~陰の巻~
任務は完了だ。
既に織口和颯には正体を疑われているし、長居は無用。
「では。わたくしは部屋に戻らせていただきます」
自分がいなくなれば、兄弟で大事な話をするかもしれない。少し離れていても、耳をすましていれば、話が聞ける可能性もある。
今は、足をくじいたことになっている。
火鳥は柱に手を添えて立ち上がろうとした。
――いたっ……
背中に鋭い痛みが走った。
先ほど各務野と、剣の練習をしていた時にしたたか打たれたところだ。
ああ。もっと、腕をあげなければ。
織口和颯の声がした。
「ほら、掴まれよ。手、貸してやる」
ごつごつとした手が、ぶっきらぼうに差し出される。
――えっ!?
火鳥の心臓が、跳ねた。
織口和颯は、自分を疑っていると信じていた。――違うの!?
火鳥は美濃で、短期間に二度も連続して暗殺を行ったのだから、警戒されていてるのは仕方がない。
その上で、どう振る舞うかが、くのいちとしての、腕の見せ所だと思っていたが。
――何を、考えているの?
初夜の床入りでは、太刀を握りしめていた。
屋敷の外には、真新しい空き家があった。
どちらも、暗殺を恐れての行動だと思っていたけれど。
―――私の勘違い?
暗殺を恐れているのなら、こちらに向かって手を伸ばすなどという自殺行為をするはずがない。
もしも私が今、毒針を一本、左手の指の間に仕込んだら、彼はこの場で死んでしまうのに。
愚鈍な男ではないはずだ。
その男が、なぜ今、あえて、こちらに向かって手を伸ばすのか?
彼の思考回路が全く読めない。
織口和颯の顔を見る。
不意打ちを仕掛けようとしているわけではなさそうだった。
――一体、何を企んでいるの――?
それか――本当に何も企んでいない。
………とか……?
初日、慌てて屋敷内の部屋を用意しているのを見たときから、何となく感じていたが――もしかして、この男、とんでもなく、お人よしなんじゃ……。
「……ありがとうございます……」
おそるおそる、左手を差し出してみる。
硬い右の手のひらが、力強く火鳥の手を握った。
「遠慮するな。俺の手に、お前の体重、全部かけていいから」
――本当に?
不意打ちなら、嫌というほど練習してきた。
左手から伝わってくる織口和颯の呼吸。
息を吐きはじめる瞬間。
人間の、最も気の抜けるタイミングを狙って自分の全体重を一気にかける。
結果。
少し驚いたような顔をされたものの、火鳥の体重を支えた右手は、ぴくりとも動かなかった。
――まあ、予想通りではあった。




