信澄の生まれた日 ~斯波義銀~ 那古野の寺
「それでさぁ、俺が槍で思いっきり突いたら、あまりの勢いに家老がしりもちをついたわけ。
そこで俺はすかさず槍を捨て、腰につけた太刀で、家老の首をばっさり切ってやったのさ。
それはもう、凄い血しぶきで。たちまちあたりは血で染まって――」
喜一が、寺の境内に和颯の仲間たちを集め、自慢気に語っている。和颯の仲間たちが半円を描くように座り、途中質問などを挟みながら喜一の話を聞いている。
先日、柴田勝家と一緒に清州に攻め入った時に手柄を上げた時の話だ。
確かに、喜一の働きは格別だったらしい。
義銀は、「何かあったら困るから」という理由で寺から出してもらえなかった。
喜一が、清州を牛耳っていた家老の首を取ったのは本当らしい。
だが、その時の様子は、喜一が語るたびごとに微妙に変化していって、初めて聞いた時と比べると、少し派手になっている気がする。
義銀は、自分の懐に手を入れた。
紙が、指先に触れた。
義銀は、その紙の包みを取り出し、膝の上で広げる。
突然、駿河の今川義元から手紙が来たのは数日前だ。
手紙には、義銀の健康を気遣う内容と、同じ足利一門として、力になれることがあれば尽力を惜しまない、という旨が記載されていた。
――何を今更。ふざけた真似を。
父・義統を殺したのは坂井大膳。今川義元は、裏で糸を引いていた張本人。
そんな男の力添えなど、死んでもごめんだ。
だが、手紙にそれられていた菓子は一級品だった。
練った小麦を、上質の胡麻油で揚げた菓子で、ツタの樹液を集めて煮詰めた、甘い蜜がかかっている。義銀は、こんな上等の菓子を食べるのは初めてだった。
膝の上の菓子を眺めていると、柔らかな声が降ってきた。
「召し上がらないのですか?」
牛一が、隣に座った。
義銀に、湯呑に入れた水を持ってきてくれたらしい。
「今川義元はお父上の仇かもしれませんが。その菓子は仇ではありません。
せっかくの高級品です。
召し上がればよろしいのではありませんか?」
義銀はちらりと牛一を見上げた。
牛一は穏やかな顔で微笑んでいる。
義銀は、前を向いた。
「…………初めて、織口和颯の屋敷へ行ったときに――」
急に動悸が激しくなる。
義銀はいったん息を吐き、また吸った。
「萌。という名の侍女がいた。
……覚えているか?」
牛一は、一瞬だけぴたりと動きを止めた。だがすぐ、何事もなかったかのように動きを再開した。手に持った湯呑を義銀の脇に置く。
牛一が、さらりと相槌を打った。
「――はい、覚えております。
とても美しい侍女でした。
たしか……火鳥さまの妹、とも仰っていましたね」
――そう。そこが不可解だ。
「めったに手に入らないような上等の菓子だ。
わたしは――できればこの菓子は……。
――萌と一緒に食べたいのだが……」
ちらりと牛一を見上げた。
牛一は、先ほどとは違った暖かさをもって、穏やかに微笑んでいた。
「そうでしたか。それはそれは。
気がつかなかったのは、我々家臣の落ち度でございました。
――少々お待ちを」
牛一は立ち上がった。
牛一は聴衆を前に、調子よく演説している喜一のところまで、つかつかと歩いて行った。
牛一が、喜一の耳元で、ひとことふたこと、ささやく。
喜一が驚きの表情を浮かべ、義銀を見た。義銀は慌てて目をそらす。
喜一はにんまりと微笑むと、聴衆に短い別れの言葉を告げ、ぱっと駆け出して行った。
・-・-
義銀は、そわそわしながら寺の中を歩き回った。
寺の庭には、さまざまな植物が植わっていて、それらは見る位置により、違った風情を醸し出している。
30分ほどして、外から女の声がした。
義銀は縁側に座る。
廊下を進む足音がして、来客を告げる声がした。
義銀はぱっと立ち上がり、慌てて座りなおした。
忘れるはずもない、あの鈴を振るような声がした。
「萌でございます
織口家の使いで参りました」
「ああ……入ってもらおうか」
襖があき、衣擦れの音がする。
「これはこれは、萌どの。
わざわざご足労いただき、申し訳ない」
牛一の声。
「いいえ。主人の織口和颯より『義銀様にはなるべく不自由のないよう、過ごしていただくように』といいつかっております」
義銀は体の角度をずらし、横目で声のする方を見る。
――間違いない。あの娘――萌だ!!
萌がちらりと後ろを振り返った。
「――蔦、例の物を」
後ろに控えた年配の侍女が、手に持った包みを開いた。
中には鷲の尾羽が数枚入っている。
「おお、まさにこのような尾羽を探しておりました。
これでいい矢を作ることができそうです。
ありがとうございます」
牛一が義銀を見た。
「義銀様。御所望の尾羽を、萌殿が届けてくださいましたぞ」
「ああ。ありがとう。わざわざ足を運んでもらって悪かったね」
たったこれだけのことを言うのに、動悸がする。
声が、裏返りそうだ。
義銀はいかにも『今、思い出した』風に声を上げる。
「――ああ、そうだ。
先日、菓子が手に入ったのだった。
ちょうど良かった。萌も、ここで食べていかないかい?」
萌が困惑した顔で蔦と呼ばれた侍女を見た。
蔦は、訳知り顔で、小さく微笑んで頷いた。
萌は義銀を見た。鈴を振るような声。
「――ありがとうございます。
では、お言葉に甘えさせていただきます」
牛一が、義銀の座る縁側を手で指示した。
「では、萌殿はあちらにお座りください。
我々もここにおります。何かありましたらお呼びください。
――喜一! 皆様に水を!」
ふわりと上品な香の香りがして、萌が義銀の隣に腰を下ろした。
牛一が、二人の間に、器に盛った菓子を置く。
萌は少し困惑しているようだ。蔦が萌の後ろに座り、何かを小声で萌にささやいた。萌は頷き、少しだけ緊張を解いた。
義銀は、菓子を一つつまんで自分の口に入れた。
「――悪くない味だよ。萌も食べてみると良い」
萌は首を傾げて菓子を見つめ、そのうちの一つをつまんで小さくかじり取った。
萌の瞳が遠くを見るように瞬いて、小さく微笑んだ。
「――懐かしい、味がいたします……」
義銀は萌を見た。
「――萌は、美濃から来たのだったね」
織口和颯の妻は、美濃の斎藤道三の娘だと聞いている。
「萌は――火鳥姫の妹と言っていたが。
斎藤家では、このような菓子をよく食べたのか?」
コホン、と咳払いの音がした。
萌の後ろに控える蔦が上品に、しかし誇らしげに言った。
「萌姫は、斎藤家の娘などではございません。
土岐家の次期当主となられる予定であった、土岐頼純さまの妹御でございます。
火鳥姫は、織口和颯に嫁ぐ前、頼純様に嫁がれました。
萌姫と火鳥姫は、血のつながらない義姉妹でございます」
「なんと!」
牛一が驚きの声を上げた。
義銀も驚いた。土岐家といえば、美濃で一番の名門だ。
土岐家の当主といえば、美濃国の守護を指す。
牛一が続けた。
「萌姫が、自分は侍女だと仰った、その理由をお聞かせいただいても?」
「はい」
萌は牛一に体を向けた。
「兄が亡くなり、行く当てのなくなったわたくしは、義姉である火鳥姉さまとともに斎藤家へ身を寄せました。
ですが火鳥姉さまは、すぐにまたお嫁に行ってしまわれました。
火鳥姉さまの二度目の結婚生活はとても短いものでしたが、斎藤家に残されたわたくしはとても辛くて――。
わたくしは、もう二度と、火鳥姉さまと離れたくないと思ったのです。
火鳥姉さまは斎藤家に戻られましたが、今度は尾張へ嫁ぐことになりました。
わたくしは、火鳥姉さまに『わたくしも尾張に連れて行ってください』と申し上げました。
火鳥姉さまは『尾張に妹を連れて行くことはできない』と仰いました。
『ならば、一人でお嫁に行かれるのですか』とお聞きしましたら、『連れて行くのは侍女だけだ』と。
萌は。再び斎藤家に残されるのは、どうしても嫌だったのです。
なので『萌を、火鳥姉さまの侍女にしてください』とお願いいたしました」
「―――!」
牛一は驚いて言葉を失っている。
「ですから、萌は、れっきとした、火鳥姉さまの侍女でございます」
義銀はそっと口を開いた。
「――それは……さぞかし、辛い思いをしたのだろうね?」
萌は体の向きを変え、義銀を見た。
「いいえ。
萌は――尾張に来て、本当に良かったと思っております。
ここは明るくて暖かくて。
今日はこのように、おいしいお菓子をいただくこともできました。
それに――」
萌は、夢見るように微笑んだ。
「尾張には、とても素敵な御方がいらっしゃいましたので――」




