陽の巻
「ちょっと待て! 絶対に駄目だ!!」
俺は立ち上がった。
「――和颯、お前は反対のようだな。
根拠があるなら、聞こうか」
「俺は――! 緒川で!
水野信元と話したっ!!」
徳川家康の叔父(母の兄)だ。
甥の家康は、今川家の人質になっている。
彼は、自分の館のすぐ近くに、村木砦を作られ、絶体絶命のピンチだったにも関わらず、最後まで今川家には従わなかった。
「村木砦を攻める前日だった。
俺は、水野信元の屋敷に泊まったんだ」
俺は、信光叔父さんを見た。
信光叔父さんは『続けろ』というように、軽く頷いた。
「8年前だ。
――最初、今川義元は、徳川家康の父にこう言った。
『今川家に仕えてくれ。悪いようにはしない――』
だけど義元は!
徳川家が今川に従うと誓った途端、住んでいた岡崎の館すら取り上げた。
徳川家に仕えていた家臣達は、今も、その日の暮らしにすら困るほどの扱いを受けている!
――俺が、村木砦を攻めた時、村木砦の兵士が話していた言葉は、三河訛りだった。
帰る場所を取り上げられた挙句『居場所が欲しければ尾張を攻めろ』と言われたんだ。
自分たちの土地や家族を守るために命を懸けるのなら仕方がない。
でも三河の男たちは! 今川氏の領地を広げるために命を削っているんだ!
彼らは――。
故郷を奪われ、家族と離れ、異国の危険な最前線に送られて。
自分のためでも家族のためでも故郷のためでもない戦いで、命を懸けて戦って、それで、死んだんだ」
俺は拳を握りしめた。
「俺は! 俺の部下たちをそんな目にあわせたくない!!」
「ふうん……」
信光叔父さんは、眩しそうに俺を見上げた。
「お前、良い顔をするようになったじゃねぇか」
信光叔父さんは、ちらりと父上の位牌に目をやった。
「兄貴が生きてる間に――。見せてやりたかったよ」
信光叔父さんは、信勝を見た。
「じゃ、どうする?
お前はどうしたいんだ?」
信勝は辛そうだ。
「――おれは。……正直、どうしていいか分からない。
この手紙は、俺たちにとってとても魅力的だ。だけど、確かに胡散臭い。
駿河が本拠地の今川義元が、どうやって遠江と三河を併合したのか、正確なところは分からない。
だけど、ものすごい速さと勢いで二つの国を飲み込んだのは事実だ。
武力だけじゃなく、裏工作や調略にも力を入れてきたはずだ。
だから、この手紙も、そんな策略の一つなのかもしれない。
だけど――。
織口家が、村木砦を落とし、清州にダメージを与えたのも事実だ。
織口家とは、戦うよりも手を組みたい。その気持ちはゼロではないはずだ」
「問題は、手を組んだ後、今川が織口家をどう扱うか。
――だな」
「うん。
でもこれは――。
実際に、今川家に下ってみるまで分からない」
俺は信勝に食って掛かった。
「それじゃあ、手遅れになるだろう!」
「分かってる。だから悩んでる。
それに――清州の問題もある。
――信光叔父さんが坂井大膳を騙したら、織口家は積極的に、今川家に反旗を翻したことになる」
「……まあ、そうなるわな」
信光叔父さんが肩をすくめた。
信勝は、泣きそうな目で俺を見た。
「兄さん……。
おれは……どうしたらいいんだろう。
きょう、信澄が生まれた。
おれにとって信澄は、何よりもいとおしくて、なによりも大切な――生きる、希望だ。
織口家は、今、細い橋の上をギリギリで歩いているみたいな状態だ。
おれは――。おれが――。
父として、当主として、ちゃんと信澄を守らなくちゃいけないのに。
おれは――今、ここにある手紙の内容を、どこまで信じて良いのかすら、分からないよ」
「信勝――」
俺は、信勝の肩に手を乗せた。
「清州には、俺が入る」
信光叔父さんがにやりと笑った。
俺は信勝に笑いかける。
「俺に任せろ。
小狡くいくぞ。――両にらみだ」
俺も――信勝のために。
「俺は、今川家に下るのは反対だ。
だけど確かに、織口家と今川家との力の差は明白だ。
今、あからさまに対立するのはまずい。
清州の件は、俺と信光叔父さんで何とかする。
お前は無関係を装うんだ。
今川家にすり寄るスタンスでいけ。
今川義元への返事は引き延ばしつつ、俺や信光叔父さんとの関係を聞かれたら適当にはぐらかしておけ。
そうやって時間を稼ぎつつ、今川家と同盟を結べないか、模索してくれ。
いいか、臣下に下るんじゃない。あくまでも同盟だ。
そうすれば――お前が今川家との共存を模索している間は――織口家への攻撃は止むはずだ。
今川家と、同盟が結べるのなら、それでいい。
本当に、争いを納める事が目的なら、織口家との同盟にも応じるはずだ。
――その時は、今川家と共に歩もう。
だが、今川家があくまでも織口家を傘下に収めることにこだわるのなら。
それは、織口家をつぶそうとする陰謀だ。
――その時は、徹底抗戦だ」
俺たちは、唇をぎゅっと引き結び、目を合わせ、頷き合った。
「清州は今。街も田畑も焼け落ちて、壊滅状態だ。
俺が清州に入って、ぐちゃぐちゃになった清州を立て直す。
清州を立て直して、力をつけたら――。
俺は、斎藤道三殿に頭を下げて、美濃から援軍を借りてくる。
だから。その時は。
皆で力を合わせて、俺たちの尾張から、今川家を追い出そう!」




