~陰の巻~ 和颯の書斎・日没後
扉の前で耳を澄ます。
部屋にいるのは、和颯一人のようだ。
「火鳥でございます。入っても、よろしいでしょうか」
「ああ、火鳥か。ちょうど良かった。入ってくれ」
徳利と盃の乗った盆を持って部屋に入る。
和颯は目も上げない。
部屋中に紙を散らかして、何かを書いているようだ。
火鳥は、盆を床に置いた。
「墨が――切れかかっている。磨ってくれ」
「はい」
立ち上がり、硯の前に座る。
ゆっくりと墨を磨りながら、紙に書かれた文字に目を走らせた。
火鳥が墨を磨り終わっても、和颯は顔も上げない。
とても集中しているようだ。
火鳥は床に落ちた紙を拾い上げた。
そこには几帳面な文字で、今回の戦の戦没者の、残された家族の身の振り方が書き記されていた。
雇い主に、死んだ兵士の家族の心配までする義理はない。それでも彼らが困らないよう、何とかしたいと思っているところが、いかにも和颯らしい。
いつから書いていたのだろうか。辺りはもう暗い。
火鳥は立ち上がり、灯りに火をともした。
「ふう」
ずいぶん経ってから、和颯が顔を上げた。
火鳥は拾い上げた紙を整える。
「戦没者と、遺された家族の一覧――ですね」
「良く分かったな」
――和颯様の周辺は、既に調べ上げておりますので。
「帰還しなかった者の名と、その家族が書き連ねてあります」
――私が何年間、彼らの様子を探ってきたと?
「ですが、他にも帰還しなかった者がいたように思います。
滝川一益。……森可成、坂井彦左衛門、それから――」
「あいつらは居残りだ。戦後処理をしている。
今夜は帰らない。明日には帰ってくるだろう」
「ああ。……そうですか」
――それは好都合です。
カワセミの腕は確かだ。織口和颯に忠誠を誓っている。
カワセミのいない今夜こそ、唯一無二の好機。
「丸印がついているのが――身寄りのない家族ですね」
「その通りだ」
和颯はため息をついた。
「又吉の娘が、一人残された」
「……なえ、ですね。
安食村の熊吉と、恋仲だと聞いておりますが」
「何だって!?」
織口和颯が目を剥いた。
火鳥は淡々と続ける。
「結婚を仲介して、少し多めの祝い金を持たせてはいかがでしょうか。
熊吉は働き者のようですので、きっとなえは幸せになるでしょう」
和颯がまじまじと火鳥の顔を見た。
「火鳥……。そんなことまで知っている、のか」
――あ。まずい。
「女たちの間では常識です」
和颯が別の箇所を指さした。
「あと、源介の妻が妊娠中だ」
「はる、ですね。
源助もはるも、篠木村の出身でした。篠木の両親のもとに送り届けてはいかがでしょうか」
「両親は健在なのか?」
「孫の誕生を楽しみにしているとか。
ですが、はるは、今、つわりがひどい時期のようです。
皆が言うにはあと2ヶ月もすれば落ち着くだろうとのこと。
しばらく那古野で面倒を見て、つわりが落ち着いてから篠木に送り届けるのが良いかと」
和颯が、感動したように火鳥を見た。
「火鳥……。
ありがとう……。
――他にもまだ、相談したい者がいるんだ……」
わたくしでお役に立てるのであれば、お力になりましょう。
夜はまだ、始まったばかり。時間はたっぷりございます。
・-・-・
「あ~~!
終わったぁ!!」
和颯は晴れ晴れとした顔で筆をおいた。
「ありがとう!
最初はどうしようかと思ったが――。
火鳥のおかげで、終わらせることができた!
これで安心だ!」
――そうですか。良かったです。
「もう、やり残したことはございませんか?」
――まだ何かございましたら、最後までお付き合いいたしますが。
「ああ。これで全部だ」
「…………。
……そうですか――」
では。
もう、よろしいですね……?
火鳥は和颯に背を向け、静かに言った。
「父が。美酒を送ってくれました。
和颯様と二人で飲むように、と――」




