~陰の巻~
織口家の息子たちについての報告をしたためた、密書を持たせた使者が帰ってきた。
「父上はなんと?」
「織口和颯はいざという時、瞬時にどのくらいの兵を集められるのだろうなあ、と仰っていました」
――なるほど。承知いたしました。
山中での稽古の後、首を垂れた麦畑を歩く。
「初めて火鳥様とお会いしたのも、このように麦が実るころでした」
最近の各務野は、少し調子が悪いようだ。
前ほどきびきびと歩けないようだし、やたらと昔の話をする。
「憶えているわ。私は、本物のくのいちに会ったのは初めてだった」
最初に教わったのは、心を深く沈めること、左手で文字を書く事だった。
「私は、数えきれないほどのくのいちに出会ってまいりました。
その中でも、火鳥様は別格でございます」
「やめてよ。ほめても何も出ないわよ」
「お世辞ではございません」
「わたくしは――各務野に出会えてよかったわ」
「くのいちが生き残るために、何よりも大切なことは――」
「心をなくすこと」
恐怖、執着、怒り、愛情……。
感情は、正常な判断を狂わせる。
「いつか。私が火鳥様のお傍にいなくなっても。忘れないでくださいませ」
「――分かったわ」
いなくならないでほしい、という言葉をぐっと飲みこむ。
引き留めてはいけない。
各務野は、最期は故郷の伊賀の里で死にたいと言っていた。
そろそろ引退するつもりかもしれない。
(――火鳥様)
各務野が火鳥を見た。
(……分かっているわ……)
見慣れない男が一人、麦畑の近くをうろうろしている。
男の背は高く、目つきが鋭い。同じ道を何度も行ったり来たりしている。
道に迷っているようにも見えるが。
――盗賊が、下見に来ている――
父の指令は、今夜中にもこなせるかもしれない。
真夜中。
くぐもった叫び声。かすかな物音が聞こえる。
火鳥は飛び起きた。
――盗賊だ――
村からは見張りを立てていたはずだが、ほとんど音を立てずに拘束したようだ。
なかなかの腕前と見た。
「火鳥様――」
各務野が夜具から体を起こそうとする。
「大丈夫よ、各務野。ひとりで行けるわ」
ただちょっと、眠っている織口和颯を起こして、盗賊の存在に気付かせるだけだ。
「でも……」
「いいから。各務野は、寝ていて」
織口和颯の性格から推察すると。
盗賊が来た事に気付けば、部下を連れ、撃退しようとするだろう。
あとは遠くから、盗賊と織口和颯の戦いぶりを観察してくれば良い。
これで、任務『織口和颯の屋敷の、兵力を調べよ』の、報告ができるだろう。
「……すみません……」
各務野は夜具に体を横たえた。
火鳥は手早く、夜闇に溶ける鼠色の着物に着替えた。
長い髪をくるくると巻いて、かんざし代わりの木の枝で頭の後ろにまとめる。
織口和颯の屋敷は寝静まっている。
屋敷の近くに住む村人も含め、誰も盗賊が来たことに気づいていないようだ。
火鳥は足音を立てずに、織口和颯の寝室へ向かう。
織口和颯の寝室へ行くには、屋内の廊下から行く方法と、一度外に出て庭から入る方法の、二つの経路がある。
屋敷の使用人から見つかりづらい、庭からの経路を選ぶ。
履物は――いらない。
寝室に入る時は、脱ぐことになるからだ。
庭に出るために草履を履いてしまうと、逃走時に草履を回収しなければなならない。
今の火鳥は『織口和颯の妻』だ。
深夜、屋敷内や寝室でうろうろしているところを見つかったとしても、いかようにでも言い逃れができる。
火鳥は裸足のまま庭におりた。
庭につながる織口和颯の寝室の扉を静かに開ける。
中から物音がしないことを確認して、寝室へ忍び込んだ。




