陽の巻
「――叔父さん、どうするの?」
眉間にしわを寄せて密書を読んでいた信勝が、顔を上げた。
「とりあえず『承知しました。協力します』って返事を送っておいた」
――えっ!? もう!?
「こういうのは、返事に時間がかかると疑われるからな。
読んだ時、その場で承諾の返事を書いて、使者に渡したぞ。
ついでに『決して裏切りません。神と仏に誓います』っていう誓約書もつけてやった」
誓約書って………。
「……叔父さん、坂井大膳に協力する気ですか?」
「まさか」
信光叔父さんはケロリとして言った。
「俺は、甥っ子二人とは長い付き合いだ。
二人とも、もの酷く頑固だ。
一人は頭脳派で粘っこい。もう一人は感情派で猪突猛進。
正確は真反対だが――俺は、どっちの甥も敵に回すのは御免だからな」
叔父さんはけらけらと笑った。
「坂井大膳が2年前、深田砦で人質に取ったのは、俺の弟だ。
――そんなやつと組めるわけがない」
一瞬だけ、信光叔父さんの目の奥がギラリと光った。
「……『御仏に誓う』っていう誓約書は?」
たちまち信光叔父さんはいつもの軽薄さを取り戻す。
「あんなのは、ただの紙切れだ。
信じる方が悪い」
――うん。知ってる。
信光叔父さんは、そういう人だ。
「俺は、坂井大膳の仲間になったふりをして清州に入る。
だまし討ちなら得意だ。
タイミングを見計らい、坂井大膳と仲間共を追い出して、清州を乗っ取ってやる。
任せておけ。
――で、その後は……。
信勝。お前が、清州を治めろ」
俺は唸った。
――すげぇ。
信光叔父さんの小狡さも、このレベルまでくると芸術的だ。
「信勝、どうだ?」
信光叔父さんは、信勝を見た。
「ん? ――どうした……?」
信勝は、眉間にしわを寄せている。
「――実は……」
信勝が、懐から、1通の手紙を取り出し、信光叔父さんに手渡した。
心なしか、顔が蒼ざめている。
「わたくしも、相談したいと思っていたことが……」
「信勝。そんな深刻そうな顔をするんじゃない」
信光叔父さんは軽い調子で手紙を受け取った。
「お前は、何でも深刻に考えすぎだ。眉間にシワができるぞ。
もっと気楽に生きろ」
叔父さんは、慣れた手つきで手紙を開いた。
笑顔のまま、手元に目を落とした叔父さんの顔色が、さっと変わった。
叔父さんの目が、手紙の文字を追うたびに上から下へと動く。
みるみる表情が変わっていく。
叔父さんは、じっくりと三度、手紙を読み返した。
俺はじりじりしながら叔父さんが読み終わるのを待った。
特別に時間をかけて、最後にもう一度全文を読み直すと、叔父さんは手紙を俺に手渡した。
俺は紙を破かないように気を付けながらも、ひったくるようにしてそれを受け取った。
まずは、ざっと全文に目を通す。
手紙の送り主は――なんと、今川義元だった!!
※※※
織口信勝殿
この度の、貴公の家臣・柴田勝家の清州攻めは、誠に見事であったそうですね。
残念ながらわたくしは、この目で見ることはできませんでしたが、それはそれは勇猛果敢な戦いぶりだったとのこと。
斯波氏の家臣団への采配も巧みで、坂井大膳は手も足も出なかったとか。
彼らの力だけで、清州を立て直すのはもはや不可能でしょう。
さすが、としか申し上げようがありません。
思えば今川家と織口家は、三河が徳川家の領土であった時から、ずっと戦い続けてきました。貴公の父上・織口信秀殿は、幾度となくわたくしの裏をかき、そのたびにわたくしは悔し涙で枕を濡らしたものです。
ねえ。わたしたちで、この不毛な争いに終止符を打ちませんか?
主君とは。
家臣や部下たちをまとめあげ、彼らを敵から守ることができてはじめて、主君として認められ、敬われるのです。
尾張の守護は、主君でありながら、家臣達をまとめ上げることも、守ることもできませんでした。
思えば。我々の争いは、無能であった斯波義統に原因があるのです。
主君を選ぶ権利は、家臣にあります。
今まで貴公が使えていた、尾張の守護・斯波氏も、確かに名門です。
ですが今川家は、将軍・足利家に次ぐ名門です。
幸いにして、わたくしには多くの家臣がおります。
ですが、貴公のように思慮に溢れ、勇猛果敢な部下を持つ家臣は、一人としておりません。
織口信勝殿。どうかわたくしの、友となり、家臣となって、ともに今川家を支えてくださらないだろうか。
もしも、貴公が。これまで斯波氏に仕えていたように、今後は今川家に仕えてくださるのであれば。わたくしも最大限の敬意と待遇をもって貴公をお迎えすると誓います。
どうかどうか、織口家と今川家の今後のために、是非とも前向きなご検討を。
駿河国守護・今川義元
※※※
「いやっ! 駄目だっ!!」
俺は大声を上げた。
「こんなの――! 嘘に決まってる!!」
「どうして、兄さんにそんなことが分かるの」
困り果てたような顔で、信勝が言った。
「会ったことはおろか、手紙のやり取りだってしたことはないだろう?」
信勝は、途方に暮れた瞳で信光叔父さんを見た。
――信勝も。この手紙に書かれたことを、全面的に信じているわけではないんだ……。
「胡散臭い手紙では、ある」
信勝叔父さんが、めずらしく慎重に言葉を選ぶように言った。
「しかも。何もかもを放り出して、すがり付きたくなるような内容だ」
父上が亡くなってからずっと、俺たちは、何年も、東の今川義元の脅威にさらされてきた。
三河を失い、人質の徳川家康も失い、鳴海を失った。
村木砦の戦いは俺たちが勝って、緒川は何とか守ったけれど、被害は甚大だった。
坂井大膳は今川の手先だから、現状、清須も今川が押さえている。
今川家の脅威は、東と西から同時に織口家を脅かしていると言っていい。
こんな俺たちが、悪くない待遇で今川家に仕えることができるのならば――。確かに、魅力的だ。
「これが、織口家を誘うための餌だとしたら――」
信光叔父さんは目を細めた。
「極上の餌だ」




