陽の巻
「和颯!」
一益が乗った馬が、俺のすぐ脇で止まった。愛用の火縄銃を背負った一益が、馬から降りた。
「申し開きの言葉もねぇ。援軍はダメだった……」
――えっ………。
「貞じいは!?」
「天地がひっくり返っても、援軍は出せないと言われた。
書状を預かっている。
何があっても、木曽川は越えるな、だと」
――ええ……。
俺は書状を受け取った。
「信勝は?」
「出陣は許可できない、とさ。
信勝さまは斎藤義龍と争う気はないそうだ。
お前が、もう一度織口家の敷居をまたぎたいのなら、今すぐ引き返せ、だとよ」
くそっ!
どうしたら良いんだ。
だが、信勝ならそう言うだろうと思っていた。
ふと、先ほどの少年に目をやる。
彼は先ほどより、さらに顔を伏せていた。
そろそろと後ずさりをして、この場から離れようとしている。
少年が遠慮がちに腰につけている、脇差に目がとまった。
細くて短めの脇差。地味で目立たない色合いながらもきちんと手入れされているようだ。
着ている物は粗末で体にも合っていないが、刀は違う。
よく見ると造りも良さそうだし、長さも太さも彼の体格にぴったりだ。
「あ、ちょっと待って。
キミ。逃げないで」
俺は声を上げた。一益も、少年を見た。
少年は立ち止まらなかった。
一益の顔色がみるみるうちに変わっていく。
「お前っ!」
一益はさっと少年に飛びかかった。
少年の肩をつかもうとした一益。
少年が、わずかな体の捻りでその手を躱す。
一益の手が、空を切った。その下を、体を屈めた少年がすり抜ける。一益が、振り向きざまに、少年の笠を掴んだ。
首にかかる笠の紐を、素早く解いたのは、少年だった。一益が、彼の頭からぱっと笠を取り上げ、投げ捨てた。
笠の下から、長い女の黒髪が、ばさりと垂れた。
「「火鳥っ!!」」
そこにいたのは、まごうことなく火鳥だった。
俺は目を疑った。
――さっきまで、どこからどう見ても、貧しい少年にしか見えなかった――!
火鳥は全身を泥で汚し、粗末な着物を着ていた。
清須からずっと、この集団の中に紛れ込んでいたに違いない。
火鳥は、唇を引き結び、凍てつくような視線を放っている。
鋭く、鮮やかな動き。
どうにか捕まえようとする一益の腕をかいくぐり、火鳥はひらりと黒龍に跨った。
「はっ!」
火鳥の掛け声。
火鳥を乗せた黒龍が即座に反応した。黒龍はひとかけらの躊躇いもなく、木曽川の濁流に飛び込んだ。
「待ってくれ! どこへ行く気だ!?」
後を追って、生身のまま飛び込もうとする俺の腰に、一益が抱きついた。
「バカっ! 溺れ死にたいのかっ!?」
火鳥と黒龍は、瞬く間に川を渡りきった。火鳥は、一度だけこちらを振り返った。
俺と火鳥の視線が、ぴたりと合わさる。
火鳥は、今まで俺が一度も見たことのない表情をしていた。
凛々しく。美しく。切なく。哀しく。
まるで―――自らの死を、覚悟しているような。
俺たちの視線が絡まったのは、ほんの一瞬だった。
火鳥はすぐに前を向くと、姿勢を低くした。
火鳥の意を汲んだ黒龍が、耳を伏せて首を突き出し、全速力で遠ざかっていく。
「待てっ! 火鳥――っ!!」
俺の絶叫は、木曽川の音にかき消された。




