4月・清須 〜陽の巻〜
卯月(4月)は、植え月だ。
村の田んぼに、老若男女が総出で集まり、田植えの準備に精を出している。
戦で壊れた畔の修復は、兵士たちも動員して、どうにか田植え前に終わらせた。
雨上がりの村はそこかしこに水滴が光り、みずみずしい芽吹きの香りがする。
俺は近隣の村を回って、ひとりひとりに声をかけて回った。ぎこちないながらも、みんな、何かしらの返事をしてくれる。
一冬をかけ、なんとかここまでの関係を築くことができた。
あとは、ちゃんと雨が降って、太陽が照って、戦がなければ――。
きっと秋には、たくさんの米がとれる。
俺は、白い雲の浮かぶ空を見上げた。
今日は快晴だ。
そのまま目線を下げて――。
――おや?
北西から、馬が一頭、駆けてくる。
――早馬か?
乗っているのは、着物にも馬にも、べったりと泥汚れを張り付けた男。
きっと、かなりの距離を走らせてきたに違いない。
……あれは、美濃からの方角だ。
俺は屋敷に急いだ。
美濃は今、混乱中だ。
道三と長男・義龍、それに道三の次男と三男は、みな稲葉山の屋敷に住んでいた。
ところが道三は、義龍よりも次男と三男を溺愛。
義龍は道三の留守中に、稲葉山の屋敷で二人を殺してしまう。
道三は、義龍の立てこもる自分の屋敷の周りに放火して、近隣を焼き尽くし、北西の山へ逃げた。
ちなみに義龍の謀反と信光叔父さんに刺客が送られたのは、どちらもぴったり同じ頃だ。一益は、今川義元が斎藤義龍を焚きつけたのではないかと疑っている。俺はさすがに、それは考えすぎだと思う。
・-・-・-
屋敷に戻った俺は身支度を整え、使者に会うための部屋に向かう。
部屋の前の廊下には、火鳥が正座していた。
やや緊張した面持ち。
火鳥は俺を見て、軽く頭を下げた。
俺は火鳥を廊下に残したまま、座敷の扉を開ける。
一益と梁田は、すでに部屋の中に座っていた。
俺が上座に座ると、使者は頭を下げた。
使者は、こざっぱりした着物に着替えていた。だが、髪には汚れが残っている。
「……ここまで来るのに、苦労したようだな」
俺はねぎらいの言葉をかけた。
「はい。降り続いた雨のせいで、木曽川が増水しておりましたので。
渡るのに苦労いたしました」
木曽川は、美濃と尾張の間に流れる大きな川だ。
川は、敵からの侵略を防ぐ役割がある。
だから川には、橋を架けない。大きな川なら、なおさら。
常識だ。
「大急ぎでお届けしなければならない連絡をお持ちしたのですが……。
予定よりも遅くなってしまい、悔しさでいっぱいです」
浅瀬を探して川を渡ろうとしたが、増水していたため、渡れる場所を探すのに時間がかかったらしい。
俺は、先ほど見た使者と馬が泥まみれだったのを思い出す。
なんとか木曽川を渡りきった時には、着物も馬も水で濡れていた。乾かす暇もなくここまど馬を走らせたので、着物も馬もあんなに汚れていたのだろう。
「――で、その連絡とは?」
使者がこちらを見た。
「道三さまが、鶴山に陣を張りました!
斎藤義龍も兵を集め、応戦の構えです。
まさに、一触即発。
織口和颯さまにおかれましては、一刻も早く援軍を出していただきたく!
こうしてお願いに参りました」
「もちろんだ!」
斎藤道三には、以前、援軍を借りた恩もある。
俺は梁田正綱を見た。
梁田は頷いた。
「全軍、美濃へ出陣の用意。
準備を怠るな! 急げ!」
「はっ!」
梁田は席を蹴るようにして立ち上がった。
慌ただしい足音。男たちの声が飛び交い始める。
俺は使者に向き直った。
「何か言伝はあるか?」
「はい。
道三さまは鶴山にいらっしゃいます。
斎藤義龍は、川をはさんで南東から攻めてくるでしょう。
上総様には、義龍軍が出陣したら、後ろから攻撃していただけるとありがたい、と」
なるほど。挟み撃ちか。
「道三さまの軍勢は?」
「およそ、2700人」
――さすがは斎藤道三。
大群だ。
「で、対する義龍は?」
「…………。
噂では……。
およそ、1万7000人、と……」
廊下から、火鳥の小さな悲鳴が聞こえた。
「そんなはずあるかっ!」
一益だ。
まるで使者ではなく、廊下に向かって話しているようだ。
「たとえ美濃全土から人を集めたって、そんなに大勢集まるはずがないだろう!!」
「確かに……。
1万7000人は誇張かと思われます。
ですが………。
義龍軍の方が数で勝っているのは間違いございません。
だからこそ!
上総さまの援軍が必要なのです!!」
廊下を、乱れた足音が遠ざかっていく。
火鳥だ。
おろおろと廊下を見つめる俺。
使者は俺ににじり寄った。
「援軍を、出していただけますね――?」
俺は、使者に向き直った。使者の目を見て頷く。
「当然だ!
道三殿は一昨年、俺に援軍を貸してくださった!!
今度は俺が助ける番だ!」
それに――!
斎藤道三は、俺にとって唯一最大の後ろ盾!!
どんな犠牲を払ってでも、今、道三殿を失うわけにはいかない!!!
「一益っ!」
「はっ、」
一益が進み出た。
「那古野と本家に行ってくれ。
俺が出陣するという連絡と――。
……できれば、援軍を……」
一益は顔を曇らせた。
「本家からの援軍は……。難しいかもしれません……」
――だよな。
俺は頷いた。
信勝は、今川に従うつもりだと言っていた。
俺との協力関連を、今川家に疑われたくないはずだ。
だが、那古野にいるのは貞じいだ。
必ず、援軍を用意してくれる。
「それでいい」
俺は頷いた。
「俺は清須にいる全軍を率いて、一足先に美濃へ向かう。
お前は、那古野と本家に行って、出陣の報告。
なるべく早く、集められるだけの援軍を連れて、俺たちの後を追ってくれ」
「御意!」
梁田が率いるのは、頼もしい700人の仲間たち。彼らの準備は、すぐに整った。
だが今回は、美濃に何日も滞在することになりそうなので荷物が多い。
武器や薬だけではない。野営に必要な道具や、食料。道三や尾張との連絡に必要な筆記用具。それに木曽川を渡るために必要な船や木の板。
働いてくれた皆に日当を支払うための、米や、金も必要だ。
それらを何頭もの牛や馬に積みこむ。
牛や馬の世話をする男、荷物運びの人足も雇った。熱田の船着場で働いている男たちも、できるだけ連れてくるように言ってある。
あっという間に膨れ上がる集団。
普段、顔を合わることのない者同士を寄せ集めた、大所帯だ。
あっちでもこっちでもトラブルが勃発し、出発できるようになったのは、思ったより、かなり遅い時間になってからだった。
・-・-・-
なんとかすべての準備を整え、俺はやっと黒龍に跨った。
いつも、俺の出陣の時には、火鳥が門の横で見送ってくれる。
俺は背筋を伸ばし、火鳥が待つ門へ向けて、馬を進めた。
門の前に火鳥はいなかった。
いつもなら火鳥が立っている場所に、今日は萌が立っている。萌の後ろには蔦が控えていた。
俺を見ると、萌は困ったように微笑んだ。
「え……?
……火鳥、は……?」
俺は思わず口走る。
萌が申し訳なさそうに答えた。
「――何度もお声がけしたのですが……。
火鳥姉さまは、お部屋から出ていらっしゃいません。
どうしても、誰にもお会いしたくないそうです。
『今回は、萌が見送るように』と申しつかりました」
「………。
そう、か………」
今、美濃で自分の息子に追い詰められているのは斎藤道三。
たとえ血は繋がっていなくても、強い情と絆で繋がっている、火鳥の父親だ。
確かに、心中穏やかではいられないだろう。
無理もない、か……。
――でも……。
出陣の前に、火鳥が送り出してくれないのは初めてだ……。
戦に「絶対」はない。
これが俺の、死への門出になるかもしれないのに。
俺は……。
火鳥に見送ってもらいたかった………。
それでも俺は、沈みそうになる気持ちを奮い立たせた。
「………行ってくる」
「ご武運を」
萌が頭を下げた。
一千人近くに膨れ上がった大行列を引き連れ、俺は清須を立つ。




