………」
俺は、火鳥の両腕に、そっと触れた。
「もう、起きて大丈夫なのか?
怪我は……?
怪我はないか……?」
火鳥は、困ったようにほほ笑んだ。
「ええ。幸い、怪我はありません。
ですが。
気分はあまり良いとは言えません……」
「……ああ………」
一益は、道三殿は火鳥の目の前で首を切られたと言っていた。
「何と言っていいか………。
………道三殿のことは………」
俺は、後にどう言葉を続けて良いのか分からない。
火鳥は僅かに口角を上げた。
「……人は、いつか、死ぬのです。
それがたまたま、今だった。
――そう考えることに致します」
「火鳥………」
どうしよう。
火鳥の前で、俺はいつも無力だ。
「……何か、俺にできることはないか?
火鳥の為なら、何でもする」
火鳥の目が、涼やかな光を帯びて俺を見た。
「でしたら……。
馬に乗る許可を、与えてくださいませ。
馬に乗ればきっと、少しは気分も晴れるでしょうから」
ああ、それはいい案だ。
火鳥はとても、馬が好きだから。
「もちろんだ!
好きな馬に乗るといい。
あまり遠くには行かないように気をつけて、暗くなる前には帰ってきてくれ」
火鳥は花がほころぶように、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。
では早速、今から着替えて、行ってまいります」
くるりと後ろを向くと、足取りも軽く、屋敷の方へと戻っていった。
いつもと変わらない火鳥の後ろ姿を見て、俺はほっとする。
良かった。もっと取り乱すかと思っていた。
火鳥は――。
思ったより、元気そうだ。
・-・-・-
一時間ほど経過しただろうか。
俺は顔を上げた。
まだ必要な作業が終わった訳ではない。ただ、一益には『火鳥から目を離すな』と釘を刺されている。
――俺も、馬に乗ってこようかな。
火鳥だって。きっと一人より、誰かと一緒の方が、気が紛れるんじゃないかな。
余計なことを――考えなくて、済むから。
――うん、きっとそうだ。
よし、俺も馬に乗ろう。
これは、俺のためじゃない。火鳥のためだ。
俺は厩に向かった。
美濃まで往復した直後なので、どの馬も疲れているように見えた。
馬の世話を任せている男が、藁を運んでいた。
「お疲れさま」
俺は声をかけた。
「問題のある馬はいるか?」
「いいえ。どの馬も、大きな不調はなさそうです」
彼は、運んできた藁を床に敷き、古い藁と取り替えた。
「皆、疲れてはいますが、二、三日休めば元気になるでしょう」
「そうか。しっかり頼む」
俺は頷いた。
「ところで、少し前に火鳥が来たはずだ。
気晴らしに馬に乗るつもりだと言っていたので、俺も合流しようと思うのだが。
どちらの方角に行ったか分かるか?」
彼は手を止め、怪訝そうな顔で俺を見た。
「火鳥様、ですか?
いえ。今日はまだ一度も、お見かけしておりませんが――」
俺は、さあっ、と血の気が引くのを感じた。
――なんだって!?
火鳥は。
その気になれば、あっという間に着替えることができる事を、俺は知っている。
――まだ、厩にも行っていない、だと――!?
遅い。
遅すぎる。
嫌な予感しかしない。
履いていた草履を脱ぐのももどかしく、俺は屋敷へ駆け込んだ。足をもつれさせるようにして廊下を駆け抜ける。火鳥の部屋の前までたどり着くと、声もかけず力まかせに、扉に手をかけた。
スパ――ン
音を立て、火鳥の部屋の扉が開いた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、艶やかな紅蓮の打ち掛けだった。
羽を広げた朱雀が、今にも飛び立とうとしている。
――ああ、この打掛は。
見覚えがある。
祝言の日、火鳥が着ていた打ち掛けだ。
金糸銀糸が惜しげもなく使われた、見事な刺繍。描かれた朱雀は本当に生きているようで、今にも飛び立ちそうだ。
この打掛を仕上げるためにかけられた時間も、金額も、途方も無いものだったのだろうということくらいは、俺ですら分かる。
まるで、斎藤道三の、火鳥への深い想いを代弁するような打掛だと思ったのだ。
部屋の真ん中に、火鳥が座っていた。非の打ち所なく身支度を整えている。
紅蓮の打ち掛けを身に纏い、美しく化粧を施した火鳥。つややかな黒髪は、流れる川のようだ。
手にしているのは、白い螺鈿細工の、美しい懐剣。
あれは聖徳寺で、道三殿が火鳥に渡したもの。
火鳥は大きく背中を反らせ、天を仰いでいた。両手で構えた懐剣の切っ先を、今まさに、自分の喉に突き立てようとしている。
「火鳥っ!! やめろ――っ!!」
俺は夢中で床を蹴り、火鳥に飛びかかった。




