那古野村・和颯の屋敷
大勢の家臣たちに守られながら、義銀はなんとか那古野村へとたどり着いた。
清州から、距離にして7Kmほど。後ろを気にしながら進んだとはいえ、2時間もかかっていないはずだ。だが義銀には、丸一日以上かかってたどり着いたように思った。
那古野村は、嘘のようにのどかだった。
村の周りに広がる田は青々として手入れが行き届き、村人たちの血色もいい。
なんとなく、男手が多いように見える。戦で負った怪我を抱えている農民はどの村にもいるものだが、なぜかこの村には少ないようだ。気のせいだろうか。
田の周りを子供たちが走り回っていて、女たちは姦しく喋りながら水をくんでいた。
那古野村の高台、塀で囲まれた場所に建っているのが、織口和颯の屋敷だろう。
織口和颯の屋敷の周りをぐるりと取り囲むように、数百軒の小屋が建ち並んでいる。
――なんだ、この小屋は……?
村の農民たちの小屋とは明らかに雰囲気が異なっていた。
耕作用の牛馬がいないし、農具もほとんどない。代わりに、弓や槍、それに矢や兜などがいたるところに置かれていた。どの小屋も、簡素ながらもすっきりと片付いている。にもかかわらず、どこからかかすかに、古い卵のような、それでいて何かを燃やした煙のような臭いが漂っていた。
義銀と家来たちは、謎の小屋の前をそそくさと通り過ぎ、目的の屋敷の前へ着いた。
喜一が屋敷の門に手をかけようとすると、どこからか太い手がぐいっと伸びてきた。
「おい。このお屋敷に何の用だ?」
振り返ってみて驚いた。
義銀たちは、いつの間にか取り囲まれていた。
いかにもごろつき、といった風情の男たちが30人ほど、ずらりと並んでいる。全員日に焼けていて、腕っぷしが強そうだ。
いつのまに囲まれていたのだろう。全く気付かなかった。
リーダー格らしい、一人の男が前に出た。
「お前たちは誰だ?
こんなに大勢で、突然押しかけるとは、穏やかじゃねぇな……」
腕を組み、値踏みするように義銀たち一行を睨みつける。
牛一が、一歩前へ出た。
「訳があって、名乗れない。だが、怪しい者ではない。
織口和颯殿に、面会したく、参った」
取り囲む男たちが、口々に小さく不信感を口にした。
リーダー格の男が門をふさぐように立った。
「今、和颯殿はご不在だ。家老も出かけている。
一度帰って、後ほど、もう一度出直されよ」
「いや――。
――そういうわけにはいかない」
もう既に、帰る場所はないのだ。
「和颯殿がご不在という事であれば――。
中で待たせて頂きたい」
自分たちにはもう、安全に過ごせる場所すら存在しない。
「断る!」
最初の男が言った。
「お前たちからは、ピリピリとした殺気を感じる」
そうだそうだ、と周りの男たちが言った。
「屋敷には、和颯様の奥方様がいらっしゃるんだぞ」
「こんな怪しい男を屋敷に入れられるか」
「火鳥様に、何かあったらどうするのだ」
「特に、今はダメだ」
「確かに。タイミングも悪い」
「俺たちも、やきもきしてるのに」
「これ以上こじらせられたら、手の施しようもなくなるぞ」
「こんな時に、トラブルを持ち込むな」
「そうだそうだ」
――火鳥様、というのが織口和颯の妻か。ずいぶん大切にされている(?)らしい。
喜一が怒鳴った。
「ええい、黙れ黙れ! ここにいるお方をどなたと心得る!?」
「だから、誰なんだよ!」
「そうだ。早く名乗れ!」
――何なんだ、この男たちは……。
屋敷の使用人、というのとも少し違う気がする。
「いっ……今ここで、名乗るわけにはいかないが、さる高貴な身分のお方だ」
「そんな説明で納得できるか!」
「高貴な身分のお方が、那古野村に何の用だ!」
「名乗れないなら、せめて用件を言え!」
「それも言えぬ!」
「やっぱり怪しい!」
「早く帰れ!」
「黙れ! 下賤者のくせに!」
「なんだとぉ!」
「ヤんのかコラァ!」
義銀の家来たちと、彼らを取り囲む男たちが、唾を飛ばして怒鳴りあう。
一触即発。
「――なんです? ……騒がしい」
女の声が響き、内側から門が開いた。
「あ、火鳥様!」
ザッ、と音を立て、義銀一行を囲む男たちが姿勢を正し、軽く礼をした。
門の奥には、三人の女がいた。
真ん中の、萌黄色の着物を着ているのがおそらく「火鳥様」だろう。ふっくらとした顔と体つき。透き通るような白い肌のきめが細かく、豊かな黒い髪がつややかに流れている。細い切れ長の目。一度見たら忘れないほどの美人だ。年齢は義銀と同じくらいだろうか。
――なるほど。大切にされるわけだ。
一番後ろに控えているのは40代と思しき年配の侍女だ。
先頭にいる、臙脂色の着物の侍女が牛一を見た。痩せた野良猫のような女だった。
おそらく「火鳥様」の侍女に違いない。
良い着物を着ているのに、色黒で背が低い。有能そうではあるが、愛想がない。やたらと目が大きく、冷たい視線が鋭かった。
色黒の女が油断なく口を開く。
「――ご用件をお伺いしても?」
「……申し訳ないが、ここで申し上げることはできない」
「そうですか――」
色黒の侍女は目を伏せた。
「――では、主人の織口和颯が帰宅するまで、中でお待ちくださいませ」
すっ、と体を脇にずらし、門の中を指し示す。
「火鳥様っ!」
取り囲む男たちが、慌てて止めようとする。
――えっ? 『火鳥様』……?
「大丈夫です。こちらは問題ありません」
地味な侍女が、男たちを見回した。
彼女が醸し出す、突き刺すような鋭い気配が、ふっと和らぐ。
「ねえ、皆。
悪いのだけれど、和颯様と林秀貞を探してきて頂戴。
くれぐれも、清州の兵士たちには見つからないように。
和颯様は本家に行きました。林秀貞は、きっとこの近くにいるはずです。
あとは本家と――信光様にも、連絡を。
――彼らに会ったら、こう伝えて。
『《《斯波義銀》》様が、たった今、那古野の屋敷に逃げ込んできた』と――」
「「「「「 えっ―――!!!!? 」」」」」
そこにいた全員が、驚いて凍り付いた。




